第1話

 都立南ヶ丘高校には、2通りの通学路がある。

 ゴールデンウイークがおわり、まだ湿度の低い爽快な風が吹く5月。僕はその分岐点に立っている。

 左に曲がるか、まっすぐ行くか。

 それだけで、人の価値が分かってしまう。

 そして、ここで左に曲がる人間が、すごく価値のある人間なのだ。

 メガネに日本人の平均身長よりマイナス3センチ、デブではないけれど、ぽっちゃりフォルムの男子生徒が、近づいてきた。

「桜井殿は、なにをしておられるのですかな?」

 クラスメイトの新木だ。彼は僕と同じカーストにいる友達でだいたい一緒に教室を移動したり、お弁当を食べたりしている。

「いや、なんでもない」

「そういうとき、だいたいなにかあるのですぞ」

 僕は左の道を一瞥して、分岐点をまっすぐに進む。

「僕もあっちの道から通学してみたいな……と」

「あ~、『リア充ロード』ですな。分かります」

 左に曲がる道。通称『リア充ロード』。

 分岐点を左に曲がると学校まで遠回りになる。歩く時間が余計にかかってしまう。そんな『余計な時間』を一緒に過ごしたいと思うリア充が思いのほか多い。高校生活のなかにふたりっきりの時間をより多くしたい。彼、彼女らはそう考えているのだ。

 結果として、この道は多くの『リア充』が通学に利用することになった。そして、この道に『リア充ロード』という通称がついたのだ。

 反対に、今、僕らが歩いているのが、『非リアロード』だ。随分とひどい名前だなぁて思う。この道のメリットは学校に早く着くくらい。

「なら、引き返して、左に曲がりますか?」

「イヤだ。男同士で歩いても、おもしろくない」

「なるほど、それは、確かにそうですな~」

 左に曲がるときは、恋人と一緒じゃないと、意味がないじゃない。じゃないと、ほかのリア充から、浮くだろう。そんな目立ち方は、イヤだ。

 なにがなんでも、僕はここで左に曲がりたい。それも、女の子と一緒に。

 だって、でないと、僕に価値がないから。

 価値がなければ、水族館のときと変わらない。あのときのまま。邪魔なだけ。みじめなだけ。

 けれど、高校せいになってからも、うまくクラスで立ち回れなかった。失敗した。

 だから、新木といるのだ。 


 新木とたわいもない話をして、200メートルほど進む。地味に歩道が狭いのがイヤだな、と思う。

 目の前の信号が点滅し始めた。けれど僕らは走っても間に合わないので立ち止まった。なにより、信号を渡る前に、目の前にある生徒の集団を押しのけなくてはならないのだ、これはほぼ不可能だろ。

 信号に引っかかった生徒が僕らの前に、20人ほどいた。

 そんな中に、ショートボブで、校則のブレザーを羽織らずに、ダボっとした印象のベストを着た女の子が目に入った。スタイルがいい。

「あれ、仙石さん?」

 彼女に向けて、指を差す。新木はメガネをクイっとあげてからいった。

「ですね」

 仙石美雨は僕らのクラスのカースト上位、というかトップのグループの一員だ。僕からしたら天上人。

 彼女たちがいるだけで、教室に響く声は大きくなるし、心なしか明るくなる気がする。

 そんな人が僕の目の前にいる。『非リアロード』にいる。

 ということは。

「ねぇ、仙石さんって恋人いないのかな?」

 下世話だけれど、新木に聞いた。

「こっちにいるということは、そうなのでしょう?いや……、仙石殿に関しては、恋人と一緒に登校していないだけ、あるいは他校に恋人がいる可能性も否定できません」

「なるほど……。そういうパターンもあるのか……」

 再び、メガネの鼻あて部分を指で押し上げる。新木は意地の悪い顔を向けてきた。

「おやぁ、桜井殿は仙石殿に関心があるのですかな?」






 仙石さんとは4月に一度だけ話したことがある。入学後に新入生テストがあった。

「ねぇ、そのシャーペンと消しゴム貸してくれない?」

 まだ入学して3日しか経っていないのに、仙石さんはすでに制服を着崩していた。そんな人だったので、僕は気圧されてしまった。

「えっと……」

「シャーペンと消しゴム、3つづつあんじゃん?一組貸して?お願い。筆箱忘れてきちゃって……」

 受験生のころ、シャーペン消しゴムは複数持っていけといわれて以来、僕は3セットづつ持つことにしていた。

 それが、意外な形で役に立ちそうだった。

「いいよ……」

「ホント?ありがとう」

 そのときから、彼女が誰だったのか、どんな人か、気になるようになった。

 名前はその日に覚えたし、気が付くと目で追うことが増えた。

 けれども、交友関係を持つとかそういうのは、望めないだろう。

 だって、生きてる世界が全然違うから。

 見えているものが違う。

 感じているものが違う。

 なら、仲良くなるとか、まして恋愛とか、絶対にムリだろ。





「……ないよ」

 新木の質問に端的に答えた。

「ほほぅ。ですが、そのわずかな問から答えるまでの、タイムラグ。それが、答えなのでは?」

 うっかり、舌打ちしそうになったのを、すんでのところで抑える。さすがに、行動の品格が損なわれる。

「でも、仙石さんのことは、なんにもないから。僕なんかと釣り合うわけないって」

「あきらめないでください。自分は応援したいますので」

「だから、しないって。僕らに恋人ってものは、無縁だろ?」

「はて?『僕ら』?」

「えッ?」

 えっ?

 ……マジ?

「自分には恋人がいますが?」

「は?いつから?っていうか、なんでこっちにいる」

 非リアロードにいる?

「彼女は、部活の朝練があるため、登校時間が合わないので。下校は一緒のこともあるのですが」

「……お前に……彼女」

 恋人……。新木に?

 こんなこというのは失礼なのは百も承知。でも、そんなこと、ある?

 つまり、僕は、新木よりも――価値がない?

「信じられないと、いう顔ですな。けれども、ホントのことなのです」

「ははっ」

 世間的にみたら、僕は新木に劣ってるってことか。それは、なんだか心をえぐらる。正直同じカーストにいるのは、傷のなめあいくらいに思ってた。思ってたのに……。

「信号が変わりましたぞ」

 新木は横断歩道に向かって歩き始める。一方の僕はその場でフリーズしていた。信号が再び赤になってしまうくらいには、ずっと。

 新木はそんな僕を置いて行かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年1月11日 21:00
2025年1月12日 21:00
2025年1月13日 21:00

クラスメイトの仙石美雨と偽装カップルになることになった話 愛内那由多 @gafeg

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画