けっきょくさいごはひとがこわい

01



「ウチが三件目らしいで」

 ざらりとした言葉に振り返れば、車を降りて俺を見上げる社長――もとい、クロちゃん先輩とばっちりと目が合った。

 おれは平均身長や、と言うのが、最近の先輩の口癖だ。彼がそこまで身長身長うるさくなってしまうのはひとえに俺が平均以上のひょろなが長身だからなのだが、まあ今はその話はどうでもいい。

「……三件目、って、何がっすか」

「清掃業者への依頼。なんでもみーんな『できません』って逃げてまうっちゅー話やで。そんでまわりまわって『猫村んとこに頼め』ってことになったらしいわ」

「はぁ。……そんなこと、あるんですか」

「ないやろ。普通はないわ。そりゃ技術不足で臭いがとれへんかったーとか、うまいこと畳やら床やらが修復できんかったーなんちゅーことは、まあ、あるかもしれへんけどなぁ。ほとんど手つかずで『できません』案件は珍しい部類やろな」

「……よほどひどい、状態ってことです?」

「うーん。そういう単純な話やったら、ハクさんの出番は無いんやけどなぁ」

「はぁ、まぁ……特殊清掃に関しては、俺は全然役立たずですからね」

「新人なんざ半年間は猫みたいなもんやで。毎日時間通りに出勤してるだけでも拍手喝采やわ。お手伝いしてくれてるだけでありがたいねん。ちゅーかおれが心配しとるのは掃除やのうて……まあええわ、実際見た方が早いな」

 よっこらせ、と随分古めかしい掛け声をと共に、クロちゃん先輩は掃除用具を担いでバンのドアを閉める。持っといてと投げられた車のキーをキャッチしてから、荷物を半分横取りし、俺は目の前のアパートを見上げた。

 特殊清掃会社『フェリス』は、その名の通り特殊清掃を専門とする清掃業者だ。そして俺は採用されてまだ一か月のひよっこ、もとい猫社員だった。

 先輩の言う通り、一か月目の新人なんざそこに居るだけの猫のようなものだ。覚えることばかりで、順序や準備をうまくこなすこともままならない。そもそも俺は一か所で長く務めることがほとんどなかったし、『仕事をきちんと教わる』という経験自体が初めてだ。

 特殊清掃。

 この仕事は、大概の人間にとって、縁のないものだろう。

 実際俺も、グーグルで検索した以上の知識はなく、『人が死んだ部屋の掃除をする仕事』程度の認識だった。

 ゴミ屋敷や孤独死後の清掃、遺品整理や引き取り、汚染された部屋や家具の解体まで。他の会社は知らないが、従業員二名の『フェリス』が行っている仕事は大体そんなところだ。

 人は、いつか死ぬ。

 病院で死ねば楽だ。家族に見守られて、その後の片付けもすべてしてもらえるならば問題ない。けれど残念なことに、一人きりで生きてそのまま死ぬ。そういうケースが増えている、という話だ。

 そういう場合に活躍するのが、弊社である。と、クロちゃん先輩は五分で終わった面接の後に、ドヤ顔で説明してくれた。

 たぶん、辛い仕事なんだと思う。けれど、その分人手不足なんじゃないか、と目を付けた。火葬場、催事場、特殊清掃――人の死に関わる仕事は、大人気とは言い難いだろう。

 生きるためには金が要る。金を稼ぐには仕事をしなければいけない。こんな当たり前すぎることが、どうにも俺にとっては難しい。

 数えることすら面倒になる程の面接にチャレンジして、運よく仕事にありつけたとしてもすぐに辞めてしまう。

 やる気がないとか、犯罪癖があるとか、そういうわけじゃない。言い訳のようだが、俺の仕事が続かないのは確実に体質のせいだ。

 人ならざるモノが視える。

 人ならざるモノに干渉される。そしてそれを寄せ付ける。

 それが俺の忌むべき体質で、いつも幽霊騒動に巻き込まれる故にバイトを首になる理由で――そして、特殊清掃『フェリス』に一発採用された要因でもあった。

 会社っちゅーてもおれ一人やねん。自営業みたいなもんやから、肩肘張らずに仲ようしてや。

 そう言って笑った猫村クロカという男は、男にしては少し長めのショートボブに(いや、髪型については俺もだらしない長髪なので人の事は言えないのだけれど)、夜に潜む猫のような雰囲気を纏った、見るからにうさんくさい人だった。

 具体的にどこが、と指摘しがたいのだが、まずは関西弁がうさんくさい。たいして人生経験もないけれど、それでも初めて出会う人種だ。いつでもにやにやと笑っているし――なによりも、彼のざらついた声は、俺でなくとも非常に不快な気持ちになるだろう。

 猫村クロカの声は不快だ。

 言葉のイントネーションは比較的柔らかい筈なのに、常にザラザラとした雑音のような後味が耳に残る。

 ひどく煩い昔のラジオの雑音のような。

 頭痛がひどい日のざわついた耳鳴りのような。

 そんな不快な音が、常に声にまとわりついている。人の気配ですら場合によっては吐きそうになる俺にとって、彼の声の不快さはほとんど頭痛に直結する程の痛みだ。

 耳の奥が常にヤスリで削られているような痛み、違和感と、不快感。これに慣れるまで一週間程本当に吐いていたが、当の先輩はけらけらと『こればっかりは慣れてもらわんとあかんわ』と笑うばかりだった。

「ハクさんのその敏感体質がおれの欲しかったモンや。幽霊ばっちり8K画質の男が欲しかったねん。んで、おれのこの超絶けたくそ悪い声も、ウチの仕事に欠かせない大事な武器やねんなぁ。せやからはよ慣れてもらわんとー。ほらがんばれ、がんばれ、吐くな吐くなー」

 と、本当に楽しそうににやにやしていた先輩を思い出すたびに声とか関係なく頭痛がしそうになるが……まあ、笑われていた方が引かれたり罵られたりするよりはマシなので、そこは我慢することにした。

 そもそも、雇ってもらえただけでも奇跡のようなものなのだから。

「えーと、本日の現場は1Kアパートの一室やね。一階角部屋、契約者は七十五歳の女性。んで、先月室内でご遺体で発見。死後一か月やって」

 死後一か月。

 まだ経験の浅い俺でも、『もう冬だしそんなに遺体の状態は悪くなかったんじゃ?』と思う。

「孤独死、ってやつですか」

「ま、多いわなぁー。じいさんばあさん一人暮らしなんて、そりゃもうあとは死ぬだけなんだから、そうなるわ」

「家族とか、気づかないもんですかね」

「気づかへんやろ。みんな自分が生きるだけで精いっぱいやで、一か月二か月くらいなら『便りがないのは良い知らせ』の範囲内やわ」

 ……言われてみればそうかもしれないが、俺にはそもそも普通の家族が存在しないので、いまいちピンとこない話だ。

 一階で良かったとにやつく先輩の後に続き、アパートの表に回り込む。

 閑静な住宅街、と表現するべきなのだろう。静かで、少し日当たりが悪い、ごく普通のアパートだ。

 ――と、思っていた。

「……う、わ」

 角部屋の窓を外側から覆う、不格好なベニヤ板を見るまでは。

 思わず、と言った風にクロちゃん先輩の口からざらりとした悲鳴が零れる。息を飲んだのは俺も同じだ。

 一階の角部屋……今回『清掃』すべき現場は、窓があったと思われる場所すべてが、外柄からベニヤ板で塞がれていた。

「あっかんやん。……見るからに『あかん!』って感じやんかぁ、さすがにこれはおれでもわかるわ、あからさますぎやろ。ハクさん平気か?」

「……はい。まだ、特には……あ、嘘です、待って、無理、かも、なんか――」

「何?」

「――歌、が、聞こえる、気がする」

 耳の奥にうっすらと、痛みではない旋律が聞こえる。

 ぼそぼそと喋るような歌。老人が声にならない程度の囁き声で紡ぐような、ひっそりとした掠れた歌。

「随分陽気なお出迎えやんけ。曲は何やの」

「……わかんないっす。俺、歌とか曲とかそんなに知らないんで……」

「景気のいい歌ならええけどな。ちゅーかバキバキに『居る』案件やんけぇ……ハクさん連れてきて正解やったわ。なーんか依頼人の歯切れが悪いっちゅーか、もごもごしてたから怪しいわぁ思とったんやわー。良かったなぁハクさん、今回はバリバリ大活躍してもらえそうやで」

「あんま嬉しくないっすね」

「そう言いなさんなぁ新規臭い顔が二割増しで陰鬱やで、張り切っていこうやないの。よぅし、ほんなら社長兼先輩からの作業指示や。ハクさん、何が視える?」

 わくわくと、にやにやと、そわそわが全部混じったような、好奇心を隠さない視線。

 どうしてこの人は人が死んだ場所でこうも不謹慎に笑えるのか、俺にはまだわからない。けれど、仕事だから仕方ない。

 息を吐く。ゆっくり吐いて、少し吸う。酸素を意識すると少しだけ呼吸が楽になるが、じっとりと纏わりつくような頭痛と歌は止まない。

 もう一度ため息のように息を吐いてから、俺は右手の中指と親指の腹をくっつけて、ピンポン玉程度のわっかを作る。そしてその輪を右目に近づけて、覗く。

 俺の能力について、これは完全な自己流だ。なんだか中二病くさいが、これが一番『よく視える』のだから仕方がない。

 ――本当は視たくない。

 俺はただ感じることができるだけで、お祓いが出来るわけじゃない。ああいう奴らは、干渉すればするだけ害を被る。無視が一番、離れるのが最善だ。だから俺は普通に怖いし、シンプルに嫌だと思う。

 でも、仕事だから仕方ない。そう思うので諦める他ない。

「ベニヤ、の……あー、淵から手が出てます……」

「おん。自己主張激しい奴やん。こんなガッチガチでも出てきてますやんか。霊には物理(板)は効かんのかなーちゅーかこれ剥いでもええのか? まずそっから確認やんけ。ちょっとおれ電話するから、ハクさんもうちょい視といて、なんか気づいたことあったら教えてや」

「……クロちゃん先輩、俺が倒れたら、支えて担いでくださいね」

「あほか。当たり前のことわざわざ言わんとき」

 ……もう一度息を吸う。

 この人、とんでもなく胡散臭いのになんで上司としては普通に恰好いいのだろう、という飲み込み難い疑問と一緒に、妙に生臭い冬の空気を深く飲み込んだ。



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