ep.48 卵の溶き方からして違う

 翌朝、起きてすぐ、【歩いてくボックス】に食料を入れっ放しであることに気付いた。


 かなりの量をもう既に消費、というかベーコンに加工していたのだが、それでもこのまま腐らせてしまうのは惜しい。


 とはいえ、無理に食べるのも身体に良くない。保存食にしようと考えている。


 ということで、ホテルでモーニングセット風の朝食を済ませ、早速、みんなで外に出掛けた。


 途中、食品関係の店を覗きつつ、少し距離のある南門を抜け、【歩いてくボックス】を置いてあるところまで戻ってきていた。


 今回はさすがに、盗賊連中が転がっているということはなかった。そうそう濡れ手で粟とはいかんようだ。


 それでも、保冷庫を開けてみると、お目当ての食料はまだ鮮度を保ってくれていた。よかったぁ。


 そもそも一週間くらいは保つと言われていたものだ。あれからまだ五日、当然と言えば当然なのだが……まあ、この辺は実際に試してみなければわからないことでもあるからね。


 まあ、なんにしろ、予定より早く到着できたことが幸いだったな。


 とはいえ、買ってからもう五日も経った食材だ。


 今回は、そのままフリーズドライにするのではなく、この食材を使って調理した料理をフリーズドライにしてみようと考えている。


 お湯で戻して、さっと食べられるフリーズドライの料理、旅先で重宝しそうだ。朝、寝ぼけた状態で、しち面倒くさい支度をせずに済むのは助かる。


 それに、スプライトたちにも持たせておけば、もし仮に俺が居ないときでも安心だ。お湯さえ沸かせば、満足な食事を摂ることができる。うん、是が非でも用意しておきたい。


 フリーズドライといっても、手抜きとは言わせない。なにせ自分の手で調理したものを更にフリーズドライ化するのだから。むしろ、一手間余分に掛かっているわけだしな。


 とはいえ、一回一回の調理や片付けに生じる手間を、まとめてやることで省略できるから、楽は楽。


 余裕のあるときに前倒しにして、いざというときの手間を節約する。できた時間を緊急性の高いものに有効活用すると考えればいいさ。


 旅に危険が伴うこの世界にあって、フリーズドライ料理は、下手な護衛より貴重な存在になりえる。のんびり料理なんかをしている場合じゃないことだって、十分ありえそうだからね。


 まあ、今のところ、毎食フリーズドライの食事にしなければならないほど、危急を感じていたりはしないのだけど。ただ、事前準備は怠らない。そのときになって慌てても阿呆らしいからな。


 とりあえず、定番で飽きのこないものをいくつか作っておこう。


 実はパイナップルの瓶詰めが置いてあった食材店で、いろいろと調味料を見繕っておいたのだ。


 異世界だからといって、味噌や醤油がない世界ではないからね。まあ、普通に店先に並んでいたのには驚いたけど……。


 発酵食品の元になっている酵母菌や乳酸菌などは、地球であれば、空気中であろうが、水中だろうが、それこそ至る所に存在している。


 だから、むしろ、この世界にもあって当然なのかもしれない。同じような人類が暮らす世界、生物の進化の過程もある程度は似通った部分があっても、別におかしなことではないわけで。


 ましてや、細菌などは数え切れない菌種がある。その中でも人族にとって有用な菌を放置し、利用していないことの方が、むしろ、不自然だ。菌の代謝作用による副産物として得られるアルコールや有機酸を見逃す手はないのだから。


 とはいえ、味噌や醤油、そして、俺の大好きな日本酒、それらの醸造に欠かせない黄麹──このニホンコウジカビ、元の世界では生息していたのって、アジア圏のかなり限定された狭い地域だった。こうした知識が邪魔していたせいで、こちらの世界には無いものと勝手に思い込んでいたのだ。


 でも、クリークビルの鉄板料理屋でアリエルと日本酒を飲んだときに気づくべきだった。同じ黄麹を利用した味噌や醤油がないはずがないと。


 そうだよ。なんだかんだで焼酎も飲んでたやないかい! あれも黒麹か、改良された白麹で造られたものだろうに。


 抜かったわ! 日本酒や焼酎と言語変換された時点で麹の存在に気づくべきだった。


 まあ、あのときはアリエルとの別れを惜しむあまり、その反動で色々と舞い上がってた記憶もあるから仕方ないか。


「むぅ」


 あはは、スプライト、そう膨れるなって。俺の抜け作は今に始まったことじゃないだろ? これからは、俺の故郷の料理をもっと色々と出してあげられるから。


「……」


 はあ、またしても、あらぬ方向へ話が逸れてしまった。


 こちらの世界の職人さん、ニホンコウジカビと同等の菌を選別してくれてありがとう。助かったよ。


 ニホンコウジカビというのは特殊だ。非常に強い分解能力と産生能力に富むからね。


 なにしろ、炭水化物やタンパク質を分解するだけでなく、セルロースまで分解するし、ビタミン類を始め、なんと抗生物質までも生成してしまうというのだから驚きだ。


 胃腸薬にも使われている分解酵素ジアスターゼも、最初はこの菌から抽出されたものなんだよ。


 さすがは職人さん、研究者さん、頭が下がる思いだ。ありがとう。そして、麹菌、ありがとう。


 これで料理の幅が広がる。


 そして、作りました。味噌汁のフリーズドライを。……うん、定番だからね。いやいや、余った肉を使えっての。そのために、やってきたのだから。


 ははは、いろいろ作りますです、はいはい。ここに来る途中、追加の野菜とか、他の食材なんかも仕入れてきたからね。


 まずは、親子丼とカツ丼──卵とじ系のどんぶりだ。


 料理をしない人は知らないだろうけど、親子丼とカツ丼を作る際、卵の溶き方からして違う。


 親子丼の場合、生卵の白身だけを切るようにかき混ぜてから、黄身を崩し、全体を軽く混ぜ合わせた方が美味しくなる。まあ、普通の卵の混ぜ方でいいということだ。


 でも、カツ丼の方は、まずは生卵の黄身と白身を分けてしまう。


 そして、白身だけしっかりと腰がなくなるまで溶く必要があるんだ。でないと、カツの衣を覆えない。


 溶いた卵白を少しだけ卵黄に戻し、軽く混ぜたものを具全体の上に掛けていく。


 そして、最後が肝心なポイント──残った卵白をカツの上に膜を張らせる目的で、そっと乗せていくように掛けてやるのがコツだ。


 腰が残った卵白だと、ずるっとカツの上から滑り落ちてしまう。こうなると、カツが卵白で覆われずに、カツ丼らしさが半減してしまう。


 白身でカツを覆うことが、なによりも大事だよ。普通に混ぜた卵だと、卵全体が薄い黄色になって、カツ丼感が失せちゃうからね。


 具に掛ける溶き卵に対する火の通し方にしても、全く違う。


 親子丼の場合には、終始、出汁たっぷりの汁だく状態にすることが肝心だ。


 薄く刻んだタマネギに火が入るまで少し弱火で煮るのは、どちらも一緒。


 タマネギに色が付き、後から加えた鶏もも肉にも火が入ったら、強火に変えて、煮立たせた瞬間に、さっと溶き卵を加える。鍋を揺すりながら、短時間で卵に火を軽く通すのがポイントだ。


 余熱で火が入ることも考慮し、半熟よりもずっと手前の生感が少し残る程度で火から下ろそう。なので、親子丼の場合には、ご飯は先によそっておくことも肝心だよ。


 親子丼を作って失敗する原因は二つ。


 一つ目は、汁を少なめにしたせいで、卵に火が通りすぎ、鍋の底にくっついて焦げつくほど硬くなってしまうケース。


 二つ目は、一つ目の失敗をした人が、焦げ付くのを怖がって、強火にできず、かえって弱火でいつまでも火を通しすぎて、これまた卵が固まってしまうケースだ。


 どちらも親子丼のとろとろ感が失われる。


 ご飯の入ったどんぶりの上に、するっと具を移せるくらいでなければ、汁が少なすぎ……次回作るときにはもっと多めの出し汁でやってね。


 これとは反対に、カツ丼の場合には、たっぷりの汁だくの状態にしすぎてしまうと失敗するケースもある。


 勘違いしている人が多いみたいだけど、カツ丼の具の部分というのは、カツ煮とは違うんだ。


 カツ煮は、親子丼のカツバージョンね。つゆだくなの。


 これとは違って、カツ丼の溶き卵の方は、蓋をして火を通し、しっかりと白身を固めるのがポイントになる。


 焦らなくても大丈夫。弱火でじっくり火を通してあげて。卵白の膜をカツの上にきれいに張らせよう。半生はダメだよ。


 蓋をする関係上、汁があんまり多すぎると、卵が蒸気で膨らみすぎちゃうんだ。笑えるくらいへんてこになるからね。一度失敗してみるのもいいかもしんない。


 膜が張ったら、蓋を取って蒸気を逃がす。


 焦がさない程度であれば、多少長く煮ても平気なので、料理慣れしていない人にとっては、カツ丼を作る方が簡単に感じるかもしれない。


 逆に料理慣れしている人にとっては、強火でさっと調理できる親子丼の方が楽に感じるはずだ。


 そうそう、親子丼に入れる鶏もも肉は、できるだけ小さく切っておくことも大事──大きいと火が通るのに時間がかかりすぎる上、均等に火を入れる調整が難しくなる。火を通しすぎると、旨味が外に抜け、身が縮んで硬くなるだけだから。なにより、具が大きすぎると、口に運ぶ際、卵と肉とのバランスが崩れて、味や食感が一段落ちてしまうんだ。


 さっと手早く仕上げるためにも、手指の爪くらいの大きさに切っておく。小指の爪のサイズから親指の爪くらいまでならOKだ。かと言って、ミンチは火が通りすぎて固まりやすいから、おすすめできない。


 小さく切った鶏肉は火が通りやすいから、火にかけるときは手早くね。


 逆にカツ丼の場合は、少し煮込んだ方がいい。煮込む前に、カツを鍋に並べたら、先に出し汁を上からも掛けて、衣の上側にも出汁を充分に吸わせておくことも忘れずに。


 親子丼の煮汁がすごく多めというだけであって、カツ丼の煮汁にしても、カツの上に汁をかけて湿らして余りあるくらいでないとダメ。


 どちらも溶き卵をかけて、煮るのだから、焦げつきやすいほど少ないのは、もってのほかだ。親子丼よりは少なめ程度と考えておいた方がいい。


 こんなことに注意しながら、親子丼の具を作ってはフリーズドライにし、カツ丼の具を作ってはフリーズドライにしていった。


 おまけに他人丼の具も作ってフリーズドライに。


 他人丼は、親子丼の要領と一緒。


 こちらは出汁が薄めでも、豚肉のコクで補えるから、比較的塩分が多くなりがちなどんぶり物の中にあって、多少は塩分を控えられる。ある意味、失敗知らずで一番楽ちんかもしれない。


 その後、やっとこせ手に入れた米も炊き上げた。短粒米だぞ。


 あまりのご飯の懐かしさに、少し味見をしてしまった……。こちらも一人前の小分けにして、具とは別にフリーズドライにしておく。


 続けて、牛丼の具、豚汁、肉じゃが、野菜スープ辺りを拵えて、フリーズドライにしておけば、当面の携帯食としては問題ないはずだ。


 これからも補充できるものは、思いついた順に逐一追加していこうと思う。


「しかし、まめよね。美味しいものが食べられるわけだから、もちろん文句はないけど。それにしても、拘りすぎ……」


「いやいや、こんなの拘りのうちに入らないって。失敗して不味いもの食べなきゃならないのが嫌だっただけだから。それにちょっとコツ掴んで、多少食べられる程度になった途端、その後は工夫しなくなっちゃったからね」


「ふ〜ん、そういうものなの?」


「うん、そうなの。工夫をずっと続けて、上達し続けていくのがプロ。俺みたいにある程度で満足して、腕が止まっちゃうのがアマチュアってところかな。その積み重ねの違いなんじゃねえの。まあ、だからこそ仕事で金を取るのは大変なんだよ」


 ただな。アマチュアってのは好きでやってる奴がほとんどだ。仕事を嫌々やってる奴なんかより、実は早くコツに気づきやすい。


 俺なんかと違って、好きが高じてずっと突き詰め続けているセミプロみたいのもいるわけだしな。


 そうした連中よりも最低でも一つは上に抜けてなければならないんだから、プロは大変だよ。


「まあ、なんにしろ、俺の料理なんてのはその程度だ。他の分野でも疑問に思うことが多すぎてな。他に興味が移っちまうから、なんでもかんでも中途半端なんだよ、俺の場合。悪い癖だ」


 ……いや、それも嘘か。自分に才能がないことを思い知らされたくないだけだな、きっと。無意識にブレーキが掛かってる。


 壁をいくつも乗り越えた末、更に努力し尽くしても、乗り越えられない壁があるのを認めたくないから……人には絶対にできないことが……確かにあるから……。

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