02



 幽霊が視える。

 そう言うと大概は怪訝な反応をされるし、人によってはあからさまに距離を取る。その程度ならば優しい方で、唐突に馬鹿にしたり、揶揄ってきたり、あからさまに侮辱してくるような人間も存在する。

 でも別にこっちだって好きで『視ている』わけじゃない。

 俺は別に霊能者じゃないし、そういう界隈――というものが存在しているのかどうかも知らないが――に詳しいわけじゃないから正確には知らんけれど、霊感にもたぶん、力の大小はあるはずだ。

 足が速い人、遅い人。

 視力が良い人、悪い人。

 片頭痛持ち、持病持ち、癇癪持ち――人間の持っている『特性』なんて千差万別だ。まったく同じ感覚で生きているヤツなんて、一部の双子くらいだろう。

 だからきっと、霊感と言ってもみな同じじゃない筈で、そして俺に備わっている霊感って奴は、結構生活に関わるレベルで邪悪な副作用を伴っていた。

 俺は幽霊を視る。が、ただ視るだけじゃない。その存在に異様に干渉を受け、とにかく体調不良を併発してしまうのだ。

 学生時代、友人だった奴らは幽霊にビビる俺を囲み、『視なきゃいいじゃん』とけらけら笑った。最初は真剣に聞いてくれた親も、幼馴染も、みな同じことを言った。

 俺もそう思っていた。

 怖いなら視なければいい。無視をすればいい。どうせそこに実体があるわけじゃない。襲ってきたり、ぶつかってきたり、何か害があるわけじゃないんだから――。

 しかし、その『害』は長じるにつれて確実に体調に響いてきた。

 まずは異臭がするようになった。視ていなくても、認識していなくても吐きそうな臭いで奴らの存在を知る程になった。

 次は眩暈。そして悪寒と頭痛。最終的には動悸までしてきて、吐き気がひどくて一歩も動けなくなる。

 道端で、建物の中で、ごく普通の生活県内で、何度吐いて倒れただろう。

 どの神社のお守りを持ち歩いていても、何度お祓いを受けても、山ほど塩を盛っても、結局俺の体質は一向に改善されなかった。

 それどころか、どんどんひどくなるばかりだ。

 十五歳で両親を亡くした俺は、結局その身一つで生きてきた。

 けれど、こんなハンデが付きまくりの体質でうまく生きれるはずもない。職場でもすぐに体調不良で倒れるし、そんな状態で雇用を続けてくれるところは少ない。

 もういつ吐いても怒られない仕事を選ぶしかない。

 そんなやけっぱちな気持ちで応募した『特殊清掃』の仕事だったが――一社目の清掃会社で何故か俺は『きみ、フェリスさんとこの方が向いてるかも』と別会社を勧められた。

 体のいい断り文句かと思った。でもまあ、紹介してくれたのだし、とりあえず面接を受けてみよう――。そんな投げやりな気持ちで叩いた古びた事務所のドアの向こうに、彼が――猫村クロカというあまりにも怪しい男が立っていた、というわけだ。

 クロちゃん先輩(と呼ぶようにと強要されているので仕方なくこの敬称を使うことにする)曰く、彼は『幽霊がバチバチに視える奴』を探していたのだ、という。

 理由は単純だ。

 清掃会社フェリスは、通常の特殊清掃に加え、『幽霊の清掃』もメイン業務として請け負っているからだ。

 漫画かよ、と、言いたいところだが、バチバチに幽霊が視える霊感体質である俺としては『妄想乙』とは言い難い。

 正直俺だけに視えている妄想や脳の病気、という線も捨てきれていないのだけれど、一応俺視点では幽霊は確かに存在しているし、それは相当迷惑な存在だと知っているからだ。

 ベニヤ板を観察しながらスマホ通話をしているクロちゃん先輩の後ろで、逃げ出したい気持ちをどうにか押し付け我慢する。

 うっすらと聞こえている歌は止まない。なんだろう……たぶん何かの童謡なんだろうけど、ほとんど引きこもって生きてきた俺は、子供らしい歌なんて記憶にない。耳の横で直接囁かれているような、気味の悪い歌声。それはたぶん、使い古した声帯を震わせる、老婆の声だ。

「いやぁー、原状回復むずいですわぁ、釘で打ち付けてますよコレ。一応チャレンジはしてみますけどもぉ、もうこれは怒られたらしゃーないと諦めてもらうしかないですわ。え、ああ、はいはい、それはもうこっちでやっときますんで。そんじゃまた終わり次第ご連絡しますー」

「…………依頼人っすか?」

 通話を切ったタイミングで吐かれたため息と、俺の声が重なる。うっすらと響く老婆の歌の中で、自称『霊感さっぱりゼロ』のクロちゃん先輩は、相変わらずのからりとした顔で振り向く。

「こちとら聞いてへんからなぁ、一応確認しとかんと。なんでも依頼人もようわからんけど、葬儀が終わった後いつの間にかベニヤで塞がれとったらしいで。ちなみに中のガラス割れてたとかそういう感じでもないっちゅー話や」

「は? ……え、これ、ご家族の人がやったんじゃないんすか?」

「ちゃうらしいで。ご遺体が発見された当時は普通の状態やったて」

「生前から、こういう感じだった、とかでもなく?」

「ばあさん、ごく普通の感じのいいひとだったらしいわ。まさか外から窓全部ベニヤでバキバキに塞いどるババアが『ご近所でも有名な優しいお婆さん』なんて言われへんやろ。有名の意味が違ってくるやん」

「でもじゃあ、どういうことですかね……依頼人ってご家族なんですよね」

「お孫さんやね。お孫さん曰く、『久しぶりに遺品整理に来てみたら、そうなっていた』って話や。ちゅーかそれ先に言っとけっちゅーねん。なーんか歯切れ悪いっちゅーか、段取り悪い子ぉなんよなぁー若いからか知らんけども」

 ぶつくさと文句を吐きながら、クロちゃん先輩は担いでいた荷物を玄関先に降ろす。

 そしておもむろに工具を取り出し、何のためらいもなくがつがつとベニヤ板を剥がし始めた。

「え。……あ、えー……先輩、あの、なんか……いきなりそれ剥がして大丈夫なんすか……」

「知らん」

「えええ……」

「せやけどこれこのままやとあかんやろ。電気通ってへんのやし、塞がれてたら中真っ暗やわ。一応確認したら『剥がせるなら剥がしてください』て言われたし。あ、ハクさんはしんどいやろ、そっから動かんでもええで。俺の大事な『目』やからなぁ、倒れんようにもうちょい下がっててもろてもええわ」

 気遣ってもらえるのはありがたい。

 ありがたいのだが、本音を言えばこんな場所一刻も早く離れたい。だがそうもいかないのはこれが俺の新しく始めた大事な『仕事』だからだ。

 仕事だから仕方ない。生きていくには金が要る。金を得るには仕事をこなす必要があって、仕事を得るには職場が要る。

 久しぶりにありつけたまっとうな――いや、まっとうではないかもしれないが、大事な仕事だ。

 胸から這い上がる悪寒を我慢し、どうにか踏ん張る。気を抜くとふらりと倒れてしまいそうだ。平衡感覚が徐々に失われて行く感覚。バリバリと、バキバキと、ベニヤがはがされている様をただ見つめながら、俺はそこにただ佇む。

 バキ。

 軽い音がした。

 頭痛がひどく、眩暈がする。現実味が薄らいでいくような感覚の中、アパートの外壁に打ち付けられていたベニヤがはがされる。

 その瞬間――。

 、と、部屋の中から何かが這いだしてきた。

「…………………ッ、ひ……!?」

 思わず、一歩後ろに下がる。その拍子にバランスを崩してよろけてしまい、危うく無様に尻もちをついてしまうところだった。

 臭いが強まる。歌もガンガンに頭に響く。いや、頭じゃない。これはたぶん、俺の耳元にぴったりと顔を付けた老婆が歌っているんだ。

「―――――、ッ!」

 思わずしゃがみ込む。それでも歌は消えない。ぐっと何かが背中に乗った感覚がする。重い。胸が圧迫されて死にそうになる。気持ちが悪い。頭が痛い。耳が痛い。怖い。

 俺の上に馬乗りになった老婆が俺の耳元にぴったりと顔を寄せて、絶叫するように歌っているのだ。

 え、やばい、吐く、無理、死ぬ……!

 口が勝手に開く。吐きたいのに、叫びたいのに、声も胃液も出てこない。ただひたすらに痛くて怖くて気持ち悪い。

 涙が滲んでこのまま倒れると思った時、バシン! と盛大に、横っ面を引っぱたかれた。

 ――否、まるで引っぱたかれるような痛みが別方向から俺の耳に叩き込まれた。

 

 痛くて、ざらついていて、鼓膜を直接ヤスリで磨くような、ひどく不快な声だ。

 一瞬で息が戻り、俺の身体にまとわりついていたすべての不快感が、一気に消える。歌も、重さも、悪寒も感じない。

 ずは、と息を吸い込んで咽る。乱れた呼吸が整う頃になってやっと俺は、自分が四つん這いになって背中を摩られていることに気が付いた。

「無事かぁーハクさんー。……ほんまにしんどい体質やなぁ自分。生きとる? もう無理? もっかいやっとく?」

「…………だい、じょうぶ、です……。っあー……久しぶりに、やばいの来た……」

「おん。まあなぁ、歴戦のプロ業者たらいまわし案件やからなぁ、そらえげつないのがおるんやろ。で、何が居ったの?」

「わかんないです。なんか、ぬるっとしたでかい……なめくじ? 蛇? みたいなやつが窓から出てきて俺の背中に乗った……」

「わはは、なんやそれきっしょいなぁー、おれぬるぬるした虫とか動物あかんねん、見えんで良かったわ。で、そのきっしょいやつは今の一発できれさっぱり掃除できた感じ?」

「………………いや、まだ、居ます」

 視線を上げた先、ベニヤがはがされた窓の向こう――暗い部屋の中で、ぼんやりと佇みにたにたと笑う老婆の姿が視える。

「はー。しぶといやっちゃなー。ちゅーかやっぱそっち片付けんとあかんか」

「クロちゃん先輩」

「あん? 何よ」

「ありがとうございます。……助かりました、声、かけてくれて」

「うん? ……うん、ふふ、ドウイタシマシテやでー。ま、おれができるのはコレだけやからね」

 俺は幽霊を視る。感じる。聴く。嗅ぐ。触れる。フルコースの霊感野郎だ。

 そしてクロちゃん先輩こと清掃会社フェリスの社長、猫村クロカの企業秘密(先輩談)である特殊能力は、声。

 彼の声は、幽霊を根こそぎ追い払う、強力な除霊効果を持っていた。

「さぁて、毎度毎度怖い思いさせて申し訳ないけども、おれは何も見えんしわからんからなぁ。……どこに向かって叫べばいいのか、ハクさんの霊感頼りや」

 今日も働いてもらうで、と背中を叩かれて、俺は、びりびりと痛む耳を押さえながら、よろりと立ち上がった。





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