ケプラー星人とさくら

田島絵里子

第1話

  宇宙ドライブイン【虹】


 


 伊知郎は、つらかった。

 祝日が日曜日と重なったおかげで、宇宙ドライブイン【虹】の客は大盛況だった。

 銀河の端【猫のダンス】星の軌道上にあるこの店は、惑星にかかる小惑星群(アステロイド・ベルト)が太陽に反射して光の絵の具で描いたようになることから、その名がつけられている。






















「こんなところに来るんじゃなかった」

 つぶやく伊知郎エリメレクは、日系ケプラー星人である。茶色い薄毛、



焦げ茶の肌で、額のところに縫い目のような隆起があるごくふつうの異星人だ。ほかの客や宇宙トラック野郎たちは、この明媚な景色に感嘆し、

「ここには温泉もござるなあ」

「片付けしてるさくらちゃんヨー、可愛いヨー」

「泰三じっちゃんは相変わらずガンコちゃん」

 などと噂しあっているのだが、伊知郎は薄毛を乱し、頭を重く下げてビールを飲んでいる。

 彼は、この店に来てから酒以外は頼んでいなかった。宇宙船や宇宙トラックは自動航行だから、どのくらい飲もうと構わないのだが、少々身体の方が心配になってくるさくらである。さくらは他のテーブルの食器を片付けながら、伊知郎のほうをうかがった。伊知郎は、頬を赤らめてはいたが、酔いつぶれてはいないようだった。ケプラー星人はどうやら酒に強いらしい。

「おーい、給仕。ビールおかわり」

 伊知郎が、ロボットの虹子を呼んだ。会計兼配膳ロボットの虹子は、ピコピコ言いながら伊知郎に近づく。彼女の頭にある二つのアンテナが、クルクルまわっている。

「おじいちゃん、あの人だいじょうぶなのかな」

 さくらは、泰三のいる厨房に入ると伊知郎のほうを指した。客の予約を取っていたのかスマホをしていたじいさんは、それを切ると、気難しい顔でチラリと伊知郎を見た。

「だれかを待っておるんじゃの」

 ひとり言のようにつぶやいた。

「今日はめでたい宇宙連邦設立記念日じゃ。おそらく、地球から来る友だちと、待ち合わせておるのじゃろう」


「わざわざ地球から来るなんてよほどの物好きね」

「さくら、この店の客は、みんな傷を抱えており、それを癒やすためにここへ来るのじゃよ」

 さくらは、好奇心がそそられるのを感じた。

「おじいちゃん、あの人、だれを待ってるのかな……」

「やめておけ。わしらは料理と温泉で、心の傷を癒やしてもらうことに専念すればよい」

 そうは言っても、まだ十歳のさくらには、そんな難しいことはわからなかった。あのおじさんの悩みを聞いてあげたら、お酒もほどほどになるのではという思いがこみあげてくるのである。

宇宙通信が入り、入店許可を求める女性客がさくらのスマホに出てきた。宇宙ドッキングベイから現れた彼女は、天井をわたる氷虹を見て歓声をあげた。さくらは黒い板を差し出す。

「ご注文は、タブレットでお願いします」

 タブレットを受け取ったその女性は、伊知郎の正面に座り、自分の頭を覆っていたショールを脱いだ。頭に縫い目の隆起が入っている。

「令子」

 伊知郎は、小さく声をあげた。

「伊知郎、まだ待ってたの? とことんお人好しね」

 令子と呼ばれた女性は、妙に色っぽくそう言いながら、微笑んでいる。

「来てくれないかと思ったよ……」

 伊知郎は、絞り出すように言った。

「来たくはなかったわ。でも、遠回りになったとは言え、ここが宇宙一ステキな航路にあるっていうことは、宇宙連邦【猫のダンス】編のガイドブックにも載るくらい有名ですもの。一度は来なくちゃね」

 女性はアルト系のクールな声でそう言い、タブレットに目を走らせた。

「ここにはナシゴレンはないのかしら」

「インドネシアの焼きめしか。やめてくれ、また蒸し返すつもりなのか?」

 伊知郎は、頭をかきむしった。薄毛がもじゃもじゃと盛り上がる。

「あの……」

 そばで聞いていたさくらは、つい好奇心に負けて口を挟んだ。


「いったい、どういうことなの?」

 令子は、驚いたように振り向いた。

「アンタ誰」

「この店の孫娘、さくら」

 令子はふーん、とうなずいた。そして子どもが相手だと思ったのか、優しい笑顔を見せた。

「この人はねえ、銀河系の中心に店を構えていたんだけど、あろうことか婚約者の私にナシゴレンを食べさせて、食中毒にさせたのよ」

 言い放った。伊知郎は、真っ青になった。

「……あれっきり、店は閉め……」


「そんなので私が納得すると思う? ちゃんと謝罪してよ」

「カネならいくらでも……」

「私をそんな女だと思ってたんだ。がっかり」

 憐れむような令子の言葉に、伊知郎はうなだれた。隆起している縫い目が、ぴりぴりと動いている。

「あなたには、もう、ほかにやることは思いつかないのね」

 令子の追い詰めるような言い方に、さくらはキッと背を伸ばした。

「そんな言い方ってないよ。あなたが来るまでこのお客さん、待って待って待ちくたびれて、ビールを二十杯も飲んだのよ?」

「なら、考える時間はたっぷりあったよね。どうすれば、私が納得するか」

 さくらは必死で考えた。

「どうすりゃいいんだ」

 伊知郎も、途方に暮れている。対する令子は、意地悪な笑みを浮かべて待っている。

「本当なら、ここに来る義理はないの。でも、私はまだ希望を持ってる。なんとか昔のあなたに戻ってほしいのよ」


へべれけ寸前の伊知郎に対して、非難のまなざしを送る令子。さくらはいいアイデアを思いついた。伊知郎の方を向く。

「ね、おじさん。うちの厨房に来ない?」

 頭を垂れ、うつろな目差で宙を見ていた伊知郎は、ふしぎそうな目になった。

「どうして?」

「いいから来て」

前代未聞なのだが、さくらは構っていなかった。おじいちゃんが料理をしている厨房に、伊知郎を連れてくる。

 泰三は、プンプン臭う異星人を見て眉をしかめた。

「ここは食堂だ、飲み屋じゃないぞ」

 つむじを曲げたら、もう、聞く耳を持たない性格の泰三である。あわててさくらは、事情を説明した。

「ふーん。だからなんだ」

 泰三は、隆々たる腕を組んでいる。少しは心を動かされているようだ。

「ナシゴレン。このおじさんが、あのおねえさんに作ってあげたらいいなって」

 

 ふらりと伊知郎は、よろめいた。泰三は、コブのように眉根を盛り上げている。

「今か?」

「お客さんがいっぱい来てるけど、お願い」

 さくらは、両手を合わせてお願いした。泰三がなにか言う前に、伊知郎が、ゴツゴツした焦げ茶の手を振って叫んだ。

「ムリだよ。あれから料理をするのが怖いんだ」

 泰三は、雷のように一喝した。



「バカもん!」



「ひゃっ!」

 さくらも思わずカメのようになった。

「なぜ、恋人の気持ちをわかってやらんのだ。あの娘は、君に立ち直ってほしいと願っておるに違いないのじゃ」

「なんでわかるんだ」

「女とは、そんなものじゃ」

 ホントだろうかという目になる伊知郎。泰三は、ひとりでうなずいている。

「心というのは、なかなかに複雑じゃのう」

「令子に聞いてくる」



「バカもん!」


 店中に、怒鳴り声が響き渡った。客たちが雑談をやめて、厨房を振り返る。ひそひそ声がしてきた。

 令子は心配そうだ。席を立ち、厨房に入ってきた。泰三が不機嫌な目を向けると、彼女は言った。

「この人、もうダメなんです。酒に溺れて料理人としての腕も落ちてる。期待したけど失望したわ」

 伊知郎は、オーロラのように顔色が変わった。


「令子、おまえまで俺をバカにするのか」

「バカにされて当然でしょ。やることもやらないで、甘えるんじゃないわよ」

 このおねえさん、厳しい! さくらはこっそり逃げたくなったが、伊知郎が逃げていないのを見て考えを改めた。まだ望みはあるかも!

「ガラムマサラあるか。俺の絶品ナシゴレンを食べさせてやるぜ!」

 伊知郎は、剥き出しの腕をさすっている。どうやらヤル気に火が点いたようだ。さくらは胸が高鳴るのを感じた。この店はガッツリ系の洋食屋なので、ナシゴレンのような地球のアジア料理は出していない。どんな料理なんだろう。

 泰三は、うっそりとうなずいている。

「ガラムマサラか。カレーに入れるスパイスだな」

「あるのか?」

「――ない」

 ガクッ。

 肩を落とした伊知郎に、さくらは思わず笑ってしまった。うらめしそうな顔になる伊知郎。さくらは機転を利かせた。

「そうだ、お客さんの中に、持っている人がいるかも」

 宇宙トラッカーは、いろいろな荷物を運ぶ。いちばん有望なのは、なんでも屋の異星人、岩悟(いわご)ハディールである。さくらは伊知郎を連れてとって返し、この怪獣そっくりの異星人のところへ話しかけた。


 唐揚げをむしゃむしゃ食べる岩悟は、それを聞くと硫黄臭い息をついた。

「じゃあおれにもそのナシゴレンってヤツ、食わせてくれるのか?」

 興味深そうだ。

「どうだろう」

 さくらは少し、ためらっている。岩悟の食いっぷりは、伝説的だったからだ。焼きめしぐらいで満足してくれるとは思えない。

「伊知郎さんと言ったな。おまえ、女の手玉に取られてるんじゃねーか」

 岩悟がからかうようにそう言った。伊知郎は、顔が真っ赤である。

「なんにせよ、今運んでる荷物の中には、ガラムマサラはないね。だいたい、この二〇〇周年の宇宙連邦設立記念日に、カレースパイスなんて運ぶバカはいねーよ。やっぱり運ぶなら、フレンチフルコースの材料とかケーキとか、芸術の星【弁天】の飾り付けとか花火とかじゃねーの」

 岩悟の言った通りだった。ほかの客たちも、ガラムマサラなんて持ってないと、口を揃えて言うのだ。

 考えてみれば宇宙連邦設立記念日ともなれば、遙か彼方の地球では、夜の道を神社などにおまいりに行く人々が列を成してかがり火の中を歩き、射的、フランクフルト、鮎の姿焼き、ベビーカステラ、ジュースやワインなどを宵(よい)から深夜にかけてふるまう屋台が現れる。少し官庁に近いレストランでは、フレンチフルコースやイタリアン料理で名を馳せた人々がその腕を競い合い、家々には各星のイルミレーションが、まるでクリスマスのように煌めくのである。そんな特別な日に家庭内で使用するようなスパイスなど、合いそうになかった。

 そこに思い至った伊知郎は、すっかりしょげてしまった。

「なんてツイてないんだろう。せっかく令子とよりを戻せると思ったのに」

 アルコールが抜け、しおしおと、厨房に戻っていく伊知郎を見ながら、さくらはかける言葉もなかった。そっと背中に手をやってさすってあげる。

 もう、どうしようもないのだろうか。このまま、おねえさんはおじさんとケンカしたままなんだろうか。ああ、うちにガラムマサラさえあれば、ナシゴレンが作れるはずなのに。

 伊知郎は、厨房に入るなり、令子の前に土下座した。

「済まなかった! ナシゴレンは作れそうにない」

「あなたはすぐ、諦めるのね。そういう性格を直して欲しかったのに」

「だけど、どうすればいいんだ? 心当たりは、すべて当たった……」

「あら、それは本当かしら?」

 伊知郎は、顔を上げた。

 そして、みるみる喜色満点になった。

「令子……!」

「あなたが本気で何かに取り組む姿を、しっかり見せてもらったわ」

 ガラムマサラの瓶を、ポケットから取りだしながら、令子は少し笑っている。

「最後まで諦めないこと。あなたには、それが必要なの」

「ありがとう……令子……!」

 万雷の拍手が背後からとどろいた。ギョッとして振り返ると、お客さんが全員、手を叩いて喜んでいるではないか。

「……おじさんたち、ワザとトボけたのね!」

 さくらが怒って見せると、岩悟が鱗だらけの手をもみながら、

「LINEで頼まれたんだ。またあの名店のナシゴレンが食べられるんだぜ、じっちゃんに協力して当然じゃねーか」

「ひどい」

 と言いつつも、さくらは笑ってしまった。


 昼食のナシゴレンは、とても美味だった。コメはパラパラで、カレー風味の味付けとピッタリマッチしていたし、エビもぷりぷりしていて歯ごたえがある。さすが銀河系の中心で店を構える人間の料理だ。

「これで自信がついたじゃろう」

 泰三は、夢中で食べる客たちを見まわしながら、満足げに伊知郎に言った。異星人は、頭を下げて礼を言った。

 二人は、意気揚々と立ち去って行く。

「うちの店にも、牛丼とか餃子とか、出してみようかな」

「インドネシア料理店に牛丼?」

 令子は噴き出してしまう。

「泰三さんお墨付きとなったら、客の入りも期待できそうだ」

 伊知郎は、令子の腕を取った。

「今後も、よろしくお願いします」


 

 宇宙ドライブイン【虹】は、今日も盛況だ。

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ケプラー星人とさくら 田島絵里子 @hatoule

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