もう一度 君に会いたくて(短編)
幸原風吹
もう一度 君に会いたくて
最愛の恋人、舞が死んでしまった。
持病が悪化したせいだ。長生き出来ないことは理解していた。
それでも良かった。ずっと傍に居たかった。
最後の時間まで俺は…彼女を精一杯愛した。
だけど、失って気づく。
舞がいない世界で生きていても意味が無いのだ、と。
同じところに行けたら良かったのに――そう自分を責め、思い詰めてさえいた。
でも今は違う――この世界には『科学』がある。
だから俺は――ある一つの可能性に命を賭けることにした。
深夜の水族館。警備員の隙をつき、足早に中へ潜り込む。
十年ぶりだろうか。学生時代に舞とよく来ていた場所だ。
ここで色んな話をした。
そんな時間が、何よりも幸せだった。
今の俺には何もない――水槽のガラスに映る俺は、痩せこけて老け込んでいる。
なんて情けないのだろう――途端に切なさが募る。
俺は、虚ろな目でスマートフォンに触れた。
ホーム画面を開き、とあるアプリを立ち上げる。
ある研究機関に多額の投資をして開発してもらったアプリ。正式名称は『タイムスイッチ』と言う。
並行世界にいる、自分の精神と入れ替わる装置だ。
そうつまり――舞が死んでいない世界線に行けるということだ。
この道具を手に入れるために、身を削って金を稼いだ。
身体はボロボロだが、彼女を失った悲しみに比べたら大したことではない。
指定の時間になり、ボタンを押す。途端に激しい頭痛がして視界が歪んだ。
目を閉じて唸りながら、数分間悶える。
「入れ……替わったのか……?」
痛みが治まり、目を開けてみたが、景色は依然と変わらない。
失敗したのだろうかと、焦りが募った。
「どうしたの、和真?」
隣から聞き覚えのある声。俺は思わず目を見開いた。
「舞……?」
「何? そんな顔して」
「舞! 舞なのか!?」
「そうだけど……」
感嘆の声を上げ、舞の肩を勢いよく揺らす。舞が恥ずかし気に、手を振りほどいた。
「ちょ、やめてよ。こんな所で……」
「あっ、ご、ごめん……」
「急にどうしたの?」
「あ、いや、寝ぼけてて……」
「顔洗ってきたら?」
「はは……」
舞が呆れて溜息をついた。
舞が生きている――嬉しさのあまりに涙が出そうになった。
「あのさ、他にどこか行きたいところある?」
「うーん、そうだなぁ……観たいと思ってる映画があるんだけど……」
「よし、じゃあすぐに行こう!」
「あ、ちょっと!」
そう言って俺は舞の手を引き、駆け出した。
それから俺たちは、ひたすらデートスポットを巡った。
映画館、ショッピング、レストランでのディナー。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
夜の海を見ながら、今日のことをゆっくりと振り返る。これ以上ないくらの幸福感だ。
「いつもより優しいね」
「そうかな?」
「うん。いつもの和真じゃないみたい」
「そんなことない。俺は俺だよ」
「そうだけど……」
沈黙が走る。夜風が二人の髪を撫でた。
俺は舞を引き寄せ、力強く抱きしめた。
「和真?」
「ごめん、舞……」
おそるおそる身体を離す。
途端に罪悪感が募った。そして、ふと気づかされる。
この世界にいる舞は、入れ替わったこの世界の俺を愛している。
そして彼女もいずれ気づいてしまうだろう――俺がこの世界の俺じゃないことに。
もうこれ以上、嘘はつけない。いや、つきたくない。
「聞いてくれ、舞」
「なぁに?」
「実は俺……」
彼女の綺麗な瞳はまっすぐ俺を見ている。
「この世界の和真じゃないんだ。違う時間軸から来た」
「えっ……」
舞の目が泳ぐ。
「このスマホのアプリで、この世界の和真と入れ替わった」
「どうしてこんなこと……」
舞が声を荒げる。
「君の居ない世界に耐えられなかった」
「それって……」
数秒間の沈黙が流れる。
「だから、もう一度君に会いたくなって」
舞が下を向いた。手が震えている。
「じゃあ私……」
「大丈夫、この世界の君の病気は完治しているから。同じことにはならないよ」
「そ、そうだよね……」
舞が安堵した。
しかし、不安げな顔でこちらを見ている。
「馬鹿だよな、俺」
胸の奥が軋んだ。分かってはいた。
ただそれに向き合うのが怖かっただけだ――俺は弱い人間だから。
「ごめんなさい……」
そう言って、舞は頭を下げた。
「君が謝ることじゃないよ。騙してごめん。俺、元の世界に帰るから」
タイムスイッチの起動ボタンを押す。あと数十秒で俺は元の世界へと還る。
幸せが消えてしまう――途端に、絶望感が胸を締め付けた。
「ありがとう、和真」
涙をこらえ、震えている俺を見かねてか、舞が俺の傍に駆け寄った。
そして、そっと俺に口づける。
「ずるいよ、舞……」
俺は浅はかだった。
帰ったらこのアプリはもう二度と起動しない。俺は俺の世界で生きていく。
「元気でいてね」
「うん」
そうして俺は――目の前の舞と笑顔で別れた。
気づいた時には元の世界へと戻っていた。
俺はすぐさま彼女が眠る墓へと向かった。
花を添え、目を閉じ、手を合わせる。
「俺、頑張るからさ。そこで見ててよ」
舞の分まで、精一杯生きよう。
そして俺は立ち上がり、その場を後にした。
終
もう一度 君に会いたくて(短編) 幸原風吹 @yukiharahubuki
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