第9話 静かな朝の訪れ

森に朝の光が差し込み始めた。小鳥の囀りが微かに響き、冷たい夜気が薄れていく。焚き火の残り火がまだ小さく燃えており、その暖かさが微かに感じられる中、ミユキは目を覚ました。


ミユキは自分の身体を丸めて眠るタカシを見つめた。彼の疲れきった顔と、盗賊から奪った汚れた服を着ている姿に、胸の奥がじんわりと痛む。彼がどれほどの危険と犠牲を払って自分を守ってくれたのか、改めて実感する。


彼女はそっと膝を立てて焚き火のそばに座り直し、少しだけ自分の気持ちを落ち着かせた。そして、タカシの眠る顔に微かに笑みを浮かべながら、彼を優しく揺り動かした。


「……起きて。」


声はまだ小さいが、昨夜の震えたものとは違い、柔らかさと少しの安心感が含まれていた。


タカシの目覚め


タカシは軽く揺すられる感覚と、優しい声に促されて目を開けた。ぼんやりとした視界の中で、ミユキが焚き火の明かりに照らされているのが見えた。


「……ミユキさん?」


彼は目をこすりながらゆっくりと起き上がった。昨夜の疲労はまだ身体に残っていたが、彼女が先に目を覚まし、穏やかな表情でいるのを見てほっと胸を撫で下ろした。


ミユキはタカシに水袋を手渡し、そっと言った。

「ありがとう……本当に……。」


その言葉には、深い感謝とともに、どこか申し訳なさも滲んでいた。タカシは水を飲みながら、笑みを浮かべて答えた。

「俺のほうこそ、君が無事でよかった。」



二人の間に短い沈黙が流れるが、それは心地よい静けさだった。タカシは昨夜の出来事を振り返りながら、次に進むべき行動を考え始める。


タカシはまずミユキに視線を向け、穏やかな声で言葉をかけた。

「……おはよう。大丈夫か?」


ミユキは少し戸惑いながらも、タカシの問いに小さく頷いた。

「……うん、少しだけ。」

その答えには、ほんのわずかだが、昨夜にはなかった力が含まれていた。彼女が少しでも元気を取り戻し始めていることを感じ、タカシは安心した。


「よかった。少しずつでいいから、落ち着いていこう。」

タカシは立ち上がり、周囲の様子を確認するために焚き火から離れて森を見渡した。その中で、盗賊の死体に群がる虫たちの姿が目に入り、眉をひそめた。


ミユキもその方向に目を向けてしまい、一瞬で顔に強い恐怖の色を浮かべた。

「いやっ……。」


彼女の声が震えるのを聞き、タカシはすぐに戻って優しく肩に手を置いた。

「見ないでいい。俺が片付けるから。」


彼女を落ち着かせるように言いながら、タカシは急いで死体の処理を始めることにした。


タカシは盗賊たちの遺体から使えそうな物資を剥ぎ取った。汚れた袋の中には、乾燥した食料や簡単な道具、少量の薬草が見つかった。

「こんな状況でも、少しでも使えるものがあるのは幸運だ……。」

彼は遺体を火のそばから離れた森の奥へ運び、その場に置き去りにした。戻ってきたとき、ミユキが焚き火のそばで小さく身体を丸めているのを見て、改めて彼女の心の傷の深さを感じた。


タカシは焚き火を再び燃え上がらせ、手に入れた乾燥食料と水を使って簡単なスープを作り始めた。昨日のスープよりも少しは工夫ができ、香りもわずかにまともになった。


彼女に器を差し出しながら、タカシは柔らかく声をかけた。

「温かいものを少しでも飲むと、楽になるはずだよ。」


ミユキは少し戸惑いながらも器を受け取り、慎重にスープを口に運んだ。その目が僅かに穏やかさを取り戻しているのを見て、タカシは心の中で安堵した。


スープを飲む彼女に、タカシは軽く話しかけた。

「昨日より、少し元気そうに見えるけど、どうだ?」


ミユキは短く息をついてから、小さな声で答えた。

「まだ怖いけど……あなたがいてくれるから、少しだけ……安心してる。」


その言葉にタカシは静かに微笑んだ。

「よかった。それだけで十分だ。」


タカシはスープを飲み終えたミユキを見つめ、静かに口を開いた。

「俺のこと、ちゃんと話しておかなきゃな。」


ミユキは少しだけ視線を上げ、不安げな表情で彼を見た。彼女を安心させるように、タカシは柔らかな声で続けた。


「俺の名前はタカシ。26歳で、普通のサラリーマンだった。まあ、武術とか色々やってたけど、こんな世界で役に立つなんて思ってもみなかったよ。」

軽く笑いながらも、彼の目には真剣さが宿っていた。


彼のこれまで

タカシは異世界に来た経緯や、最初の孤独な時間を短く説明した。そして、ミユキと出会う前に盗賊と遭遇したこと、自分の力が不完全ながらも役立ったことを話した。

「俺もここに来てから、何が何だか分からなくてさ。でも、今は君と一緒だから、少しはやれることがあるって思える。」

彼はそう言いながら、優しくミユキに微笑んだ。


ミユキはじっと彼の話を聞いていたが、どこか緊張したままだった。それを感じ取ったタカシは、そっと言葉を続けた。

「ミユキさんも、話せる範囲でいいから教えてくれると嬉しい。でも、辛いことや思い出したくないことは無理に言わなくていい。」

その言葉に、ミユキはわずかに目を潤ませた。


ミユキは小さな声で口を開いた。

「……私も、日本からここに来たの。気づいたら森の中で……何も分からなくて、怖くて……。」


言葉が詰まり、彼女は一瞬目を伏せた。それでもタカシが黙って彼女の言葉を待っているのを感じ、再び話し始めた。

「……盗賊たちに捕まって……本当に、もうダメだと思った。あのとき、あなたが来てくれなかったら……。」

彼女の声は震えていたが、最後まで言葉を紡いだ。その表情には、タカシへの感謝と信頼が浮かんでいた。


タカシはそっと彼女の隣に座り、優しく声をかけた。

「ミユキさん、君がここにいてくれてよかった。これからは俺たち二人で力を合わせて、この世界を生き抜こう。」


彼女はゆっくりと頷き、小さな声で答えた。

「……ありがとう。」


焚き火の揺らめきの中、カップのスートが再び光を放った。直感的に、昨夜の処置がまだ完全ではないことを悟る。

「……まだ終わっていないのか。」


頭に浮かんだのは、処置を完全に終えるにはあと3回、しかもより長く力を注がなければならないという事実だった。昨日よりも踏み込んだ接触が必要だという現実に、タカシの心は重く沈む。


スートの光に気づいたミユキが不安そうな顔を浮かべた。

「タカシさん……今のは?」


彼女の目は恐れと疑念に揺れている。昨夜の力を見ていたため、何かが起こる予兆であることを察しているのだろう。しかし、その詳細までは分からない。


タカシはミユキの目を見て、言葉に詰まった。

彼女に再び屈辱的な状況を強いるかもしれないという思いが、タカシを苦しめる。昨夜の処置だけでも彼女の心に深い傷を与えた可能性があるのに、さらに踏み込んだ行為をしなければならない。

「……どうすればいい?」


頭の中で幾度となく繰り返される問い。それでも、彼女を守るためにはこの行動が必要だと理解している自分がいる。言葉に詰まるタカシ


ミユキの目がじっとタカシを見つめている。その視線が問いかけているかのようだ。

「どうしたの?さっきの光……何か分かるの?」


タカシは深く息を吸い、口を開こうとするが、声が出ない。言葉にすることで、彼女に再び苦痛を与えるのではないかという恐れが、口を重くしていた。


タカシはスートの光を見つめながら、深く息を吸い、意を決してミユキに向き直った。彼女の不安そうな表情が目に入るたびに、心が締め付けられるようだったが、それでも言葉を口にするしかなかった。

「……ミユキさん、さっきの光、あれはカップのスートの力なんだ。」


ミユキはじっと彼を見つめたまま、小さく頷いた。

「実は……昨夜の処置だけでは完全じゃないってことが分かった。」


彼は歯を食いしばりながら続ける。

「今日中にあと3回、しかも……昨日より長く力を注がないと、完全には安心できないらしい。」


その言葉が落ちると、二人の間に沈黙が流れた。ミユキの顔には動揺が広がり、目が僅かに泳ぐ。

ミユキは膝の上で手を組み、何度もぎゅっと握りしめていた。盗賊による屈辱的な行為が頭をよぎり、その感覚が全身に嫌な寒気を走らせる。それでも彼女は、タカシの真剣な表情から、彼が自分を救おうとしていることを痛いほど理解していた。

「……本当にそれしか方法はないの?」

その問いには、自分を守ろうとする気持ちと、彼を信じたい気持ちが入り混じっていた。


タカシは深く頷き、力を込めた声で答えた。

「……俺もこれ以外の方法を探したい。でも、スートの力が教えてくれる直感では、これが唯一の方法らしいんだ。」


彼は目を伏せ、拳を握りしめた。

「分かってる。君にとっては、すごく辛いことだ。俺だって……本当はこんなこと頼みたくない。でも、俺には君を守る責任があるんだ。」


その言葉には、深い誠実さと苦しみが込められていた。


ミユキは視線を下げたまましばらく考え込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。

「……私、ずっと一人で頑張ってた。でも……あなたがいてくれたから、ここまで来れた。」


彼女は顔を上げ、少し震えた声で言った。

「信じていいの?」


その瞳には不安が滲んでいたが、同時に彼を信じようとする強い意思が見えた。


タカシは彼女を見つめ、静かに頷いた。

「……もちろんだ。絶対に君を傷つけたりしない。俺を信じてほしい。」


その言葉が届いたのか、ミユキは微かに頷き、膝に置いた手を少し緩めた。


タカシはミユキの揺れる表情を見て、すぐに行動を起こすのは早計だと感じた。彼女の不安を取り除き、安心感を与えることが何よりも大切だと考えた。

「ミユキさん、焦らなくていい。君が少しでも落ち着くまで待つから。」


彼の言葉に、ミユキは小さく息を吐き、顔を伏せた。震える手を膝の上で握りしめる動きが、徐々に緩やかになっていく。


タカシは焚き火の火を少し強め、暖かな空間を作り出した。その間、二人は言葉を交わさなかったが、焚き火の音と揺れる光が少しずつミユキの緊張を解きほぐしていった。


タカシは優しい声で言葉をかけた。

「俺たち、これから一緒に進んでいくんだよな。お互いを信じて助け合っていけば、きっとこの世界で生き抜ける。」


その言葉に、ミユキは小さく頷いた。

「……うん。」


彼女の声には、わずかだが以前よりも力が戻っていた。


タカシは彼女の表情を観察しながら、慎重に次の段階に進むことを決めた。

「ミユキさん、そろそろ始めてもいいかな?君が辛くなったら、すぐにやめるから。」


彼女は少しの間考え込んだが、やがて静かに頷いた。

「……分かった。お願い……。」


その声にはまだ不安が残っていたが、タカシを信じようとする意志が込められていた。


タカシはカップのスートの力を感じながら、慎重に手を伸ばした。焚き火の明かりが二人を包み込み、森の静寂が緊張感をさらに強調している。

「ミユキさん、もし辛くなったらすぐに言ってくれ。」


彼はそう言いながら、手を彼女の腹部にそっと触れた。ミユキはその瞬間、全身を少し震わせた。

「……大丈夫、大丈夫……。」


彼女の声は小さく、かすれていた。表情には不安と恥ずかしさが浮かび、盗賊に襲われたときの記憶が頭をよぎる。それを振り払おうと、彼女は目をぎゅっと閉じた。

「私……大丈夫だから……。」


彼女の言葉には、自分を奮い立たせるような決意が込められていた。


タカシの手の中でカップのスートの力が発動し、温かな光が広がる。力が彼女の身体を包み込むと同時に、柔らかな癒しの感覚が彼女の心にも届いていく。

ミユキはその暖かさに、驚きとともに少しずつ緊張を解いていった。

「これ……不思議な感じ……。」


彼女は目を閉じたまま、小さく呟いた。その声は先ほどよりも安らぎを帯びていた。


カップのスートの力は単に身体の問題を解決するだけでなく、心にも影響を与える。恐怖や不安を和らげ、感情的な癒しを与える力が確かに働いているのをタカシも感じていた。


数分間、カップのスートの力が優しく彼女に作用し続けた。そして力が収束すると、タカシはそっと手を引き、深く息をついた。

「これで1回目は終わりだ。……本当にありがとう、よく頑張ったな。」

彼は柔らかい声でそう言い、ミユキを安心させるように笑みを浮かべた。


ミユキは目を開け、少し戸惑いながらも、ほんのわずかに微笑み返した。

「……ありがとう。タカシさんのおかげで、少しだけ……楽になれた。」

その言葉には、彼女が確かに癒され始めている兆しが感じられた。


処置が終わり、温かな光が消えると、タカシとミユキの間に沈黙が訪れた。焚き火の音だけが微かに響き、二人は互いに視線を合わせることができないまま、気まずそうにその場に座り込んでいた。


「……終わったよ。」

タカシが少し気まずそうに言葉を発したが、その声はどこか弱々しかった。彼は軽く咳払いをし、目線を焚き火に向けたまま付け足す。


「ありがとう、ミユキさん。本当に……。」

その声に含まれる感謝と申し訳なさが、ミユキの耳にもはっきりと伝わった。


ミユキは膝の上で手をぎゅっと握りしめ、何かを言おうと口を開いたが、言葉が出ない。顔を伏せたまま、頬がじわじわと赤く染まっていくのを自覚し、さらに恥ずかしくなる。

「……うん。私も……ありがとう。」

彼女はそれだけを絞り出し、ぎこちなく微笑みを浮かべた。だが、目はまだタカシと合わそうとしない。


一方のタカシも、彼女の赤くなった顔に気づき、慌てて視線を逸らした。自分の顔も熱くなっているのが分かる。

「くそ……俺も落ち着けよ。」

心の中でそう呟きながら、無理に平静を装おうとするが、焚き火の赤い光が彼の赤面を隠しきれない。


二人は焚き火を挟んで座り、互いに何か言いたそうにしながらも、完全に沈黙していた。

ミユキがそっと口を開く。

「……あの、タカシさんも……ちょっと顔、赤いよ?」


その言葉にタカシは反射的に顔を抑え、さらに気まずそうに笑った。

「そりゃ……慣れてないからさ。」


ミユキはその言葉に少しだけ安心したのか、ようやく視線を合わせた。そして、彼女もまた小さく笑った。

「そうだよね……お互い、慣れてないよね。」


そのぎこちない笑顔が、焚き火の光に照らされて、二人の緊張を少しだけ和らげた。

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