第6話
さあ、前回のあらすじである。とは言ってもテレビアニメじゃあるまいし、さすがに前頁のあらすじなんて必要ないかと思うので簡潔に言うと、今僕は僕の影を探している。何とも間抜けなあらすじだ。
毎夜毎夜懲りもせず同じ道を繰り返し捜索し、根性のない僕にしては珍しく根を上げず頑張って探し続け、気づけば二週間が経っていた。
二週間が経ち、果たして目覚ましい成果はあがっていなかった。
まじかよ。
一度は向こうから姿を現した(現してはいない)こともあり、正直探せばその辺で出くわすものだと高を括っていたのだが間違いだったようだ。あの愚影め、まさか夜は早々と布団に入るいい子ちゃんタイプか。それならば昼間はなるべく出歩きたくない僕にとっては相性が悪すぎる。影が布団を敷いて眠りこける様を想像して我ながら馬鹿馬鹿しい気分になる。そもそも彼奴はどこに布団を敷くんだよ。布団を敷いてすやすやと眠りにつくような家があると言うならばそれはきっと僕のことだろうと思うのだが。
———家、か。
忘れもしない、五月五日に両親から勘当を宣告されて以来一度もあの街には帰っていなかった。もちろん家に帰れないのだから帰る理由はないのだけれど、それよりもやはり高校時代の同窓生の誰かに遭遇するのを恐れていたと言うのが本当のところだろう。今生活しているこの街は、もう概ね探し尽くしたと言っていい。次に探すべき場所となればそれは生まれ育ったあの街である。気が進まないなどと言っていられない。僕はそれでもなるべく人目につかないよう不審者の如く帽子を深々と被り、悲しくも最終電車に乗って故郷凱旋と洒落込んだ。
駅の周りはちょっとした商店街はあれど少し歩けば住宅街なので、この時間に人と遭遇することはまずないだろう。電車を降り、懐かしいなどというと少し大袈裟な気持ちで自宅方面へと向かった。両親は共働きで夜は割と早く寝床に就くため、この時間ならばバレずに侵入できるだろう。もう帰ることはないと合鍵を持ってこなかったのは一応の覚悟のつもりだったのだけれど、まさかこんなにすぐにこんなことになるなんて夢にも思わなかった。ポストの天井にガムテープで合鍵を貼っつける文化がまだ廃れていないことに賭けるしかない。
九分ぴったり。しばらく歩いていなかったとは言え、長年の登下校で染みついたラップタイムはそうそう崩れるものではないらしい。周囲を警戒しながら敷居をまたぐ。いとも簡単に剥がれたガムテープを見るに何度も貼り直しているのだろう。母の忘れ癖は相変わらずらしいがおかげで助かった。音がしないよう、鍵穴をゆっくりゆっくり回す。体感五分くらいかけた気がするが実際は三十秒くらいだろうか。
侵入成功。断じて不法行為ではないことをここに堂々と宣言する。
案の定静まり返った家の中で深呼吸をする。一階がリビングと両親の寝室、洗面所。僕の部屋は二階である。足音を立てないように、今度は本当に五分くらいかけて旧自室の前にたどり着いた。もう一度深呼吸をし、これまたゆっくりゆっくりドアを開け部屋に這入った。
「お、やっときた。」
いた。いたらしい。おそらく。
真っ暗な部屋の中で影の所在を確認することは難しかったが。
いや、いるのかよ。
普通初手は外すだろう。
肩透かしを喰らったような気分で呆気にとられたが、ひとまずはそこに居るらしい影を可視化すべく電気をつけようとすると、
「ばかばか、人がいないはずの部屋の電気をつけるやつがあるかよ。バレちゃあマズいのはお前の方なんだぜ?」
そりゃあそうだ。
想定より物事が上手く運びすぎて気が緩んでいたみたいだ。
僕は影を目の前にして、と言ってもやっぱり見えはしないんだけれど、何から話すべきかと今更に狼狽えてしまった。その様子がどう映ったのかわからないが影は続けた。
「とりあえず外に出ようか。いつバレるかわからないスリルは、まあ悪くはないけれど、でも今はそんな場合じゃあないしね。でもすぐに声を掛けたり、驚いて大声を上げるような真似をしなかったのは偉かったね。バレても僕は逃げれるけれど君は無理だろうから。」
スマホを取り出しメモ帳にメッセージを記す。
じゃあお前も喋るなよ。
お前のせいでバレたら悔やんでも悔やみきれない。
僕的にはわりと緊張感溢れる場面なのだが、しかし一方、全然そうではない風な、むしろ自慢げな声色で影は飄々と答える。
「僕は大丈夫。君にしか聞こえないから、僕の声。君っていうか僕なんだけど。ややこしいね。不思議だろ、でもなんでもありなんだよね。なんてったって影だからさ。じゃあ、僕は窓から出るから、近くの公園で待ち合わせにしよう。くれぐれもバレないようにね。」
人間が何かを習慣化するためには、おおよそひと月はかかると言われているけれど、これは甚だ眉唾ものの情報だと思っている。生活リズムを朝型にシフトするのに、長期休暇明けには決まって苦労してきた僕だけれど、たった二週間人目を避ける目的で夜型の生活を続けただけで僕はもう一端の夜の住人である。現在時刻は深夜一時過ぎ。全くもって眠くなる気配はない。いや、それは単にこの奇っ怪な状況下における覚醒状態なのではないかという指摘は、うん、ご尤もである。
影に指定された近所の公園へ向かう道中、こんな風に場違いで取り留めもないことを考えていた。影がチート能力で部屋を抜け出した後、静まり返った旧自宅からの脱出作戦中、今更のように上がった心拍数を収めるにはどうでもいいことで頭を埋め尽くす必要があったのだ。そんな甲斐もあり、余計なことを考える暇もなく再会に成功した。
もしも通りすがりの人が客観的に僕を観察したのなら、僕は夜の公園で独り言つ不審者に見えてしまうと思うとなかなか口を開くのに勇気が要ったが、とりあえずは一問一答形式で、今僕に起きていることを正確に把握することに努めるべきだと判断した。
「お前は僕の影で間違い無いんだよな?」
「うん、間違い無いよ。」
「一体いつ僕から逃げ出したんだ?」
「うーん、その辺にやはり誤解があるようだね。とはいえ、いつ頃僕が君と、もとい僕と分断されたのかという質問に換言するならば、それは〝その都度〟としか言いようがないかな。」
その都度———どういう意味だ。
「あの、〝空っぽ〟っていうのはどういう意味だ?」
「額面通り受け取ってもらって構わないよ。中身がなくなってしまうっていう意味。もうすでにその片鱗に気づき始めているだろう。」
近頃、僕の情報処理能力を阻害しているあの現象のことだろうか。
「…あとどれくらい時間があるんだ?」
「それは君次第、僕次第だよ。」
「そもそもなんで」
「はいストップ。あまりにも効率が最悪のやりとりに流石の僕もいい加減辟易だよ。まさかここまで理解ができていないとは思わなんだ。もしかして今の状況にさ、なにか厄介ごとに巻き込まれてしまった哀れな被害者として向き合おうとしていないか。僕や、もしくは他に頼れる人がいるならばそれを頼って救済を求めようとしているんじゃないか。だったらお門違いもここに極まったと言えるよ。笑えるね。」
笑っているのだろうか。やはり僕には影の表情など皆目見当もつかないけれど、笑っているとしてもそれは嘲りなのだろうと思う。
しかしまあ、図星だった。無意識下で自分が被害者であると思っていたのは事実だったし、それに影に助けを求めようというよりも僕はむしろ影が加害者だとすら思っていたのだ。被害者でないのならば何だというのだろう。まさか僕が加害者な訳もあるまいし。
「いや、その通りだよ。現在進行形で君が被っているその世にも珍しい被害の、諸悪の根源たる加害者は君だ。もちろん世の中のあらゆるトラブルにおける登場人物は加害者と被害者の二元論では語れない。自覚していないようだから加害者サイドの立場を強調したけれど、君は加害者であり被害者なんだ。要するに、自殺志願者なんだよ。」
これも僕に事態を認識させるためなのだろうか。強い言葉を遣う。
ただ、一人暮らしを始めて此の方生きる事にしがみついてきたつもりだった僕は、謂れのないレッテルを貼られたことが不服だった。
「自殺なんて企んでいないよ。もしかしたら家を追われた僕が悲観に悲観を重ねた結果人生に絶望したと思っているのかも知れないけれど、それは間違いだよ。今はなんとか自力で生計を立てられているし、そりゃあ他人から見ればひもじい生活かも知れないけれど、僕としては多少なりとも達成感を感じていたりするんだぜ。」
所々雑草が刈り取られていない地面を暗く切り抜いたような、自分からは伸びていないその不気味な暗黒に向かって僕は異議を唱える。
「これは君に限った話じゃあないからそんなに落ち込まないで聞いて欲しいんだけれど、〝自殺〟というのはなにも、自分の人生を終わらせる事だけをいうのではない。大きな力や周囲の雰囲気に迎合して〝自分を殺す〟と言うように、人は自分を諦めた時その自分を殺すんだ。例外でなく君も、今まで君を幾度となく殺して、殺し続けてきたんだ。僕の言う〝空っぽ〟って言うのはね、だからそう言う事なんだよ。今までそうしてきたように、君はこれからも自分を殺していく。その大量虐殺の屍の上に立つ君は、さて本当に君なのかな。」
ここまで言われれば、然しもの僕も理解した。
影は、今まで僕が捨てた僕の暗部だった。僕が殺した僕を僕たらしめる僕の人生の一部たちの結晶が目の前に在わす影の正体だった。
伝えなかった初めての恋心も、投げ捨てた自分の中の小さな情熱も、わかっていながらも踏み潰した責任感も、目を背け続けた嘘も。
そういう邪魔なものを削ぎ落として、スリムになって、やがて風が吹けば飛んでしまうようなそんな〝空っぽ〟の僕になっていくのを、あろうことか引き留めてくれたのはその邪魔だと除けた彼らだった。
影は茶化すように僕に言った。
「あとは自分で出来るよね。」
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