ep.47 生の方が好ましい
割れやすい瓶詰めは旅には不向きだぞと話してやったせいか、はたまた他にも甘いものがあるかもなと言ったせいなのか、パイナップルの瓶詰めのお買い入れは、ほどほどな量になった。
まだ見ぬ美味しいものへの期待が膨らんでいる感じ。食育も順調だ。
本来、パインは加熱殺菌されている瓶詰めよりも、生の方が好ましいからね。加熱すると、薬効成分であるブロメライン、その酵素作用が不活性化してしまうという話だった。
前の世界では、咳や痰を予防する薬に、確かパイナップルから抽出して製造されているものもあったはずだよ。
ブロメラインというのは、タンパク質の分解酵素だ。まあ、料理本なんかでは、ブロメリンと呼ばれているんだけど……。
いわゆる、酢豚にパイナップルを入れると、肉が柔らかくなるってやつだ。料理をしない人であっても、酢豚にパイナップルを入れるのは、有りか無しかの論争を、一度ぐらいは耳にしたことがあるだろう?
生のパイナップルは、食べた後に口の中がひりひりするから嫌いという人もいる。それも、この酵素が口内のタンパク質を分解してしまうせいだったりする。
酢豚にパイナップルを入れる理由も、豚肉のタンパク質を分解して、消化吸収しやすく旨みも感じやすいアミノ酸に分解するためだ。
だから、パイナップルを他の野菜と一緒に炒めるのでは、全く理に適っていない。
缶詰のパイナップルを入れるのも無駄。腐敗防止のために加熱処理された缶詰では、消化酵素の活性が既に失われているからね。入れる意味がない。
パイナップルを入れても、味が全然変わらない、もしくは美味しくならないと思っている人の多くが、この辺を勘違いしているのかも。
肉と一緒に炒めるどころか、肉に片栗粉を付けて揚げる前、肉に下味をつける段階にこそ必要なんだ。生肉と生のパイナップルを一緒にして、ある程度の時間置いておかなければ、タンパク質が分解されないからね。
ここまで言ってなんだが、俺は酢豚にパイナップルは入れない派だ。
だって、生のパイナップルってのは、食べてみないと酸味がわからない。
いちいち試食してから、酢とのバランスをその都度調整するなんてこと、素人の俺にはできんの。つうか、めんどくさい。
それに、酢豚のためにわざわざ丸のままのパイナップルを買ってくるのも、どうかと思う。最近はスーパーでもカットフルーツとして小分けで売ってくれるようになったから、利用してもいいのだけれど。既に異世界、もう遅い。
そう、異世界なんだ。
この世界での集落を繋ぐ街道の多くは、舗装されていない。長旅では土埃を吸い込んで、なにかと喉や肺、気管支などの呼吸器系に負担がかかっているはずなんだ。
生のパイナップルを探していたのも、咳止めと痰予防に丁度いいと思って……。いや、風の守護結界があるから、その辺は心配要らねえのか。
いやいや、それだけじゃないから。加えて、糖分やビタミン類も豊富で、新陳代謝を促してもくれるから、疲労回復にはもってこいの食べ物だ。
旬のパイナップルをこの子たちに生で食べさせてやりたかった。うん、生はいい。
不活性化といえば、ブロッコリースプラウト──「え、なに?」──『いや、呼んでない。おまえのことじゃないよ、スプライト』
……えっと、なんだっけ? ああ、そうそう、ブロッコリースプラウト、つまり、ブロッコリーの新芽に、豊富に含まれると言われているスルフォラファンのことを思い出したんだ。
実は普通のブロッコリーにもスルフォラファンが含まれている。だけど、茹でたり、レンチンしたりすると、スルフォラファンも熱で不活性化してしまう。
でも、こちらは再活性化させる方法を研究者さんが捜し当て、テレビなんかでも紹介してくれていたのだ。
ブロッコリーと同じアブラナ科の辛子だとか、大根おろしをかけて、咀嚼することで、再活性化することができるという話だ。
なもんで、パイナップルも同じ原理で、と思ったのだけど……。パイナップルが、そもそも何科の植物かすらも知らなかった。それに同じ方法が通用するとも限らん。結局、手の打ちようがないみたい。
まあ、あまりパイナップルに拘らず、その土地の旬のものを食べさせてやるのがいいやな。常日頃、口にしている食べ物であっても、まだまだ発見されていない効能なんて、いくらでもあるわけだから。
そういう意味でも、特定の食べ物に囚われすぎず、色々な物をバランスよく食べていくのがリスクヘッジになるわけだ。
とはいえ、健康に良いと謳われているものであっても、それこそ次から次へと増やし続け、最後にはかえってカロリーオーバーになるとか、本末転倒だ。
笑い話じゃない。本当によくあるケースらしいから、気をつけねば。
今の段階では、食べ物が美味しいということをスプライトが感じてくれればそれでいいさ。
今日もいろいろと歩きまわって、みんなも疲れたんじゃないのかな。荷物もあることだし、ホテルに戻ってゆっくりしたい。
それにしても、たくさんのレプラホーンに会えた。
こんなにも妖精たちを見かけたのは、【エルフの郷】で会ったエルフ以来だ。
あはは、ウッドエルフに、もし聞かれようものなら、「半妖精と一緒にするな。無礼者」と、怒られそうだけど。
エピスコ鱒の料理を食べた店でも、半妖精が働いているという話だったし、居るところには結構居るもんだな、半妖精さん。
それにしても、半妖精の食事って、ミルク一杯程度で十分だって言っていたけど……。
あれっ!? そういや、ユタンちゃんのお給金って、どうなってたんだ? 雑貨屋で働いてたときのって。
俺が店から連れ出してきちゃったわけだけど、少なくともあの日の給金が未払いに……いや、途中で投げ出したような形だから、そもそも支払われはしないか。時間給でもない限りは。
俺としても、あの店で普段支払われていた給金くらいは、お小遣いとしてあげた方がいいか。
「ユタンちゃん、雑貨屋さんで働いてたときって、どのくらいお給金もらってたの?」
「べーこん」
「うん……えっと、なにを食べさせてもらってたかということじゃなくて、お仕事をした代わりにどのくらいお金を貰ってたのかな?」
「いちまい」
「えっ? それって、金貨? それとも穴の空いた銀貨?」
「べーこん」
「へっ?!」
……なぬぅ!? おいおい、まさか雑貨屋の奴、ベーコン一枚でユタンちゃんをこき使ってやがったってことか? あんにゃろぉぉっ!
よっしゃ、わかった!! おまえがその気なら戦争だ。ここから【クリークビル】の雑貨屋までレーザー砲で届くか試してやる。いや、なんとしてでも、届かせてやる。
【水反鏡】で照準を合わせれば……。同じ原理を使って、光魔法のレーザーを上空から曲げて狙えば、いけるはず……まずは……。
「ちょっと、なにしてんのよ!? 止めなさい! そんな物騒なこと」
「いや、だって、あいつが……あいつのやつがぁーーっ!」
「あんた、ほんとにユタンの事となると見境がなくなるんだからぁ……もぉうっ、絶対だめだからね。止めなさいっ!」
くっそぅ! 仕方ねえ……スプライトに免じて、今回だけは見逃してやるか。
次やったら承知しねえぞ。命拾いしたな、雑貨屋め。
ん!? あれ? するってえと、あのウエイターさんが話してた、半妖精に与えるミルクって、まさか……お給金代わりってこと?
「そうよ。半妖精にとって、働く場こそがご褒美なの。そこで好きにさせてあげるのが報酬とも言えるわね。まあ、ミルクは好きだけど」
「ふ〜ん、そういうもんなのか。なんか納得いかんが」
「それに半妖精は夜中になれば、最低限の栄養とか諸々が補給されてるはずよ。妖精なら魔力もだけどね」
「えっ!? どういうこと?」
「えっ!? いや、その……あはは、わかんない。そういうものなのよ……はは」
へぇ〜っ、そんなんなってたんだぁ。妖精の世界って、不思議。
ふ〜ん、最低限の栄養は足りていると。
でもなぁ、旅に出てからのユタンちゃんの食欲って、結構旺盛だったぞ?
いや、あんなにも重たい【歩いてくボックス】を転がしているくらいだものな、当然か。
肉体を酷使すると、その労働量に応じて、エネルギーは不足してくるもんだ。食事量が自然に増えたと考えるべきか。
いやいや、そうじゃねえよ! 低賃金の話だっての。
でも、腹が満ちて、好きなことに夢中になれるのであれば、それほど悪い生活でもないのか? 嫌な仕事させられてるのとは違うものな。
人と妖精……あまりにも事情が違いすぎるか。こちらの価値観を一方的に押しつけるのは違うのかもしれない。
しゃあんめえ! とりあえず、今はよしとするか。
そうこう話しながら歩いているうちに、ホテルの前までたどり着いた。
フロントの辺りを見回したが、ホテルを出るときにお世話になった従業員さんは、残念ながら見かけなかった。
ちょっとお礼を言っときたかったんだが……まあ、今度見かけたときにでも礼を言えばいいかな。
ここのホテルは自分で鍵を管理するタイプ。鍵は手元にあるから、そのまま部屋に。
はあ、今日も盛りだくさんな一日だった。
この世界に来てからというもの、かなりドタバタした日が続いている。それでも、なにかと充実していて楽しい。
ここまでの道中、クリークビルで宿の主人から聞いていた情報を元に、精霊を捕まえることもできた。ただ、未だ出所は知れない。どこからかまだ北の方からやってきているようでもあった。
ここまでかなり急ぎ足でやってきてしまったこともある。みんなの旅の疲れが取れるまで休ませる必要もあるな。
ちょうどユタンちゃんの靴が出来上がるまでの間、少し時間ができたことだしな。
この街の周辺でもじっくり精霊の調査をしてみるのもいいかもしれない。まあ、ついでに観光を楽しんでも構わないだろう。
エルフにしても、ウッドエルフにしても、人族の時間感覚とはかなり違っていた。ずっと気長に時の流れを捉えているようだから。俺一人、焦っていても仕方ない。
あそこを離れてやっと気持ちが落ち着いてきた気がするな……。随分と借りがあるせいで、ちょっと焦り過ぎていたのかも。どうにも周りが見えなくなっていたようだ。
旅の道中も、スプライトが楽しそうな表情を浮かべていることが多かった。もっと色々と見せてあげたい。
ユタンちゃんも、折に触れ笑顔が見れたしね。移動中は歩いてくボックスの中だったから、感情を読み取る機会は少なかったけど。
でも、クリークビルに居た頃に比べると、随分とエネルギッシュになった気がする。旅を楽しんでくれてるといいな。
俺にしても、楽しさひとしおだ。だって、異世界の素晴らしい景色や異文化に加え、輝き溢れる二人の笑顔まで堪能できるのだから。
ただ、役目と遊びをどんな風に切り分けるのか、判断に迷うところ──遊びのついでに済ます程度でいいのか、それとも精神衛生上、しっかりと仕事をこなした後に、気兼ねなく遊ぶのがいいのか。
成果が明確に出る類の仕事であれば、俺としては、後者一択なんだけど……。まあ、当面の問題は解消できてることだしね。今回の件は、俺なんかが調べたところで、わかるのかどうかすら不確かなことでもある。学校で習うような必ず答えが用意された問題とはわけが違うから。
世の中ほ〜んと、わからないことだらけだ。
答えを求めてみても、そもそも答えが未だ判明していないことであったり、正解がいくつも存在したり、そもそも答えが存在しないものさえありえる。
精霊にしても、どんなものなのかも、今のところは確かなことは何もわかっていないわけだしな。
今はとにかく情報を集めていくしかない。
うん、今後の方針としては、こんなもんか。
さて、時間が時間だ。今日のところは、ホテルの食堂で夕飯を済ませてしまおう。
旅では一日中歩いても、どうということはなかった。けど、これが街中でとなると、ちょっとわけが違う。人混みでは何かと神経を使うのか、意外と疲れた。
夕食を済ませ、部屋に戻ってきて早々、ソファーで寛いでいたスプライトも少し微睡んできている。
今日は早めに休むとするかね。
スプライトとユタンちゃんに、ベッドへ行くように促した。
「おやすみ」
「「おやすみ(なさい)」」
明日、なにしよう? なんか忘れてる気が……。まあ、いいや。明日できることは明日考えれば……ふわぁ〜、眠っ……限界だ……。
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