第2話 12月29日 曇りのち雪 ②

 猿渡さわたり保奈美ほなみはSEEDのムードメーカーだった。

 明るく好奇心旺盛で、何事にも楽しんで取り組む彼女は、陽キャ揃いのメンバー内にあっても自然と人を惹きつけるタイプだった。外見は特別美人でもないけれど、絶やさない笑顔が彼女を何倍も可愛らしく見せていた。


 男と女で態度を変えないサバじょで、おまけに面倒見もよかった。周囲にうまく馴染めていない開人かいとのこともよく気にかけていた。

 智泰ともやすからしたら保奈美はいい女友達で、東京に就職する数少ない同志だった。それもあって連絡は絶やさないようにしていたのだけれど。


「あいつ出版系希望で、最初は情報誌メインの出版社に入社したじゃん。そこで実績つけてから大手に移ってファッション誌やるのが目標なのに、転職するの周りに理解されないみたいな相談につき合ってるうちにさ」

 智泰は開人に、保奈美との馴れ初めをへらへらしながら伝えた。こんな話はどうにも照れくさく、ついつい顔の筋肉が緩んでしまう。


 実は保奈美の悩みは他にもあった。当時つき合っていた彼氏との恋愛観のズレに、相当まいっているようだった。やたらと記念日にこだわったり、もっとふたりの時間を大切にしたいとか、そもそも会う時間を増やしたいとか言うような相手だったらしい。

 智泰としても男の気持ちも解らなくもないが、社会人同士ならかなり難しい注文ではなかろうか。


 保奈美は元々サバ女だった上に、仕事も男顔負で頑張っているうちにそれに拍車がかかったと言っても過言ではない。元カレはそんなことにも気づかなかったのか。転職についても相談には乗ってもらえなかったそうだ。頭から否定され、散々だったらしい。


 智泰はそんな男とは別れて、ついでにしばらくは恋愛とも距離を置いて、真剣に希望の大手出版社に転職することを目標に据えて行動してみたらどうかと伝えた。

 転職の手伝いはできないけれど、愚痴とやけ酒の相手くらいならいつでもOK。

 すると保奈美は、疲れ切ってはいたけれど学生の頃のような溌溂とした笑顔を見せて頷いた。その瞳は星が宿ったかのように青く澄み、煌めいてさえ見えた。

 

 それから半年後、保奈美は彼氏と別れた。

 更に一年後、つまり今年の春に念願の大手出版社に転職することができた。努力と根性で夢を勝ち取ったのだ。

 正直、すごい女だと尊敬した。


 その間、智泰はと言えば、企画部でチーフと呼ばれる立場になり責任も増えたが充実した毎日を送っていた。反面、恋愛の方はと言えば、長くつき合ってきた経理部の先輩からの束縛が日増しに強くなり、それが重荷になってきたことを理由に別れてフリーだった。


 そんな去年のバレンタインに、「トモヤンに愚痴ってストレス発散できたおかげで内定が取れたよ」と、保奈美からチョコレートを貰ったのだ。てっきり義理の友チョコだと思ったら、なんと手作りだというではないか。


 俺たちの相性はいい。しかもお互いフリーだ。やっぱり俺はツイている。

 内心ガッツポーズを決めた智泰は、ホワイトデーを待たずその場で交際を申し込んだ。晴れやかな笑顔を見せて抱きついてきた保奈美が、ものすごく愛しい存在だと気づいた。

 そしてふたりは真剣交際をスタートさせ、半年後には同棲、そして現在に至っている。




「今は大事なときだからって、年末年始返上で頑張ってるよ、あいつ。だから今回帰省したのは俺だけなんだ」

 智泰は発泡酒をあおりながら、開人のリアクションを待った。が、予想以上に驚いているのか、耳に当てたスマホから聞こえるのは、微かな息遣いのみだった。


「開人?おーい、カイくん?」

「ああ、ごめん、聞こえてるよ。あの、驚いちゃって……」

 そうでしょう、そうでしょうと智泰の口元がにやける。

「そういや開人も明日の忘年会に行くだろ?俺マジみんなに合うの久々だし、すげー楽しみなんだ」

「……いや、実は僕も忙しくて。年内に終わらせたい案件があるんだ」

 年甲斐もなくはしゃいだ声をあげた智泰とは打って変わり、開人の返答はツレなかった。

 まあ教師も走る年末だ、リアル教師はリアルに大変なんだろうと、このときはそう納得したのだが。


「SEEDの会長から馬渕くんが出席するって聞いて、懐かしくなって電話してみたんだ。今日は話が聞けて良かったよ——本当に良かった」

「俺もだよ。俺、正月二日まではこっちにいるからさ、時間できたら顔見せろよ」

「うん、また連絡するよ」

「絶対だぜ!」

 そして智泰は浮かれ気分のまま通話を切った。


 懐かしい友人との会話を反芻しながら、そういえば開人の口から、「会いたい」というような言葉が出なかったことに智泰は軽い引っかかりを覚えた。

 それでも年明けにでも連絡がくるだろう。

 なければこっちから電話してやる。


 そう思いつつ空き缶を捨てに台所に行ったところ、「昼間っから飲んだくれてないで玄関の雪掻きでもしな!」と、いい歳をして母親にめっちゃ怒られた。


 父親のスノーシューズを履き、勝手口に立てかけてあるママさんダンプを取りに庭を横切りつつ空に目をやると、智泰の頭上に重く垂れこめた灰色の雪雲から、白いものがちらつき始めていた。

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