03
「要するに超絶強力な噴射式消臭剤やねん」
初めて先輩の『能力』について説明を受けた際の言葉だ。
おれは幽霊を消すことができる。……そう告げられた時の俺の反応は、何とも言い難い、というか、気の抜けた『はぁ』という相槌を口から吐くことしかできなかった。
自称霊感バリバリ男である俺ですら、『何言ってんだろうこの人』と思ってしまった。その理由はたぶん、猫村クロカという人物が世に言う霊能者としては非常にうさんくさい部類に入ってしまうからだと思う。
訝し気な視線を向けてしまう俺に対し、クロちゃん先輩はけたけたと笑いながら手を振る。
「まあ、気持ちはわかるわぁ、おれやっておんなじこと言われたら『何言うてんねんコイツ詐欺師か』思うわ。せやけどまあこれから一緒に働いていくわけやし、ご説明はしとかんとあかんやろ。なにせウチは幽霊お掃除屋さんなんやから」
「はぁ、その……その仕事もなんつーか、相当怪しいんですが……」
「え、なんでよ。除霊とかを仕事にしてはる人、そこそこおるやろ。おれは出会った事ないけど、ネット上にはそこそこおるやん!」
「いや俺も出会ったことないんで……現実上で……」
「はー、バキバキ霊感おにーさんやのに、ハクさんはおれの能力を信じへんのなぁー」
「なんか、あー……視える、のと、祓える、のはまた別じゃないっすか……?」
「まあせやけども。言いたいことはわかるけども。視えるだけなら勘がええだけって感じやけど、祓えます! っちゅーのは一段回アップのうさん臭さがあるっちゅーのはわかるけども。せやけど別におれはお祓いとか拝み屋とか霊能者やとか僧侶とか……要するにそういう奴らとはちょっとちゃうでって話よ」
「はぁ」
「さっきも言うたやろ。おれはただの激ツヨ消臭剤やねん。おれは視えへんし、わからんし、何が起こってるか微塵も理解できんけど、なんでか知らんけどおれの声は強いねんな。ハクさんも思うてるやろ、『うわーコイツの声、なんや不快やなー』て」
「……思ってます」
「わはは、素直は美徳やで。つまりそういうことや。――おれの声には除霊能力がある。それもえぐい強力なもんや。生きてる人間やけど霊感のあるハクさんが『きっついなぁ』て思うくらいのな。ただしそれは臭いを消す消臭剤的なもんで、結局その臭いの原因が何かとか、ちゃんと臭いの元が消えたのかとか、そういうのは一切わからん。視えへんしな、なんも感じへんし。だから、ハクさんが必要なんやわ」
このような経緯をもって、俺は特殊清掃会社フェリス勤務、そしてその社長である猫村クロカ氏専属の『目』となった訳だ。
目、と、表現したが、実際は視るだけにとどまらずバリバリに全身で霊障を受けてしまうわけだが――。
とりあえず外のベニヤ板をすべて取っ払ったクロちゃん先輩は、本当に何の躊躇もなくさっさと入口のドアを開けて中に入った。ドアにストッパーを噛ませて全開にして、荷物は玄関先に置く。
あまりにも躊躇の無い行動力に唖然としていると、部屋の中から顔を出した彼に呆れたような声を出される。
「ハークさん、体調そんなにまずいか? 動けるようやったらお手伝いしたってや」
「あ、はい、すいません。……あんまりにもサクサク部屋に入る、もんですから」
「せやっておれにはなんも視えてへんもん。歌も聞こえへんし、そしたらただベニヤ板で塞がれた若干キショイだけのアパートでしかないわ。なに、そないにゴリゴリに居ますの?」
「……とりあえず玄関先――ええと、クロちゃん先輩の三十センチ先に、立ってますね……」
「わは。近いなぁ、熱烈やん! 三十センチてちゅーする距離やで、パーソナルスペース保ってほしいわ」
ほんじゃお邪魔します、と何食わぬ顔で腰を折る先輩の頭が、玄関先に立つ老婆の中にずぶずぶともぐりこむ。
うっわぁ……と、見ているだけでは仕事は進まない。いや、俺の仕事の大半は『視る』ことではあるんだけれど……残念ながら建物の外からの透視はできないので、やはり俺も物理的に中に入る必要があった。
入りたくねーな、マジで。
げっそりとした本心を『でも仕事だしな』というごく当たり前の叱咤でどうにか誤魔化して足を進める。
さっき、窓から出てきた何かが俺にのしかかってきた時、先輩はあのびりびりと痛い声で俺の名前を呼んでくれた。あの時は何を言われたのかもわからなかったけれど……確かに、『ハクさん』と叫ばれた、と思う。
猫村クロカの声は、除霊能力がある。
除霊……いや、アレは除霊というのか? なんかもっとこう――その場にあるはずのあらゆる『目に見えないものを消し去る』ような……。なんというか、うん、やはり本人の言う通りに『協力な噴射式消臭剤』のような感じなのだ。
一瞬、ものすごく息がしやすくなった。
ひどい臭いも、圧迫するような湿度も頭痛も眩暈も、歌でさえ消えた。
でも今は、そのすべてがまた復活している。ダイレクトに俺を襲っているわけではないが、不快な感覚がアパートの角部屋の中からじわじわと漂っていた。
一歩、足を踏み入れる。
その瞬間ぐらついて、オエッと声が出る。走って逃げなかったのは、先輩がバッと伸ばした手に掴まれてしまったからだ。
「はい捕獲ー。いやぁ、ほんますまんと思うけどなぁ、おれも仕事やから、もうちょい付き合ってや」
「む、無理、無理無理、無理です……!」
「何が視えとるの、ハクさんには」
「……先輩の横に、ばあさんが、ぴったりと張り付いてる……」
「わー。ちゅーどころの騒ぎやないなぁ」
からりと……いや、どちらかと言えば、にやにやと、笑う。
いくら視えていないからとはいえ、よくもこんな場所で笑えるものだ。呆れるというか、若干怖く思えてくる。
「信じてないっすか?」
そこそこ引きつつも、口を開いた俺を見上げた先輩は、やはりにやりと口の端を吊り上げる。
「信じてますとも。ハクさんは嘘つくタイプの心霊野郎やないやろ。わはは、えらい具合悪そうやなぁ、肩貸すか?」
「結構です……俺が借りる肩、空いてないみたいなんで……」
「そんなにぎょーさん居るん?」
「いや……たぶん、一人だけです。なんか色の黒いばあさんが、ひとり……先輩の肩にべったり乗っかってます。……マジで具合悪いとかねーんすか?」
「ないない。ほんまに元気やで。おれなぁ、そういう感情の機微? みたいなやつ、ぶっこわてれんねんなー。怖いとか悲しいとかようわからんねん。この仕事する上ではありがたい特性やで」
……そんなさらりと告白するような事だろうか。結構やばそうな話な気がするんだけども。
更に引く俺の手を、先輩は離してはくれない。俺の方が背はでかいのに、力は先輩の方が強いらしい。
ぐるりと部屋を見渡し、うーんと唸る。ごく普通の、よくある1Kアパートだ。覚悟していたようなひどい汚れや、溢れるようなゴミもない。きれいに整頓された、主がいなくなっただけの部屋。
「随分ときれいに死んだもんやなぁ。布団の上で死んだんかな。床も綺麗やし、特に変なところもない」
「……でも、三件たらいまわしにされたんですよね」
「原因はやっぱりその、ばあさんやろなぁー。なんか未練でもあんのかね」
俺の手を掴んだまま、クロちゃん先輩はがつがつと部屋の中に進んでいく。ちらりと浴室を覗き、トイレのドアを開ける。キッチンは綺麗だったけれど、さすがに生ごみは乾いた異臭を放っていた。
部屋の中に進む。鏡台の引き出しを下から開けていく。中を確認しているわけではない。これは害虫駆除と同じ原理だ。殺虫剤が行きわたるように、すべての空間を解放しているだけだ。
最後に押入れの扉を開けてから、やっと俺は手を離してもらえる。
「ハクさん、歌まだ聞こえるか?」
「……はぁ。聞こえます、うっすらですけど……」
「歌のほかになんか言うとる?」
「いや、別に……でもなんか、この人……外に出たいのかもしれないです。クロちゃん先輩の背中に乗って、窓の方を指差して、なんかこう……急かしてる、感じがする」
「なるほどなぁ、自力でこっから離れられんのか。どっか行きたいとこでもあんのかね。まぁええわー、さっさとお掃除しちゃおか」
「え」
「……え、ってなんやの」
「え、いや、……ばあさんの言いたい事とか、聞いてやったりすんのかな、と思ってたので」
「え、せえへんよそんなこと。ちゅーか会話なんか成立せんやろ、生きたモンやないでソレ」
「まあ、そうなんすけど」
「未練聞いて、願い叶えてほんだら成仏しますわぁーてしゅわわーんて綺麗さっぱり居なくなってくれる保証もないわ。どうせきれいにせんとあかんのやから、さっさとおれが掃除したほうが早い」
「……じゃあ、なんで俺は同席してんですか」
「は? そんなもん決まっとるやろ。おれの身の安全の為や」
おれは鈍感やから、本当に駄目なところもガンガン突っ込んでいくからあかんねん。
そう言ってにたりと笑う。
ああ、と思う。息を吐くように声と感情を漏らす。
これは、落胆でも失望でもない。シンプルな安堵から零れる息だった。
なんだ。俺は幽霊のお願いを聞いてあげる係ではないのか。こいつらを満足させて成仏させる手伝いをするわけではないのか。
「だからハクさんは、基本的にちょっと距離とっておれを見守るだけでええねん。ま、若干通常の掃除の方は手伝ってもらえたらありがたいけどなぁ。……なんやその顔、がっかりか? ヒトだったものの人権に関する説教はききとうないで」
「しませんよそんなもの……俺はただ、……この会社に入って良かったな、って、思ってるだけです」
幽霊なんてただの汚れだ。そこにあると邪魔だから、原状回復の為にただ消えてもらう。未練なんて知るか、という態度の猫村クロカという男は、たぶん、非道なのだろう。
でも俺は本当に心からホッとした。
幽霊なんてもの、俺は心底嫌いだから。
「よっしゃー、ほんならいっちょやりますか。ハクさん、耳塞いどき。きみ、えらい敏感やからなぁ、おれのせいで鼓膜おかしなったら悪いわ」
後で耳栓買うか、と笑ったクロちゃん先輩は、すうっと息を吸うと、両耳を塞いだ俺の目の前であのひどく痛い、不快な声を張り上げた。
次の更新予定
笑う白黒お掃除係 軽乃くき @karunokuki
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