第3話:フィルノの森(1/4)

アルトは光の渦を抜け、着地する。柔らかな地面の感触を感じた。足元を見ると、濃い土の上に枯葉が散らばり、わずかな湿り気が漂っていた。空気は重たく、周囲は巨大な木々が壁のように立ち並んでいる。見上げると、木々の枝葉が太陽をほとんど遮り、光の筋が降り注いでいた。


「ここが星の中……」


独り言がかき消されるほど、周囲は静かだった。風がそっと葉を撫でる音以外、何もない。虫の声も、鳥の鳴き声も、すべてがどこかへ消えてしまったかのようだ。フィオが軽く羽ばたき、アルトの肩に降りてくる。青い羽根が光を反射して美しく輝いている。その人工的な青がこの森では異質な不自然さに思えた。アルトは肩越しにフィオを見て、不安を振り払うように小さく笑った。


「心配するなよ。ちょっとびっくりしただけだ」


アルトは一歩を踏み出した。乾いた枝を踏み砕く音が響き、足元には倒木や裂けた幹が散らばっている。滅多に人の立ち入らない土地なのだろう、どれも風化し苔が覆っていた。ふと、遠くから歌声のような音がかすかに聞こえた。


「なんだろう……歌?」


それは風に乗って届く、柔らかくてどこか寂しげな音だった。アルトはその方向へ引き寄せられるように歩き始める。声の主を求めて森を進むと、やがて開けた空間にたどり着いた。そこには朽ちかけた木の小屋がいくつか建っていた。


「大丈夫。覗くだけだ」


アルトは慎重に足を踏み入れた。どれも苔むし、壊れかけた屋根から光が差し込んでいる。


「ここじゃないな……どこから聞こえるんだろう?」


小屋を出てすぐ、広場の中央に一人の青年が立っていることに気づいた。この森に来てからアルトを導いていた歌声の主らしい。彼は木々の緑に溶け込むような服をまとい、澄んだ声で歌い続けている。アルトがどれだけ近づいても気づいていないようだ。彼の肩にかかる黒い髪が少し乱れている。目には森の深い緑をたたえ、しかし、どこを見るわけでもなく焦点は定まらないでいた。歌声の主はどこまでも穏やかで落ち着いた雰囲気を漂わせていた。


「あ、あの……こんにちは」


アルトは「もっとこの歌を聞いていたいな」という気持ちを抑え、青年に話しかけた。青年はアルトに気づくと、歌うのをやめる。そして、アルトを見とめると軽く首をかしげ、微笑みながら返事をした。


「こんにちは。旅人、だよね? 珍しいな、こんなところに君みたいな子が来るなんて」


アルトは青年の不思議な空気感に戸惑いながらも、歩み寄る。


「あ……僕はアルト。君は?」

「アセロだよ。この森で暮らしてる」


アセロは優しく微笑みながら答えた。肩にかかっていた黒髪を柔らかくかき上げながら続ける。


「ここは『フィルノの森』。昔は木々が風と一緒にささやいて、森の未来を語っていたんだ。でも今は……その声もほとんど聞こえなくなってしまった」


アルトはその言葉を受け止めながら、もう一度周囲を見渡した。確かに、森の広大さは息を呑むほどだが、その静けさにはどこか不自然なものがあった。「もしこの森に自分一人だけだったら、さみしくて耐えられないな」と身震いした。アルトを励ますように、フィオが「ピピッ」と歌う。そのまま、ぱたぱたと羽ばたきながら、アセロの足元に降りた。アセロはしゃがみ込み、軽くフィオの頭を撫でた。


「君の友だち? 変わった鳥だね。森の鳥たちとは違うけれど、何だか生きてるって感じがする」


アルトは笑ってうなずき、フィオと自分の関係を説明した。アセロは興味深そうに聞きながら、立ち上がった。


「君たちみたいな旅人が来るのは久しぶりだ。どうしてこの森に?」

「どうしてかは分からない。でも、この森がどんなところなのか知りたいな」


アルトの返事にアセロは満足げに頷いた。「なんとなくでも良い、知ることにはきっと意味があるはずだ」アセロは誰にも聞こえない声で呟いた。


「この森を知ろうとしてくれるのは嬉しいな。それなら、もっと奥まで来るといい」


嬉しいと言いながら、アセロの言葉にはどうしようもない悲しさとわずかな希望が混ざり合っていた。アルトはその理由を聞こうとしたが、彼の佇まいがそれを制止した。森の深い緑は、まだアルトを捉えていない。アルトは言葉を飲み込んで彼の後について歩き出した。森の奥へと進む道は、さらに暗く、いまだ静かだった。

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星座を辿って @Akatsuki-No-9

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