帰宅代行

くにすらのに

帰宅代行

 依頼主から預かった鍵を使いドアを開けての第一声は元気良くと決めている。


「ただいま!」


 知らない声に驚いたのか奥からバタバタと足音を立てながら依頼主の母親と思しき人物が現れた。


「私、帰宅代行の香川と申します。本日は明美様のご依頼で代わりに帰宅致しました。明日の午前十時までの契約となっておりますのでそれまでは私を明美様だと思ってお過ごしください」


「は? いや、あの……帰宅代行って? もしかして最近ニュースでやってるアレ? うそ。なんで?」


「依頼理由は契約により申し上げることはできないのですが最近ニュース番組で取り上げられているアレでございます」


「うちの鍵まで持って。娘は……明美は彼氏とお泊りでもしてるのかしら? だったら別に構わないわよ。あたしから夫に説明しますから。帰宅代行なんて来てる方が怪しいじゃない」


「そういうわけにはいきません。すでに契約していますので。では、改めてただいま」


「ちょ、ちょっと! 何を勝手に」


「お母さんお腹空いた。今日ハンバーグだよね? 早く食べようよ」


「そ、そうね。わかったわ」


 間取りは契約を交わす時に確認済みだ。短い時間ではあるが家族の一員として過ごすのだから自室やトイレの場所を把握していなければ不自然になる。

 ただ依頼主の家に帰るだけではなく依頼主としてふるまうことが要求されるとても難易度の高い仕事だ。


 階段を上り依頼主の部屋に入ると机の上には父親と二人で写った写真が置かれていた。綺麗に掃除もされていて花まで飾られている。


 夫と娘の死を受け入れているようで、受け入れられていない。天国から残された妻と母親を心配して私に依頼をした親子は写真の中で満面の笑みを浮かべている。


 高校生の娘と父親なのにずいぶんと仲が良い。別にうらやましくはないけど、我が家とは大違いなのは驚きを隠せない。


「あけみー!」


「はーい。今いくー」


テーブルに並んだ三人分の夕食のうち一つにはラップがかけられている。


「お父さん今日も遅いんですって。先に食べちゃいましょう」


「ここのところずっとだよね。サラリーマンは大変だぁ」


「あんただって来年は受験生なんだから大変なのよ」


「お母さんすぐそれなんだから。そこそこ成績が良いから大丈夫」


「本当にそこそこだから心配なのよ。伸びしろがあるのかないのか」


「伸びしろは……きっとある」


 頭の良い彼氏と一緒の大学に行くんだと意気込んでテスト前にはお互いの家で勉強していたそうだ。その送り迎えに父親を使うあたり、親も認めるほどの好青年だったことが伺える。


 だからこそ、無念だっただろう。それでも恨みを残さずこうして私に依頼してくるあたりに心根の優しが伝わってくる。


 初めて食べるのはどこか懐かさを感じるのはきっとそのせいだ。


 あまり心地の良い家庭に長居してしまうと帰宅代行であることを忘れそうになる。契約時間はたっぷりと残っているけれど、愛されているからこそ手短に済ませた方がいいと判断した。


「ごちそうさま。お母さんのハンバーグが最高だよ。どこのお店よりもおいしい」


「嬉しいこと言ってくれるじゃない。今度は一緒に作ってみる? 雄太くんも喜ぶかもよ」


「うん。そうする。だからお母さん。おばあちゃんになって胃もたれしてもさ、このハンバーグを作り続けてよ」


「えー? 明美が作ってくれるんじゃないの?」


「作るよ! 作るけどさ。レシピをずっと覚えててほしいなって」


「はいはい。わかりました。ハンバーグを食べて長生きします」


「うん。よろしくね。それじゃあ、お母さん。いってきます」


「…………いってらっしゃい」


「その言葉を聞けて明美様も明弘様も満足したと思います。お二人ともかなり余裕のあるプランで契約されていましたので、依頼が早く完了した分についてはご返金の対応を取らせていただきます。この度はご利用ありがとうございました」


 娘と夫の名前を呼びながら泣く母親の前に鍵を置いて私はその場を後にした。


 帰ってくるはずのない二人を待つ人生は終わり、二人が待つその時に向かって顔を上げて生きていくだろう。


 また誰かの代わりに帰る私は、当てのない帰路についた。

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