パレード

七夜凪

第1話

 深夜──

 人気のない神社の境内に男が二人。

 二人とも身体が大きい。

 一八〇センチはゆうに超えている。

 服の上からでも身体の分厚さがわかる。

 一人は黒い道着の上にジャンパーを着ている。その手は傷だらけで拳頭の部分にタコができていた。いわゆる拳ダコだ。おそらく打撃系の格闘家だろう。

 もう一人の男もジャンバーの下に白い道着を着ている。男の耳が潰れていた。柔道やレスリングの選手がなるいわゆる餃子耳だ。おそらく組技系の格闘家だろう。

 あたりに外灯らしきものがなく、月明かりだけが二人を照らしている。

 黒い男が驚いたように言う。

「いやー。まさか100キロ超級の金メダリストと闘える日がくるなんて思いも寄らなかったよ」

 二人は共鳴するようにジャンバーを脱ぐ。

「君だってフルコン空手の入賞者ではないか」

「俺のことを知ってくれてんの。嬉しいねぇ。あんたからしたら木っ端な空手家のことを知ってもらえているなんてな」

「大手団体の大会で他流派の選手が活躍したのが記憶に残っててな。それに」

「ん?」

「その黒い空手着が目立ってたからな」

「別に目立つのが目的じゃあないんだが、それは企業秘密ってことで勘弁してくれ」

 黒い男が太い指で頭をぼりぼりと掻く。

「しかし恥ずかしいな。判定とはいえ負けたところを見られるなんて。フルコンはフルコンで難しいな」

「あれは君が勝っていた。判定がおかしかった。大方他流派に優勝候補が負けてほしくなかったんだろう」

「倒せなかった時点で俺の負けだよ」

「自分でも負けたと思ってないんだろう」

「まあ生きてるしな。俺の空手は生き死にの空手だ。あの試合は倒されても死んでもいないからな。俺が負けたとしたら死んだときか再起不能になったときだ。」

「今時珍しい空手家だな」

「さあ前戯はここらでいいだろう」

 獲物を前にした肉食獣のような顔をしていた。

「そうだな」

 黒い男が猫足立ちに左手を前に、右手を腰の高さに置く。

「随分古風な構えだな」

「キックボクサーじゃなくて空手家だからな」

 白い男は自然体に立ち、両手を軽く上げる。柔道の基本の構えだ。

(でけぇ。立ってるだけでこんなに威圧感があつやつなんて初めてだ)

 黒い男の眼が妖しく光る。

「あ、そうだ」

 黒い男が手をぽんと叩く。

 白い男の注意がそれに向く。

「野試合には慣れてないようだな」

 黒い男の前蹴り。

 白い男の水月に脚がめり込んだ。

「ぐむう」

 白い男がくぐもった声で呻いた。

 その瞬間蹴られた足を両手で掴んだ。

 足を掴んで一本背負いをする。

(なんてパワーだよ)

 そのまま投げられたら石畳に頭から激突して脳漿を地面にぶちまけることになる。

 地面に激突した。

 黒い男は動かない。

(手応えがない)

「早く立て」

「甘いな。試合じゃねえんだ。倒れた相手には追撃をしなくちゃ」

「追撃をしたら反撃されてた」

「なあんだわかってんじゃん」

 黒い男が起き上がる。

 額から一筋の血が垂れている。

「どうやってあの投げを防いだ」

「簡単だよ。五点接地の応用だ。指先、掌、腕の順番で地面に触れて勢いを殺していく」

「言うは易し行うは難し。そんなことができるのは君ぐらいのものだ」

「さあ仕切り直しだ」

 そう言って口元まで垂れてきた血を舌で舐めとる。

 今度は白い男から仕掛けた。

 左ジャブ。

 左腕で捌く。

 ジャブの連打。

 捌く。

 捌く。

 捌く。

「多少打撃を学んだらしいが本職に比べるとまだまだだな」

「柔道にも本来は当身がある。スポーツ化の流れでルールで禁止されてるがな」

 またジャブ。

 これも捌く。

 次に右ストレートが来た。

 これも捌くのに成功した。

 しかし道着の袖を捕まれた。

(くそっ! 右ストレートはブラフか!)

 その瞬間、宙を舞っていた。

 背中から地面に落ちる。

 今度は受け身を取れないように投げられた。

「ぐはぁ」

 倒れた黒い男の胸を踏みつける。

「ぐわぁ」

 もう一度踏みつけようとする。

 横に転がって避ける。

 白い男の脚が地面を踏みつける。

 転がりながら立ち上がる。

「柔道家相手に道着を着てきて戦うのは流石に舐めすぎだ。私が相手だとわかった時点で道着を脱ぐべきだったな」」

(くそっ! 肋と肩甲骨がやられた)

「腐っても空手家なんでね。プライドがあんだよ」

 この後に及んで軽口を叩く。

「その心意気やよし。だがそのプライドが致命傷にならなければいいが」

(触れられたら投げられる。だったら触れられる前に終わらせる)

 黒い男が先ほどと同じ構えをとる。

「前蹴りで腹を蹴るぜ」

 そう宣言した。

(嘘か真か。いやどちらでもよい。私は投げるだけだ)

「いくぜ」

 前蹴り。

 黒い男の言うことは本当だった。

 真っ直ぐ腹に向かってくる。

 しかしさっきより疾い。

 脚を掴むより疾く脚が戻される。

 白い男の腹で小さな爆発が起こった。

「ぐええええ」

 白い男が黄色い胃液を吐き出しながら後ろに吹っ飛ぶ。

 ごろごろ転がって止まる。

 顔を上げたら目の前には黒い男の脚があった。

 下段蹴りを顔面に食らう。所謂サッカーボールキックだ。

 鼻血を吹き出しながら仰向けに倒れる。

 鼻の骨が折れた。

 上から黒い男が降ってくる。

「これで終わりだ」

 宙に飛んで踏みつけようとする。

 とっさに横に転がって逃げる。

「ちぇっ、あと一手だったのに」

 舌打ちをする。

 腹と鼻の痛みを我慢して膝立ちで構える。

 右脚を折り曲げて、左脚は立てている。

 両手は両足の付け根のあたりにふわりと乗せている。

「おいおい、その構えはなんか嫌だなあ」

「ほう、この構えの意味がわかるのか」

 白い男が驚いたように言う。

「御式内だろ。なんで柔道家のあんたが使えんの?」

 御式内は大東流合気柔術のもとになったと言われている武術である。

「会津の出身でなあ。柔道を始める前に学んだんだ」

「西郷四郎かよ」

「西郷先生は私の目標だ」

「じゃあ西郷四郎の山嵐も使えたりするわけ?」

「試してみるか」

 白い男がニヤリと笑う。

 ビリビリとした空気が二人の間に充満している。

 白い男は膝立ちのままでいる。

 黒い男はそれに攻撃できないでいる。

 突きの距離ではない。突きを撃つには一歩踏み込まなければいけない。

 だったら蹴りはどうか?

 白い男の頭の位置から中段か下段蹴りしか当たらない。

 しかし安易に蹴りを放つと簡単に捕まえられてしまう。

 ジリ貧だ。

(迷っているなんて俺らしくねえ)

 この空気に耐えられなくなった黒い男は我慢できずに突っ込んだ。

 右の中段蹴りを放つ。

 白い男は左手の掌で蹴り脚を下から撫でる。

 脚が上に跳ね上げられ黒い男は宙に浮く。

 そこへ白い男ががら空きの股間に突きを放つ。

 股間に直撃した。

 殴られた勢いを利用して宙で回転してから地に脚をつける。

 黒い男のダメージは軽かった。

「何故だ?」

「コツカケだよ」

 コツカケとは腹筋を操作して睾丸を腹の中に引き上げで金的を防ぐ古流の技術である。

「コツカケか。できる奴に初めて会った」

「コツカケは男の嗜みだぜ」

 胸と背中の痛みを無視して軽口を叩く。

「さっきのは前言撤回だ。あんたは柔道だけじゃなくて喧嘩も強いよ」

「そんなことはない。私は柔道ばかりやってきたただの柔道家だ」

「だったらなんであんた笑ってんだ」

 白い男は口元に手をやる。

 確かに笑みを浮かべていた。

「聖人ぶってんじゃねえよ。あんたも俺と同じ穴の狢だ。人をぶちのめすのが大好きな変態野郎なんだよ。だからこんな場所でこんな戦いをしてるんだろ!」

 黒い男の口調が荒くなる。

「そうか。そうだったのか。私は、いや俺はこういう戦いがしたかったのか」

「そうだよ。一緒に殺し合いを楽しもうぜ」

 黒い男が獰猛な肉食獣の笑みを浮かべる。

 白い男は淫靡な爬虫類の笑みを浮かべる。

 どちらからともなく靴を脱ぐ。

「やっぱりタコ足だ」

 白い男の足を見て言う。

「本当に西郷四郎の生まれ変わりかもな。あんた」

「そうだといいんだがな」

 黒い男が刻み突きを放つ。

 顎に直撃してたたらを踏む。

 突いた袖を掴まれそうになりバックステップする。

(危ねえ。普通に攻撃するだけでも掴まれると思うとプレッシャーが半端ねえ)

 もう一度刻み突き。

 直撃する。

 刻み突き。

 刻み突き。

 白い男の顔がみるみる腫れていく。

(そろそろか)

 刻み突きから右の正拳突きを放つ。

 大砲を待っていたのか正拳突きに合わせて右腕を掴む。

 左手は黒い男の左耳を掴む。

 勿論柔道では反則だ。

 しかし耳を掴むというのは野試合では有効だ。

 耳を掴まれると身体の自由を奪われる。

(やばいやばいやばい)

 右袖と左耳を掴まれて投げの体勢に入る。

 邪魔な右脚をタコ足で掴み払う。

「これが私の山嵐だ」

「なるほど試合じゃ使えねえわけだ」

 ぽつりともらす。

 唯一自由な左手で受け身をとろうとする。

 しかし投げの勢いが凄まじく地面に左手が着いた瞬間に肘から鶏の軟骨を外すような音が響いた。

 メシッともボグッとも聞こえた。

 受け身が失敗して頭から地面に落ちた黒い男の額からは夥しい血が流れていた。

 仰向けに倒れてる黒い男に白い男が覆い被さる。

 折れた左腕と首に腕を回して締める。

 肩固めだ。

 頸動脈が締まって意識が飛びそうになる。

──空手が他の武術と違うところは手の使い方だ

(誰の言葉だっけ)

──握れば正拳、裏拳、平拳、開けば手刀、背刀、掌底、そして貫手。まだまだあるが代表的なものはこんなもんかの。手という部位だけでこのようにいろいろな技がある。

(たしかじいちゃんの言葉だっけ)

 意識が朦朧とし始めたのかうわごとを言っている。

(早く落ちろ)

 白い男も焦っていた。肋は折れて肺に刺さり、顔はぼこぼこに殴られ視界は狭い。

 突然白い男が肩固めをといた。

 左耳に激痛が走ったからだ。

 左耳の穴からは血が流れている。

 黒い男の右手の中指が立てられていてそこに血がついていた。

 中指で耳を突いたのだ。

 ごほごほと咳き込む。

 深呼吸して肺にたっぷりの酸素を取り込む。

「はー死ぬかと思ったぜ」

 顔中血だらけで笑みを浮かべる様はまるで悪魔のようだった。

 白い男は恐怖した。

 ここまでやるのか。もう終わりでいいじゃあないか。

 腕は折れ、額からは大量の出血。肋も折れているはずだ。

 これ以上やらねば勝てないのか。これ以上やるということはその先は死だ。

 あの男は死ぬことも殺すことも厭わないのだ。

 その事実に恐怖した。

 自分も覚悟はしていた。しかしそこまでの覚悟ではなかったのだ。

「どうした、まだ始まったばかりだぜ」

 一歩、また一歩と近づいてくる。

 黒い男が左腕をブンと振った。すると折れていたはずの左腕が真っ直ぐに戻った。

「なんのことはねえ、ただの脱臼だ。だったら治し方はある。痛えのは痛えけどな」

 と笑みを浮かべながら言う。

 白い男は後ずさりながら尻餅をついた。

「なんだもう降参か。根性見せろよチャンピオン」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 自分を奮い立たせるように叫びながら立ち上がる。

「それでいい」

「うおおおおおおおおおおおお」

 叫びながら突進した。

 白い男は掴まえたらなんとかなると思っている。

 黒い男は左ミドル、三日月蹴りを放つ。

 蹴りが肋を通して肝臓にダメージを与える。

「ぐぅ」

 片膝をつく。

 その膝を踏み台にして逆足で膝蹴りを顎に当てる。

 シャイニングウィザード。

 白い男は仰向けに倒れる。

 黒い男は白い男の顔面に向けてとどめの下段正拳突きを放つ。

 白い男の前歯は砕けて意識を失っていた。

「俺の勝ちだ」

 二人の周囲を飛んでいるドローンに向かってそう宣言した。



『柔道の金メダリスト対野良の空手家の対決は下馬評を覆し空手家の勝ちとなりました』

 スーツ姿にサングラスの男がマイクで決着を告げる。

「ふざけるなー」「金返せー」「しかしいい仕合だったな」「そうですな」「あの男がここまでやるとは思いもよらなんだ」「今大会のダークホースになるかもしれませんな」

 かっちりとしたスーツ姿の男達は食事をしながら二人の戦いを画面越しに見ていた。

『次の仕合は三十分後ですのでトイレ等はその間に済ませておいてください。パレードはまだまだ続きますので』

 パレードと呼ばれた悪趣味な催し物は今もどこかで開催されている。



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