遠くにありて想う

仲津麻子

避難民

「おい、そろそろ日本だぞ」

 ユウスケに促されてシンイチは読んでいたブックリーダーを閉じた。


「もうそんな時間か」

「ああ、楽しみにしてたろう? 見逃したら後悔するって」

「もちろん、半年に一度のチャンスだからな」


「何読んでたんだ」

 ユウスケはテーブルの上に置かれたブックリーダーをトンと指で突いた。


「古代史。日本に人が大勢住んでいた頃のことだ」

「お前も日本にこだわってるな」

「そりゃな。行ったことも見たこともないけど故郷だ」

「生まれてすぐここに入れられちまったから、本でしか知らない故郷だけどな」

「だな、運が良かったのか悪かったのか」


 二人が住んでいる宇宙コロニーは、三代目のISS、国際宇宙ステーションが老朽化のため引退した後に運用されはじめた。自給自足できるように設定された広大な居住空間を備えた施設で、内部には人工的に作られた森林があり、農園や牧場などもあった。現在三十機がそれぞれの軌道で地球を周回している。今後も徐々に増える予定だった。


 古くから懸念されていた温暖化現象対策が後手後手にまわり、世界の各地で異常気象が起こるようになった。台風やハリケーン、熱波などがたびたび襲いかかり、ある地域では頻繁に洪水が起こり、反対に別の地域では長期間の干ばつに苦しんだ。


 極地の氷が溶けて海面が上がったため沿岸に住む動植物は絶滅した。そして、人間が住める土地は狭くなり、一部の地域に集中することになる。

 すると当然、衣食住すべてが不足する。異常気象のせいで農作物は育ちにくくなっていた。


 このままでは人類は滅亡する。目の前に迫った現実に、国々は戦争などしている場合ではなくなった。利害関係が一致した世界はようやくひとつになり、やがて地球環境を再生する一大プロジェクトがはじまった。


 その一つが宇宙コロニーであった。

 温室効果ガスを減らし、飢えて死ぬ人を少しでも減らすために。また、万が一地球の人類が絶滅した場合の種の保存のため、世界人口約九十億人のうち十分の一を地球外へ避難させる。


 それは「ノア計画」と呼ばれた。期間は地球の混乱がおさまり、再び人が住める環境にもどるまでという気の長い計画だった。


 最初の宇宙コロニーが完成するまで約三十年。慎重な試験を繰り返し、選ばれた避難民が移住をはじめたのはそれから更に二十年後。危機はせまってはいたが人類の存亡がかかっているため慎重にすすめられた。


 シンイチとユウスケはちょうど日本人の避難民が選ばれている時期に生まれた。今後どれほどの長い期間コロニーで生活していくのか予想がつかなかったため、若い世代の男女を中心に選ばれたのだ。そのため、新生児枠で両親とともに第八コロニーに搭乗することになった。


 二人とも物心ついた時はコロニーにいて、隣室だったため家族ぐるみで親しくなった。当然地球はもとより日本の記憶もまったくない。だが親たちから昔話として聞かされたり、学校で教えられた歴史などから、日本に強い憧れをいだいているのだった。


「父さんたちはもう行ったぞ」

「そうか、オレらも行こう」

 二人は楽しそうに連れだって部屋を出た。

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2025年1月9日 19:15

遠くにありて想う 仲津麻子 @kukiha

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