第8話 カップのエース
安心させるために声をかけたものの、その言葉を口にした瞬間、タカシの脳裏に盗賊たちが彼女に行った卑劣な行為がよぎった。
盗賊が彼女を襲っていた事実が頭から離れない。その後遺症が精神的なものに留まらず、身体的な結果をもたらす可能性を考えたとき、タカシの胸中は苦しみに満たされた。
「放置していいのか?いや、妊娠の可能性を考えれば、これ以上の悪夢を生ませるわけにはいかない……。」
だが、それを本人に直接確認するのは、彼女にとって更なる痛みをもたらすことになるかもしれない。深く悩みながらも、タカシはこの状況に向き合うしかないと決意した。
タカシは慎重に言葉を選び、焚き火の温もりの中でそっと問いかけた。
「……ミユキさん、つらいことを確認する。でも、大事なことなんだ。」
彼女は少し顔を伏せたが、タカシの真剣な表情に再び目を向ける。
次に言うべき言葉がタカシの心をさらに重くした。
「……もしかしたら妊娠の可能性があるかもしれない。でも、これから何ができるか、俺たちで考えよう。
全速力で街まで辿り着けば手立てがあるかもしれない。」
妊娠の可能性があるという現実に、タカシは深い葛藤に包まれる。彼女の身体と心を守るために何をするべきか。異世界の医療事情も分からず、避妊や対処の手段が乏しい状況が、タカシを追い詰めた。
「何か方法があるはずだ。絶対に諦めない……。」
タカシは自身の無力さを噛み締めながらも、今できる最善策を探ろうと決意した。
タカシの言葉を聞き、彼女――ミユキは事態の深刻さを完全に理解した。
その瞳には、タカシの告げたリスクへの恐怖が浮かぶ。
「嫌だ……そんなの嫌……!」
涙が溢れ出し、悲鳴にも近い声が夜の森に響く。彼女は震えながら身体を抱きしめ、地面に崩れ落ちるように座り込んだ。その姿は、今まで耐えてきた感情が一気に押し寄せているかのようだった。
タカシはその様子を見て胸が締め付けられる思いだった。
「……くそ……なんでこんなことに……。」
そっと肩を優しく触れながら、必死に安心させる言葉をかけた。
「大丈夫だ、俺がなんとかする。」
だが、その言葉の裏で、タカシ自身も深い怒りと悲しみに苛まれていた。この状況を作り出した盗賊たちへの憤り、そして自分の無力さへの苦しみ。それが渦を巻くように心の中を駆け巡る。
そんな中、突然タカシの手の中に温かい感覚が広がった。
「……これは……?」
カップのエースのカードが、いつの間にか手の中に現れていた。それは小さく輝き、タカシに何かを伝えようとしているかのようだった。
「回復の力……これを使えば、何とかできるのか?」
脳内に浮かぶ直感が、カップの力を利用できることを示していた。しかし、それには大きな問題が伴っていた。
カップのエースを完全に発動するには、彼女に長く触れ、力を注ぐことで身体を調整する必要がある。
「……これをやれば、彼女にさらなる屈辱を与えるかもしれない。」
タカシは顔を歪め、短剣を握る手に力を込めた。自分が選ぶ行動が、彼女にどれほどの痛みを与えるかを思うと、体が震えた。
「でも……今やらなければ、彼女の未来にもっと大きな傷を残すことになる。」
深い呼吸をし、彼女を見つめた。涙を流しながら啜り泣く彼女の姿を前に、タカシは決意を固めた。
タカシは彼女の肩に手を置き、優しく声をかけた。
「ミユキさん、聞いてほしい。俺にできることがあるかもしれない。でも……それには、君に辛い思いをさせるかもしれない。」
彼女は泣き腫らした目でタカシを見つめた。彼の真剣な表情に何かを感じたのか、わずかに頷いた。
「この力を使えば、もしかしたら何とかできるかもしれない。でも……君の体に直接触れる必要があるんだ。」
彼女の目が再び揺れ動き、不安と動揺が見て取れる。だが、タカシの言葉に込められた誠実さを感じたのか、彼女は小さな声で答えた。
「……お願い……助けて……。」
タカシはカップのエースの力を使い、彼女を治療する準備を始める。
力を発動し、身体的接触を最低限に抑えながら治療を試みる。
同時に、彼女の心がこれ以上傷つかないよう、できる限りの優しさを持って接する。
「……ひとつ約束する。」
タカシは静かに、しかしはっきりとした口調で言葉を重ねた。
「この処置は絶対に忘れるし、君に少しでも負担を与えないよう、全力を尽くす。」
彼女の目からまた涙がこぼれ落ちた。しばらくの間、彼女は声を出せなかったが、やがて絞り出すように小さな声で言った。
「……忘れてくれるなら……それなら……お願い……。」
その声は震えていたが、そこにはタカシを信じようとする意志が含まれていた。
タカシは深く息を吸い、そっと頷いた。
「分かった。ありがとう。君を絶対に助ける。」
手をカップのエースのカードに置き、静かに力を集中させた。その手が暖かさを帯び、彼の全身に癒しのエネルギーが広がる感覚が伝わる。
彼は心の中で強く決意する。
「これ以上、彼女に痛みを与えることは絶対にしない。」
タカシはカップのエースの力を手のひらに集中させた。温かく、柔らかな光が手元から彼女の腹部へと広がり、身体に優しく触れるような感覚を作り出す。
彼女は少し身を硬くしたが、痛みは感じないようで、目を閉じてじっと耐えていた。
力が徐々に流れ込み、彼女の身体の内部に回復の波が広がっていくのをタカシは感じた。カップのエースの力は彼の意志を反映して、妊娠の可能性を防ぐべく、身体を調整し始めている。
治療を行う間、タカシの頭には一つだけの思いがあった。
「彼女を救う。それだけだ。」
その思いが、力を一層強めた。彼の全身に温かい感覚が満ちると同時に、疲労感が次第に押し寄せてきた。
カップの力が収束し、彼の手の中から光が消えた。彼女は僅かに体を震わせながら目を開けた。その顔には安心と疲労が混ざり合っており、彼女自身も何が起きたのかを完全には理解できていないようだった。
彼女はタカシを見つめ、絞り出すように一言だけ言った。
「……ありがとう……。」
その声は小さかったが、彼女の本心が込められていた。だが、彼女の体は限界に達しており、感情を表現する余裕もなく、身体を丸めて再び静かに目を閉じた。
タカシ自身も力を使い果たし、全身のエネルギーが尽きかけているのを感じた。カップのエースの力を完全に使い切ったことで、身体には強烈な眠気が押し寄せる。
「……くそ、ここで寝るわけには……。」
そう思いながらも、瞼が重くなり、意識が揺らぎ始める。焚き火の暖かさがさらに眠気を誘い、タカシは限界を迎えた。
彼の目は半ば閉じかけていたが、彼女――ミユキの姿を確認するために最後の力を振り絞った。彼女は疲れ切った表情を浮かべながらも、タカシの服をきつく握りしめている。その手は微かに震えていたが、先ほどのような激しい動揺は見られなかった。
「……ありがとう……。」
ミユキがそう呟いてから、すぐに瞼を閉じた姿を見て、タカシは僅かに安堵の息をついた。彼女が休息を取ることで、少しでも心と体の回復につながることを願った。
彼自身もまた、限界が近づいている。意識を失う前の最後の思考が、彼女を守るための決意に満ちていた。
「俺がここにいる限り、もう誰にも……傷つけさせない。」
焚き火の暖かさが疲労をさらに深く誘い、彼の瞼は完全に閉じられた。静かな夜の空気に包まれ、二人は深い眠りに落ちていく。
森の中は焚き火のパチパチという音だけが響いている。夜空には星が瞬き、風が木々をそよがせる音が微かに聞こえるだけだった。異世界の夜は、彼らにとって一時的な安息の場を与えていた。
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