第2話 上を向いて歩こう

 いまから三年ちょっと前、竹柏なぎが小学校四年生のとき。

 クリスマスの買い物に箕部みのべに来たときのことだ。

 百貨店の一階の入り口の前が広場になっていて、そこに低いステージが作ってあった。

 サンタクロース色の服を着た「少女」たち、お姉さんたちが歌っていた。

 大人と変わらないようなお姉さんから、小学校でもいそうな感じのちょっと歳上のお姉さんまでいた。

 歌っていたのは、「赤鼻のトナカイ」だったと思う。

 でも、竹柏が「赤鼻のトナカイ」と聞いて感じる曲の感じとは、ぜんぜん違っていた。

 竹柏が知っている、学校の「合唱」ともぜんぜん違っていた。

 歳上の少女たちの歌声は、小さい竹柏の体に入り込んできて、おなかの底から首筋までを、かあっと熱くさせた。

 竹柏が動かなくなったからか、そこまで買っていたものが重くて、ひと休みしたかったからか。

 お母さんが

「聴いていく?」

と竹柏に聞いた。

 お父さんとお母さんをここで止めるのは悪いと思った。

 だから、「いや、いい」と言って、通り過ぎようとしたけど。

 足は止まったままだった。

 ちょうどいちばん前の列の左のほうにまとまって空いている席があったので、そこにお父さんと竹柏とお母さんで並んで座った。

 竹柏のすぐ前で、歳上の女の子たちが歌っている。

 おんなじ人間で、しかもおんなじ女の子なのに、こんな「声」、こんな「音」が出せるものなのかと竹柏は興奮した。

 これまで感じたことのない感じを、直接、体に起こさせるような「音」を。

 元気よく、力いっぱい、いちおう音程さえはずさずに歌えば「良い」と言われる学校の「合唱」とはぜんぜん別だった。

 曲は、そのあと何曲か続いて、「きよしこの夜」で終わった。

 サンタクロース的な服のお姉さんたちが、少し小走りに、その低いステージの後ろに出て行く。

 拍手は続いた。

 「アンコールあるのね」

と、お母さんは、自分は拍手をせずにゆったりと座っていた。

 やっぱり荷物を持って疲れてたんだな、と思ったけれど。

 やがて舞台に戻ってきたお姉さんたちが歌ったのは「ホワイト・クリスマス」だったと思う。

 たぶん、英語。

 曲の終わりのほう、曲はゆっくりになる。

 声を長く延ばす。

 そこから速さが戻るが、もとと同じ速さには戻らない。それでも、全員が、テンポと音程をぴったりと合わせた。

 最後の響きを延ばす。

 人数は、三十人くらいかな。

 それが、音を伸ばして、同時に止める。

 その「ホワイト・クリスマス」が終わって、そのお姉さんたちの一人が前に出て来た。

 「今年も、瑞城ずいじょう女子中学校コーラス部、瑞城女子高等学校合唱部シンギングバーズの合同演奏会においでくださいまして、ありがとうございました」

 そう言ってから、しっとりとお辞儀をする。

 ああ、と思った。

 「ずいじょう」という学校があるんだ、とこのとき知った。

 それから、どういうあいさつだったかは、よく覚えていない。たぶん、聴いていなかった。

 でも、そのあいさつの最後に

「では、クリスマスソングがネタ切れになってしまいましたので」

とそのお姉さんが言って、聴いていた人たちが笑ったので、竹柏も笑って、そのあいさつに意識が戻った。

 「最後、わたしたちがずっとたいせつに歌ってきた曲でお別れしたいと思います。もうすぐ新しい年ですが、新しい年が、涙をこぼさないようにがんばらなくてもいい、涙を流さなくていい年になりますように、と、祈って」

 そこで、ことばを切って、そのお姉さんは、曲名を言った。

 「上を向いて歩こう」

 拍手のなか、今日よりも長めの前奏のハミングに続いて、曲は始まった。

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