シダイクウニ……キス
碧月 葉
someday
濃紅色の川中島に、若菜色のシャインマスカット、蘇比色の刀根柿。
「フルーツ はやさか」の店内が一際華やかになるのは9月。
夏と秋の間のこの時期は「走り」「盛り」「名残」の果物のヴァリエーションが豊かなのだ。
新品種の洋梨にイラスト付きのポップを書いていると、お得意様の老婦人が声をかけてきた。
「まほちゃん、林檎はあるかしら」
「あ、高橋様いらっしゃいませ。申し訳ありません、今日はまだ入荷していないんです。来週には美味しい『つがる』が入ってくる予定です、もう少しお待ちください」
「そう。じゃあ今日はフルーツサンドだけにするわ。前回頂いた桃のサンドがとっても美味しかったのだけれど……」
「お待ちください。……なお君、『白桃とマスカルポーネ』すぐにできる? うん、よろしく……5分ほどで準備できますが、大丈夫ですか?」
「ええ、待っているわ。ここのフルーサンドは甘いものが苦手な孫息子も喜んで食べるのよ」
「ありがとうございます」
「それにしても、まほちゃん一人で本当に良くやっているわね」
「そんな、今はスタッフもいますから」
「まぁお店もだけど……それ以外もね、誰かいい人はいないの?」
「そうですねぇ、なかなか巡り会わなくて」
「あら、理想が高いのかしら」
「どうでしょう。店を続けてやらせてくれる、穏やかなイケメンがいたら最高なんですけれどね」
「ふふふ、分かったわ、素敵な人がいたら紹介するわね」
そんな会話をしていると
「店長、できました!」
アルバイトのなお君が、綺麗に包んだ白桃サンドをトレイに乗せてやってきた。
「まぁ、素敵。芸術品よ、貴方上手ねぇ」
確かに。
薄切り食パンの間に真っ白なマスカルポーネクリーム、中央には淡いピンクの桃が可愛らしく並んでいる。
なお君、家でも練習してるって言ってたし、本当に上達したなぁ。
「あ、あざっす」
恥ずかしそうに頭を下げるなお君。
師匠の私もちょっぴり鼻が高い。
「じゃあ、まほちゃん、来週また来るわね」
「お待ちしています。ありがとうございました」
「あざしたー」
「人のプライベートにズカズカと……余計なこと言うばあさんだね」
「そんな事言わないの。親切心で言ってくださるのよ」
高橋様が帰った後、なお君は悪態をついた。
最近の若い子は、立ち入った話題を嫌がるからな、気になったのだろう。
しかし意外にも、なお君はもう一歩踏み込んできた。
「……なぁ、まーちゃん、本当に結婚相手を探してるの?」
「そうだね、いい人と巡り会えたらね。このままずっと一人は寂しいとは思っている。一応この前、マッチングアプリに登録もしてみたの。でもさ、怪しい誘いしかなくて早くも諦めモードなんだけど」
「そっか…………。まーちゃん、俺、急用思い出した。帰っていい?」
「え、今から?」
「うん」
「仕方ないなぁ」
なお君は帰ってしまった。
高橋様の話が堪えた訳じゃないけれど、誰かと話をしていたい気分だったのにな。
忙しければ気が紛れるのに、こんな日に限って客足はまばら。
スマホが震え、雨雲の接近を知らせてきた。
空はどんより、気分もどんより。
今日はもうお店を閉めて、サウナにでも入りにいこうかしら。
表のプレートを「CLOSE」にして、店内の整理整頓していると扉が開いた。
「すみません、もう、閉店……ってあれ? 忘れもの?」
入ってきたのは、なお君で、なぜかピンクの花束を抱えていた。
彼はつかつかと私の目も前までやってくると、片膝をついて花を差し出した。
「まほさん、俺と結婚してください」
「…………くくくっ。ハハハハっ。なお君、面白いっ」
私はお腹を抱えて笑ってしまった。
「あのさ、マジなんだけど」
「またまた。なお君、高校生でしょう」
「18って成人だろ。就職だってちゃんと決まって、4月からは社会人になるし。それに、当然まーちゃんのお店は応援するどころか、休みの日は手伝えるし。最高の相手だと思うけど」
「もう、一体何歳離れていると思ってるの? 私、なお君のお母さんと変わんないくらいでしょ」
「だからなんだよ。まーちゃん以上に好きな人はもう俺の人生に現れる気がしないんだ」
思いがけず真剣な表情、その中に確かな熱が垣間見えて私は息を呑んだ。
それと……
ああ、既視感。
「あなた以上に好きな人って、もう私の人生に現れない気がするの」
19年前、私はバイト先の店長に告白した。
「何言ってるんだお子様が。……恋も愛もそんなに綺麗なもんじゃない、それが何だかも知らないだろ。まほは恋愛に夢を見過ぎ」
彼は笑顔で躱した。
でもね、私はそれでも諦め無かった。
結局付き合って、相思相愛になって。
「僕の所に就職する?」
ある日、就職氷河期の真っ只中、望むような勤め先がなくてため息をつく私に彼はそう言った。
「正社員として雇ってくれるの!」
喜ぶ私に、彼はトドメの一言を放った。
「うん。永久就職でどう?」
綺麗だったよ。
恋も愛も、あなたとの思い出は。
きらきらして愛しくて……だから苦しい。
「やだ、痔かもしれないね」
なんて笑っていたのにさ。
癌だって。
そして、あっという間に逝ってしまった。
あの時、あなたは37歳で私は19歳。
いつか見送る事になるだろうと心のどこかで思っていた。
でも、早過ぎた。
どんどん痩せっぽちになる、あなたを見ているのが辛かった。
泣いちゃだめ、と思うのに、涙が出ちゃって。
「泣かないで。僕は『
「何よ、それ」
「昔僕のじいさんが言ってたんだ。『死』ってさ、そこで終わりじゃなくて、体が元素に戻って自然に帰るだけなんだって。そして魂は、また別の肉体に宿り、新しい人生が始めるんだ。だからきっと、まほとは、またいつか巡り合うさ」
あれから18年……。
「『四大空に帰す』か」
懐かしくてつい口をついて出てしまった。
「え、何のキス⁈ ……まーちゃんが望むなら、俺どんなキスだって出来るよ!」
なお君は真っ赤になって叫んだ。
やっぱり、あなたとは似ても似つかない。
「もう、そんな話してないよ。思春期真っ只中なんだから。そんな子どもがプロポーズなんて、10年は早い」
「ったく子ども扱いして……今日は答え、聞かないけどさ。真面目に考えといてよ、時間がかかってもいいから。そして、花とコレは受け取って」
なお君は花束と一緒に小さな包みを手渡してきた。
「これは?」
「フルーツサンド。イチジク好物だって言ってただろ。まーちゃんが好きそうな感じにアレンジした力作だから、食べてほしい」
「それは……普通に嬉しいかも」
「良かった。 じゃあ、今後こそお疲れっした。また明日!」
そう言って、なお君は元気に走り去っていった。
まったく、あの子は……プロポーズした人のテンションじゃないでしょう。
窓から彼を見送る。
幸い雨雲は通り過ぎていったらしく、空にはあかね雲が広がっていた。
🌙
お風呂上がり、アールグレイを淹れ、なお君からもらった「イチジクのマスカルポーネサンド」の包みを開いた。
花が咲いたような美しい断面。
なお君、本当に上手になったな。
私より、綺麗に出来てるかも……
どれどれお味は……
口に含むと、涙が溢れた。
それは、お店で出すものよりラム酒が効いた、懐かしい……私が初めての恋に落ちたあの日の味だった。
シダイクウニ……キス 碧月 葉 @momobeko
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