去っていった彼女に思うことは

三鹿ショート

去っていった彼女に思うことは

 彼女が自らの手で人生に終止符を打ったという報道を目にしたとき、私が動揺することはなかった。

 かつて交際していた相手に対する反応としては、薄情なものだと感ずる人間も多いことだろう。

 だが、交際していた時期が十数年ほど前のことであり、そもそも私が交際を申し込んだわけではなく、暇潰しとして彼女と交際していただけだったことを思えば、そのような反応だとしても、仕方のないことだろう。

 私が本気ではなかったということは、どのような阿呆だったとしても、平時の態度を見れば分かることだった。

 ゆえに、我々の交際は数週間ほどで終焉を迎えた。

 別れを告げてきたときの彼女がどのような表情を浮かべていたのか、私は憶えていない。


***


 その日、姿を現した来客は、彼女の友人と名乗った。

 彼女の友人は抱えていた箱を室内に置くと、

「自分に何かが起きた場合、あなたに渡してほしいと頼まれていたのです」

 彼女の友人は、既にこの世の存在では無くなった人間との約束を律儀に守ると、私の自宅を後にした。

 しかし、彼女が私に対して何を渡そうとしていたのかなど、微塵も興味が無い。

 このまま箱の中身を確認することなく、塵捨て場に放り投げることも可能だったが、他にやることが無かったため、気まぐれに箱を開けた。

 其処には、私と彼女の交際の思い出が詰まっていた。

 私が誕生日に贈った装飾品や、旅行先で他の観光客に撮影してもらった写真など、数週間程度の交際だったにも関わらず、驚くほどの数の思い出が、其処には存在していたのである。

 一つ一つに触れていくうちに、箱の底に、封筒が貼り付けてあることに気が付いた。

 これも思い出の一つなのだろうかと考えながら中身を確認したが、それはこの世から去る直前に彼女がしたためたものだった。

 特段の緊張もすることなく、私は中身に目を通すことにした。


***


 彼女からの手紙を要約すると、自分と交際してくれたことに対して感謝している、という内容だった。

 確かに、彼女は他者からの人気を集めるような存在ではなかった。

 常に自信が無さそうな表情を浮かべ、蚊の鳴くような声を発し、背中を丸めながら道の端を歩いていたような人間だったのである。

 だからこそ、彼女から交際を申し込まれたことに対しては多少の驚きが存在し、同時に、この箱をわざわざ届けに来るような友人を持っていたことも、意外だった。

 交際していたときには気が付かなかったことの連続であり、今さらながら、もう少しばかり彼女に対して積極的に行動するべきだったのではないかと考えた。

 そのように行動したところで、私は大きく息を吐いた。

 このような思考を抱くことが分かっていたのならば、箱の中身を確認することはなかった。

 関係を改善しようと考えたとしても、彼女は既に、この世から姿を消している。

 そのような相手に対して時間を割くことは、無駄以外の何物でもないのだ。

 私は再び大きく息を吐くと、箱の中身を全て塵袋に入れた。


***


「最近のあなたは、何処か別人のように感じます」

 上気した顔で天井を眺めながら、私の恋人はそのような言葉を吐いた。

「それは、良いことなのか、悪いことなのか」

 私が問うと、恋人は微笑を浮かべながら、

「良いことです。これまでのあなたは、私が隣に立っているにも関わらず、常に別のことを考えているような様子だったのですが、最近のあなたは、私の言葉にもしかと反応してくれています。恋人に興味を抱かれていないという状況は、なかなかに辛いものでしたから、私は嬉しいのです」

 恋人の言葉を受け、私は彼女の手紙を思い出した。

 私の言動に変化が見られたとするのならば、それは彼女の手紙が影響しているのだろう。

 関係を改善しようにもその相手が存在していなければ意味が無いということは、存在している相手に対しては、己の言動を改善することができるということになる。

 それを理解していたからこそ、恋人に対する自身の言動を無意識のうちに見直していたという可能性が考えられる。

 思わぬところで、私は彼女の影響を受けていたのだ。

 恋人が口にしたように、現在の状況が良いことであるということは、恋人の笑顔を見て私の内側にじわりと温かな液体が広がったような感覚を味わったことから、明らかである。

 私は内心で彼女に対して感謝の言葉を吐きながら、隣で笑みを浮かべている恋人の頭部を撫でた。

 彼女にしてみれば、彼女自身がこのような状況に直面したかったのだろう。

 そのことに対しては、私の不徳のいたすところである。

 おそらく、今までの私ならば、己の非を認めることもなかったに違いない。

 人間として成長するために、犠牲が必要だったということは、私が愚かだったということの証左である。

 彼女に対して感謝の言葉を吐いた後、私は謝罪の言葉を吐いた。

 届くかどうかは不明だが、行動することが、重要なのである。

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