第5話
非常に残念なお知らせがある。いや、これは僕にとって残念なだけであって第三者にとっては別段残念なお知らせでも何でもないのだが、僕は古書店でのアルバイトを無期限休職することにした。なぜって、理由は明白だろう。僕の影が僕の元から逃げたからだ。そんなことでと思うかもしれないが、影がないということの意味をよく考えてみてほしい。影がないということはその影の生成主である僕という存在自体の実在性が不確かということなのだ。実在するかどうか不確かなもののことを一般的に世の中は何と呼ぶかご存知だろうか。
「化け物」である。
もっと平たく、お化けや妖怪変化の類と言ってもいい。
紛れもなく僕は僕を人間だと思っているのだけれど、現在その証明が不可能な状態なのだ。むしろひとたび照明に当てられて仕舞えば僕が人間でない証明が完了してしまう。このことに気づかれて仕舞えば最期、僕は生まれ故郷のみならず人間社会から追放されてしまうのだ。
そうなってしまう前に、この現状に対処しなくてはならない。だから古書店には家庭の事情ということで休職期間をもらったのだった。
そうはいっても影を取り戻す方法なんて、まさか影を失ったことのある人に助言をもらうわけにもいくまい。っていうかそんな人いない。
手掛かりはやはりあの影の野郎しか無さそうなのだが、如何せん居場所がわからない。小さい頃に国語の教科書で影を送る物語は読んだことがあるけれど、影を迎える物語は僕の記憶では掲載がなかった。
こうしてああだこうだと考えを巡らせながら、これはかなりまずい状況だという自覚が湧いてきた。もちろん、自動販売機の前で足元に影をないことを確認して以来この超常現象に対しての恐怖心や不安感は抱いていたのだが、時間が経つに連れて落ち着いてきたのかあらゆる周辺事実が気になり始めた。まずはアルバイトのことである。特に他に予定もなく勤務に明け暮れていたおかげで数日休んだところで食うに困らない程度の金額は貯まっていたのだが長くは持たない。それに、早くしないと店主に見切りをつけられ復職させてもらえない可能性だってある。これからも人間として生きていくことしか頭にない僕としてはどうしても避けたい展開である。そしてもう一点、むしろこちらが気がかりなのだが、こうして今後のことを思案している最中も、ところどころ靄がかかったような感覚を覚えることがある。あの洋書の時と似た感覚で、思考行動自体はできているはずなのに時折真っ白のデータが脳内を巡る。これが影の言っていた「空っぽになっちゃう」という言葉の意味なのだろうか。今のところはまだ大きな障害とまでは言えないレベルだが、この症状がもしも進行し、脳内を侵攻してくるのであれば一秒でも早くこの奇天烈な状況に終止符を打たなければならない。そんなわけで僕はとにかく地道に影を探し回ることにした。あまり人目に触れたい行動ではないので時間は深夜。探し物をするにはまず心当たりの場所を探そうと意気込んだところで、しかしあまりアクティブにこの街での生活を謳歌していたわけではない僕は、まず手始めに古書店への通勤ルートとその周辺の公園などを巡回することにした。
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