第7話

始発電車まではまだ少し時間があるので、ここで今回僕の身に降りかかった摩訶不思議な出来事の顛末を語るとしよう。影と話をつけた僕は、三月に禍根を残して卒業した母校へ向かい、今度こそ言い逃れのできない不法侵入を敢行した。公共交通機関はまだ動いていない時間だったので、到着した頃にはすでに空は白み始めていて、もしかしたら宿直の先生が校内にいるかもしれないけれど、もうそんなことは気にならなかった。現役の学生だった当時は、体育の授業以外で積極的にグラウンドに出るタイプじゃあなかったのだけど、こうして朝ぼらけの静けさの中ひとり佇むグラウンドというのは存外いいもので、まるでこの夜明けが僕だけのものであるようなそんな気分になった。グラウンドの端にある体育倉庫からラインカーを引っ張り出してきた僕は、さながらナスカの地上絵のように、大々的に懺悔を刻んだ。




東京への進学は嘘でした。ごめんなさい。



こんなことにはなんの意味もないことくらいはわかっていた。これは旧友に対する謝罪でもなければ、担任教師へ少しは成長したのだと顕示するための行動でもない。だけど、だからこそ、僕はここにこれを記す必要があった。嘘を吐いて、殺してしまったあの日の僕を迎えにきたのだった。ナスカの地上絵といえば、古代人は本当にどうやってあんなに巨大なアートをあんなに精巧に描いたのだろうか。朝礼台から見下ろした僕の謝罪文は、所々がひん曲がってぎりぎり読めなくはないという程度の仕上がりだったけれど、しかしこれでいいのだろうと思う。こんな風に、僕は立派じゃない。立派じゃなくて、みっともなくて、どうしようもない僕を、これからは認めて、もう二度と手放さないように抱きしめていこうと思う。

つまるところ僕がするべきだったのは、正体不明の影を退治することではなく、行方不明の自分と対峙することだったということだ。ここまで文字通りに自分探しに明け暮れた人間というのも珍しく、もはや僕だけなのではないだろうかと思ってしまうけれど、きっと違う。向き合い方に差こそあれ人間みんなあらゆる形で、あるべき自分と、ありたい自分と、認めたくない自分と対峙することで自己を形成していくのだろう。もちろん、過去に葬ってしまった自分を全て取り戻すことはできないかも知れない。取り戻せたところで、別に何も変わらないのかも知れない。けれど今日ここで、己と正面から向き合ったという事実は、きっとこれからの人生で行き詰まった時にまた同じ罪を犯すことがないよう防犯ブザーくらいの役割は果たしてくれるだろう。

結論を知って仕舞えばなんてことはない。結局これがどういう物語だったのかというと、うーん、どういう物語だったのだろうと悩んでしまう。そもそも物語ですらなかったのかも知れない。スポットライトの当たるような人生を送ることを諦めた僕みたいな人間にだって、日影にだって、物語めいた出来事は起こり得るのだと、そういうことを思うための、これは長い長い独り言だったのかも知れない。

始発電車が間も無く到着するというアナウンスに、僕は腰を上げる。

太陽が眩しく差し込むホームで、何気なく足元に視線を落とす。

何度も繰り返し落とした視線の先に、当たり前のようにそれはある。

「憑き物が落ちたような、晴れやかな顔だね。」

そんな声が聞こえた気がした。どちらかというと落とし物が憑き直したという状況な気もするけれど、無粋なツッコミは蛇足だろう。

だから短く返事をした。



「おかげさまでね。」

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自己愛というテーマにおけるケーススタディの一つに過ぎない話 @daishichi

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