帰る家

皐月あやめ

第1話 12月29日 曇りのち雪 ①

 馬渕まぶち智泰ともやすが三年ぶりの実家で惰眠を貪っていたときだった。犬塚いぬづか開人かいとから着信があったのは。




 今年の年末年始は飛び石にもならず、有給休暇を取得することなく連休できた。

 智泰は仕事納めの夜に同期数名と職場近くの居酒屋でしこたま呑み、翌日は夕方近くまで寝て過ごし、目覚めてからは同棲中の恋人と愛を確かめ合い、心身ともにスッキリ軽い足取りで帰省した。


 久々の帰省の理由は、数年ぶりに開催されるサークルの忘年会の通知が届いたからだった。智泰はもちろん出席で返信し、12月28日、羽田発の飛行機に搭乗した。


 約一時間半のフライト。銀杏並木が鮮やかに色づく都会から一変、降り立った故郷は一面の銀世界だった。

 シャトルバスとタクシーを乗り継いで辿り着いた実家も雪に覆われていた。


 智泰の部屋は、物置のようになっている。就職で実家を離れて二年も経たずにそうなった。猫の額ほどの土地に建った一軒家に遊ばせておく部屋などないというわけだ。おかげで帰省時の智泰の寝床は、玄関を入ってすぐの和室に薄い蒲団敷きと決まっている。


 そして働かざるもの食うべからず、自分の寝床は自分で確保しろと言わんばかりに母親から和室の大掃除を仰せつかった。

 教師も走る年末に、遠く離れた都会で身を粉にして働くひとり息子さえ遊ばせておく余裕はないらしい。


 適当に和室の掃除を終えた智泰は、早めの風呂で体を温め、暖房完備のリビングで両親とありきたりな近居報告をしながら至って普通の夕飯を摂った。その後、父親と発泡酒を酌み交わしながら観るともなしに観ていた特番が終わったのを機に、和室へと引き上げた。


 ストーブを点けコタツをにし父親から借りた半纏を羽織った智泰は、冷蔵庫からくすねてきた発泡酒と魚肉ソーセージでちびちびやりながら、東京に残った彼女とLINEしたり、持参したタブレットで延々と動画を観つつ、そのままコタツで寝落ちしてしまったらしい。気がつくと、カーテンの隙間から光の道が一筋、薄暗い和室を切り裂くようにできていた。


 聞き慣れた振動音が意識を揺らす。

 変な体勢で寝ていたせいか背中や首が軋む。

 鼻の頭が冷たい。室内にはキンと冷えた酒臭さい空気が充満しており、智泰は大きなくしゃみをした。反動で蹴ったコタツから発泡酒の空き缶がひとつ転げ落ちた。


 その間にも畳の上でヴヴヴと低く響き続けるスマホ。智泰が殆ど無意識にそれを手に取り、寝惚け眼で画面に表示された名前が登録者であることだけを確認し、「ふぁい、もしもし」と欠伸を噛み殺しながら応じると、「……あの、馬渕くん?僕、犬塚開人ですけど」と遠慮がちな声が脳に届く。それに促されるように意識が浮上する。

「カイト?開人か?久しぶりだなぁ、元気だったか?!」

「うん、久しぶりだね」

 懐かしさにすっかり目が覚めた智泰だった。




 犬塚開人とは大学のサークル『野外活動部・SEED』で四年間、共に活動した仲だ。

 SEEDはボランティア活動がメインの、野外で活動できるなら何でもありなサークルだった。

 そんなサークルだったからメンバーは自ずと陽キャが多かったが、開人は違った。


 例えば街路樹の整備を手伝いながらも、ぶっといミミズが出て来ただけで小学生並みに大はしゃぎしている智泰たちを、一歩引いたところから穏やかに微笑んで見ているような人間だった。


 なぜそんな物静かなヤツがと思い、開人に入部動機を訊ねたところ、照れくさそうに答えたその顔を智泰はよく覚えている。

「明るくて、能動的な人間になりたくて」

 恥ずかしそうに伏せた目は、真剣な色を帯びていた。


 小学校の先生になりたいと言っていた開人。

 見た目は悪くないのに女性が苦手なのか、大学の四年間で浮いた話はなし。逆に智泰が女とくっついたり別れたりを繰り返すのを、心配したりオカンみたいにいさめたりしてくれた。


 タイプの真逆なふたりだったが、智泰は開人を気に入っていた。少々物静かだが努力家で、サークル活動もほぼ皆勤、教員免許も取得してきっちり夢を叶えた。


 対して夢も希望もない代わりにとにかく都会に出たい一心だった智泰は、関東に就職した先輩に片っ端からアポを取り、何社も受けて辛うじて小規模ながら実績のある食品会社に就職できた。それから五年、上司にも同期にも恵まれ順風満帆、智泰は自分でもツイている方だと思っている。


 智泰は通話しながら台所へ空き缶を持って行き、また冷蔵庫から発泡酒を失敬して和室に戻った。そして思い出話を肴に気持ちよく酔い、調子にのって小学生みたいな口調でこんな質問を開人にぶつけてみた。


「開人先生、恋人はいますか?」

「なにそれ、やめてよ。いないよそんなの」

 クスクスと笑い交じりに答える開人。

 智泰はちょっと心配になってしまった。


「マジか。まさか開人、童貞じゃねーよな?」

 すると、思っていた以上に動揺した声がスマホから飛び出してくる。

「どッ?!バッカじゃないの、馬渕くん!僕たち何歳いくつだと思ってんのさ!」


 どうだかな、女が苦手でクソ真面目だったこいつのことだ、三十歳になったときに魔法使いになったとしても俺は驚かんね。


 そう智泰は内心ひとりごちる。すると、軽く咳払いをした開人が逆に訊ねてきた。

「馬渕くんこそどうなの、彼女いるんでしょ。そろそろ結婚とか?」

 問われて智泰は、開人には報告していなかったことを思い出す。知ったらきっと驚くだろう。

 智泰は同棲中の恋人の顔を思い浮かべた。


「俺さ、三ヶ月くらい前から保奈美ほなみと同棲してるんだ。覚えてるか、SEEDにいた――」

「――サワタリ、さん?」

 すると、智泰の言葉尻に被せるように、開人が保奈美の名字を言った。


「そうそう、猿渡さわたり保奈美。もうすぐつき合って一年になるんだよ」

 そこで智泰は、「まだ誰にも言ってないんだけど」と前置きして、こう続けた。

「保奈美とは真剣に結婚を考えてるんだ」

 スマホの向こうで息を飲む音がしたが、浮かれていた智泰の耳には届いてはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る