第3話 12月30日 落雪注意
昨日から降り続いた雪は午後には止んだが、雲が晴れることはなかった。
この夏にオープンしたという小洒落た居酒屋の四人掛けテーブルをふたつ占拠し、
メンバーは常時二十人前後いたが、今日集まったのは男女合わせて七名だった。少し寂しい感じもあるが、
「けど何で今年は忘年会を?しばらくみんなで集まるなんてなかったのに」
中ジョッキを半分近く空け、智泰は素朴な疑問を口にした。実際、就職して二年目くらいまではメンバーで集まり遊びに行ったりもしたのだが、ここ数年は夏も冬もご無沙汰だった。
「なに言ってんのさ、今年はトモヤンから話を聞くために集まったんだべさ」
「したっけ、おまえから保奈美と同棲してるって聞いて、オレ一気に拡散したべよ」
「保奈美から仕事の話は聞いてたけどさあ、トモヤンとのことは知らんかったし、ウチらなまらビビッたしょや!」
海鮮サラダを頬張りながら聞いていると、方言が懐かしさを倍増させる。けれど聞き捨てならないことがあった。
「保奈美って俺のこと、ミワちゃんにも話してなかったの?」
ミワとは保奈美と仲の良かった女性で、頻繁に連絡を取り合っていると聞いていたから、意外だった。
ふたりの交際は秘密にしていたわけじゃない。現に智泰は同棲開始直後に、嬉しさのあまり会長にLINEで報告した。会長はそれを拡散したのだと思うが、そういえばなぜ
「したって開人のこともあるし、ウチらには言い難かったんじゃない?」
テーブルの向こうに座ったミワが、誰にともなく「ねえ?」と言った。
「結局、開人も今日は来なかったしな」
会長がぽつりと零すとテーブルにぎこちない空気が降りる。
なんだか話が見えない。いや、見えてはいるが、智泰は敢えて見えないフリをした。
「なんのことさ?」
自然に発したつもりの言葉が宙に浮く。
メンバーはグラスに口をつけたり、箸先でソーセージを転がしたりしながら、それでもお互い目配せして、まるで厄介ごとの
「知らなかったのか?開人と保奈美、卒業してから遠恋してたんだよ」
智泰は蛸の唐揚げを咀嚼しながら、それを飲み込むタイミングを完全に見失った。
会長の発言を皮切りに、テーブルのあちこちから当時のふたりの様子が飛び出してくる。
智泰がそれらの情報を整理している間に話題は別の事柄に移り、料理や酒の追加が運ばれ、流れ作業でそれらを消化しているうちに、会はお開きとなった。智泰は何ひとつ消化できていないのに。
帰宅後、芯まで冷えた体を温めたくて風呂に入った智泰は、鏡に映る自分の顔を見て驚いた。顔色が悪いどころか土気色をしている。
それだけ聞いた話がショックだったのだ。
それでも熱い湯に浸かってひと息つくと、だんだんと情報が整理されてくる。
大学在学中、開人は保奈美に片思いをしていたらしい。それは、智泰が気づかなかっただけでありえる話だと思った。
その胸の内を明かさぬまま卒業し、上京する想い人を見送った開人は、地元で教師としての生活をスタートさせた。教師として徐々に積み上げた経験が開人に勇気を与えたのか、数ヶ月後、開人は保奈美に思いを打ち明けた。
好奇心旺盛な保奈美のことだ、遠距離恋愛に興味を抱いてもおかしくはない。
そしてふたりは遠恋を開始した。
それがすれ違い始めたのは、いつからなのだろう。時期的に智泰が保奈美から相談されていた相手というのが、開人だろう。
記念日がどうとか、もっと会う時間を増やせとか、あの物静かな開人の発言とはとても思えないが、その後の話を聞いて、智泰は納得してしまったのだ。
いつしか開人は、教師という人生に躓いてしまったのだという。小学校という閉鎖された空間で何があったのか、具体的な話を知っている者はいなかった。みんなの話は推測の域を出ない。モンペ、パワハラ、超過勤務の弊害。どれもありそうな話だったが、智泰には実際のところは分からなかった。
ただ確かなことは、開人は二年近く前に休職して心療内科に通っていたということ。今では通院まではしていないが、殆んど実家に引きこもっている状態なのだと聞いた。
智泰は湯船をすくってばしゃりと顔を洗う。酔ってはいない。かなり吞んだはずだが、酔えなかった。そのせいでこんなにも頭がはっきりしている。
二年前と言えば、保奈美が開人と別れた頃だ。そんな状態の開人では、恋人から相談事を持ちかけられたところで、対応できたとは思えない。それどころか、きっと傍にいて欲しいと願ったに違いないのだ。
そんなこととは知らず、結局は智泰が別れの背中を押したことになる。そしてその後釜に自分がちゃっかりと納まった形だ。
湯船に浮かぶ自分の顔を睨みつける。
酔ってもいないのに眩暈がする。
保奈美はなぜ言ってくれなかったのだろう。
いつか話してくれるつもりだったのか。
情報は整理できたが感情がついていかない。
昨日の開人との電話で自分が何を話したのか思い出すだけで、頭から雪でも被ったかのように、体が震えた。
深夜、思いがけず開人から電話があった。
風呂から出た智泰は、和室のコタツを壁に寄せて蒲団を敷き、電気毛布で
仕方なくLINEでメッセージを送り、頭から蒲団を被って眠りについた智泰は、
枕元でヴヴヴと震えるスマホを手に取ると、昨日と同じ画面が目に映る。
「……開人」
我知らず声に罪悪感が滲む。
出ると、ザザ。
スマホの向こうで砂嵐のような音が鼓膜を引っ掻いた。
「もしもし、開人?」
「馬渕——ザザ、今ザ—―」
電波状況が悪いのか、開人の声がブツブツと飛ぶ。自然と話す声が大きくなった。
「開人、聞こえるか?会って話したい。明日にでも会えないか」
「ザ――ったよ、馬渕く――ザザ、会いに行くザ――」
それきり、通話が途切れた。
うまく伝わったのか?とにかく明日だ。
開人は引きこもっているらしいが、それならこちらから会いに行こう。明日もう一度、連絡しよう。
そう決意した智泰の元に開人の訃報が届いたのは、まさに翌日の早朝だった。
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