望郷
二人が中央ホールに着くと、すでに大勢の住人が集まっていた。そこは白壁に囲まれた窓の無い広い空間だった。人々は立ったまま思い思いにお喋りしていて、壁に寄りかかっている者もいた。
円形の壁のうち百八十度は巨大なスクリーンになっていた。外部カメラが撮影しているコロニー周辺の宇宙空間が映し出されていたが、長年ここに暮らしている住民にとっては珍しくもない光景なのだろう、目を向けている者はほとんどいなかった。
「シンイチ」
声がかかって振り向くと両親だった。横にはユースケの両親もいて手を振っていた。
「金谷のおじさん、おばさんこんにちは」
シンイチはユースケの両親に軽く手を振り返して、自分の両親の側に寄った。
「舟木のおじさん、おばさんも、久しぶりです」
「久しぶり、ユースケさん」
ユースケはシンイチの両親へ頭を下げてから両親の元へ行き、母親の腕に腕をからめた。
コロニーにいる家族は日本にいた頃よりも体の接触が多い。年配夫婦であっても手を繋いだり、腰に手をまわしたりするのが普通だったし。成長した子でも当たり前のように親と手を繋ぐ。
穏やかなように見えるどの家族も、日本を発つ時は万が一の死も覚悟でいたはずだった。いくら地球を救うため、種の保存のためなどという理屈を与えられていても、現実に暮らしてみるとストレスを感じるものだ。彼らは住み慣れた故郷から遠くはなれ、未知の環境で生きるために互いに寄り添うようになっていた。
突然チャイムの音が聞こえて、ザワついていたあたりが静かになった。
「はじまるぞ」
期待に満ちた熱気が無言のホール内に満ちて、人々の視線は壁のスクリーンに向かった。
カメラが切り替わり、スクリーンには青い球体が大写しになった。
「地球だ」
そこここで、ほうっとため息のような声がもれた。
球体は次第に近づいて陸地の起伏が確認できる程まで拡大された。
病んだ星ではあったが、はるか遠くから眺める故郷は感動的だった。真っ青な海の間に浮かんでいるように見える陸地には、ところどころに白い雲がかかっていた。
美しかった。
シンイチは父親が肩に手を回したのを感じて見上げた。父は母と手を繋いで、もう片方の手でシンイチを引き寄せていた。母は少し潤んだような目でスクリーンを見つめていた。
「はじまるぞ」
父は小さくつぶやくと、スクリーンに視線をもどした。
映像はさらに近づき、ゆっくり移動して行った。九州らしい島影が現れると、どこかで鼻をすするかすかな音がした。
瀬戸内海は今は無い。四国だったらしい小さな島が浮かんでいた。近畿地方から東海、関東へ映像は移動した。
「結婚した時、父さんたちは東京にいたんだ」
父が小さくつぶやいた。
「東京って」
「日本の首都だったところだ。人が多くて賑やかで、高層ビルが建ち並んで活気があった」
「関東平野と言われていた地域のほとんどは、東京湾に飲み込まれて今は海の底だな」
「そうなのか」
「ほら、あのあたりの海ね。ここからは見えないけど、海の中にスカイツリーは残ってると聞いたわ」
母が指さすあたりは青い海で、かなり内陸まで海が浸食しているように見えた」
「スカイツリー?」
「かつて電波塔だった遺跡よ。何メートルだったかしら」
「ムサシだから、六三四メートルだな」
「ああ、そうそう。エレベーターで展望台に上がれるようになっていて、結婚前にデートしたわね」
「そうだった。観光客が多くて、君は迷子になりかけた」
父は思い出したように笑った。
映像はゆっくり移動して東北と思われる場所を過ぎ、北海道へ。
「島の形もだいぶ変わったな。日本列島、昔は龍の形の島だなんて言われていたものだが」
「へえ、そうなんだ」
そのかつての龍の姿は、今は痩せ細っていて悲しげに見えた。
「姿は変わっても、懐かしいな」
父がポツリと言った。
「残っている人たちはどうしているのかしら」
「さあな、あまり詳しい情報は入ってきていないが、学者たちが中心になって色々対策を勧めているはずだよ」
「いつか帰れる日が来るかしら」
「帰るさ。コロニーが地球を周回しているのも意味があるんだ」
「そうなの、父さん」
「ああ、地球で出る過剰な二酸化炭素を吸い取って、コロニー内の樹木が光合成に使っている。我々の吸っている酸素はその樹木が作り出したものだよ」
「そんなの知らなかった」
「それと、コロニー内の農園での収穫が順調になれば、余剰分は日本へ輸出するそうだ。輸出って言って良いのかわからんが。少しは助けになるだろう」
「そうなのか、いつか行きたいな。いや、帰りたいな、だね」
シンイチは言って、まわりを見まわした。
シンイチより年上の住民は日本で生活した記憶のある者たちばかりだ。皆それぞれの思いを込めて、食いいるように映像を見つめていた。
(終)
遠くにありて想う 仲津麻子 @kukiha
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