笑う白黒お掃除係

軽乃くき

辻田白



 耳が痛い。

 鼓膜がざりざりと削られるような、ひどく不快な声だった。

「狭くてすまんなぁー。ま、掃除はそこそここなしとるから、不潔ってこたぁないわ。特殊とはいえ、一応本職やし。あ、その辺適当に座ってもろてー……ええと、あかん、何さんやった?」

「……辻田、白です」

「ツジタハクさん。またえらいけったいなお名前やね、まあおれに言われたかないか、わはは!」

 笑う、すると更に、突き刺すような痛みは増す。

 耳の奥に声が刺さる。硝子の破片を耳に詰めたら、こんな感じの痛みになるのだろうか。ざらざらと痛む、ざりざりと刺さる、あまりにも不快な声だ。

 それでも俺の表情は、微動だにしなかったはずだ。

 俺の表情は内心を反映しない。そういう風になってしまってから、結構な年月が経ったので、そういうものだ、と、自分でも諦め始めていた。

 泣いたり笑ったり、そんなことにつぎ込むエネルギーはない。こちとら、生きるだけでも精一杯だ。

 痛みに顔を顰める労力がもったいない。声を出す事だって勿体ないと思うのだけれど、これは一応面接という名の行事だったので仕方なく、俺は億劫ながらに口を開く。

「あの、これが一応、履歴書なんですが」

「ん? ん、あー、はいはい。わざわざどうも、ありがとさんです。ええと……まあ、ほぼ採用なんやけど」

「え」

「――え? 何、落ちる気ぃで来たんか?」

「いえ、いや、でも、はぁ……最近は勝率二割、くらいだったもので」

「あー。まあ、こんだけバイト転々としてりゃー、ちょっとやばい奴ちゃうんかって思うわなぁ。せやけどこっちもまあ、それなりにやばい仕事なもんで」

「人を、選んでいる場合じゃない、ってことです?」

「いやいや。選んでますよ。ちゅーか選ばな仕事にならん。なんつってもおれがなぁ、絶妙にぽんこつやねん。だから、ハクさんには期待してんねんで」

 にやりと笑う。脳みそを揺さぶるような痛い笑い声よりは幾分かましだが、それでも一言一言が耳の奥でざらざらと痛む。

 どうして、この人の声はこんなにも痛いのだろう。

 痛い声の男は、ひどく上機嫌な様子で首を傾げる。さらりと目を通しただけの俺の履歴書にはもう、用事はないというように、サッと乱雑な机の上に伏せられた。

「……俺は、清掃業、の経験はありませんが」

「仕事は頭っから教えるからええよ。教え方うまいかどうかは知らんけど、一応フレンドリーな上司なんとちゃうか? と思うで。知らんけど。まあ、大事なのはやる気と体質やわ」

「臭いや、虫が平気、みたいなことですか?」

「それもあるけども、ハクさん、さっきからずーっと右側見ぃひんやん。見えてんのやろ、柿の木にぶら下がる女の幽霊」

 ひゅ、と息がつまる。

 この時ばかりは俺の表情筋も、珍しく動揺を見せただろう。言葉をうまく選べない。今までも見える、という同類に出会った事はあるけれど……こんな風にいきなり、言い当てられたのは初めてだった。しかもそんな、嬉しそうな笑顔で。

 言いよどんでいる内ににやりと笑う男は、相変わらず痛い声を羅列する。

「採用や、ハクさん。ようこそ、特殊清掃『フェリス』へ。あ、これおれの名刺な。あとで――せやなぁ、三か月、試用期間過ぎたらハクさんの名刺も作ろうか」

 それまでとりあえず見習いとしてよろしくな、と、差し出された小さな紙には、『猫村クロカ』という不思議な羅列の名前が印刷されていた。

 これが辻田白と猫村クロカが共に働くことになる、そのきっかけの日。薄暗く肌寒い、耳が痛い午後のことだった。



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