つま先殺人事件

輿水葉

つま先殺人事件

 路肩へ流れ込み、行き先の定まらないままたむろする雨水。

 水面で揺蕩うネオンの光が色鮮やかな熱帯魚に見え、煙草を燻らせながらその偽の美しさをぼんやり眺めていると、一瞬、自分が何者であるのかわからなくなった。

 喧噪。人の行き交い。如何わしい夕闇の抒情詩。

 車が通り過ぎ、跳ねた水が雨溜まりを乱すと、熱帯魚は消えていた。


「せんぱーい」

 

 そう呼び掛けられ、カイドはそちらへ顔を向けた。

 ミクヤが小走りでこちらへ駆けてきている。手には上着。私服だが、それほどカジュアルなものではない。

 吸い殻をケースに仕舞う。ミクヤが止まった。


「すみません……」息が荒い。「ちょっと……遅れてしまって……」

「じゃ、行こう」


 二人はコンビニとカラオケ店に挟まれた細い道へ入り込んだ。古い飲み屋。ひっそりとしているアクセサリーショップ。雑居ビルの窓はほとんどが暗い。雨は建物が防いでくれた。


「運が悪かったな。休みのときに」カイドは独り言のように話した。

「いえいえ、そんなことないですよぉ」小走りになり、横に並ぶ。「緊急で呼ばれるの、初めてなんです」

「へぇ」

「なんかこういうのって、すごく刑事してませんか?」

「どういう意味?」

「いや、どういうって訊かれると、ちょっと困りますけど」


 件のアパートの周りには警察車両が数台止まっていた。立ち入り禁止のテープ。近隣の住民に話を聞いている警察官。鑑識は既に到着しているようだ。

 敷地に入り、事件のあった部屋に向かう。

 玄関。サンダルと靴が一足ずつ。きっと靴箱は空だろう。

 殺風景な廊下を進む。壁に掛けられたカレンダーの煤けた白色。開け放たれたドアの向こうで静寂に沈む居間。

 そして風呂場……。


「ひゃあー……」ミクヤが小さな声を漏らす。「これまた凄いですね」


 男がうつ伏せに倒れている。着衣。血でわだかまっている頭髪。タイルは水で濡れている。

 ごく普通の殺害現場だ。

 特異な点は、男の両足が踝から切断されていること。切り取られた足は近くに転がっている。


「二人目ですね」ミクヤが言う。

「確認されたのは」

「え?」

「まだ見つかってない被害者がいるかもしれないから」

「おぉ。さすが鋭いですね、先輩」

「いえいえ」頭に手をやる。

「なんですかそれ」くすりと笑う。「こんなところで笑わさないでくださいよ」

「緊張してると思って」

「してませよぉ」


 調査をざっと済ませ、あとは鑑識に任せた。

 アパートを離れ、車に戻る。ミクヤも一緒に乗せた。


「犯行自体は、通り魔的というか、見境のない感じですね」助手席でミクヤが言った。

「そうだな」

「侵入経路はおそらく窓。酔っていた被害者を後ろからどんっ」拳を空中で打ち下ろす。「で、風呂場に持って行って、足を切断……なんででしょう?」

「さあ。なんだろうね」

「先輩、もっと真剣に考えてくださいよ」

「考えてもしょうがない」ワイパーが窓を擦る。「いまの時代、科学捜査とデータ捜査が主流だから」

「じゃあ、刑事の役目はなんですか?」

「人間の心に寄り添った……」

「寄り添った?」

「捜査、みたいな」

「そこは言い切ってくださいよぉ」情けない声を出す。「犯人はどんな奴だと思いますか?」

「体格は良い。倒れた男を風呂場まで持っていけるんだから」

「そうですね」

「几帳面かもしれない。タイルの血を洗い流していた」

「ええ。あり得ます」

「まぁそんなところだな」

「あのぉ、もっとこう、姿かたちとかは」

「さぁ」

「絶対、陰湿なやつですよ。じとーっとした目つきで」

「なんで?」

「死体の足を切り落とすような奴ですよ? 爽やかな目をしてたら変でしょう」

「そうかな……」

「うーん。先輩って、あんまり人のこととか見ないタイプですもんね」


 赤信号に捕まる。

 カイドは横をちらりと見た。

 ミクヤは手元で端末を操作している。その素早い指の動き。普段の身のこなしと同様に。

 配属されて半年ほどになるこの新人にはどこか動物的なところがあった。好奇心旺盛で怖がり。髪は山吹色。痩身。顔つきは涼しげで目はやや吊り上がっている。

 もしかしたら、狐に似ているといえるかもしれない。

 話の流れでその思いつきを言おうとも考えた。しかし言わなかった。ファッションならまだしも、見た目を話題にするのは品が良くないからだ。


 信号が変わる。カイドはアクセルを踏んだ。


「二人目かはともかく、連続殺人で決まりですね」

「とりあえずはそれで」

「どうして足を切り落とすのか、早く犯人の行動を理解しないと」

「特に理由はないのかも」

「何かを偽装するためということですか?」

「そういう可能性も見越して」雨は上がっている。ワイパーを止めた。「何かの見立てだったら、データ捜査ですぐわかるんだけど」

「推理小説じゃないんですから」小さく笑う。「犯人の心を思い描くしかありませんよ。いや……寄り添う、でしたっけ? 具体的には何を?」

「これから用事は?」

「え?」こちらに顔を向ける。「いえ、休みですから……報告を送って、今日は終わりです」

「じゃ、うちで飯でも食べるか」

「……うわー」

「どうした?」横を一瞬見る。ニヤリと笑っているミクヤ。

「先輩。意外と積極的ですねぇ」

「……俺、結婚してるって言ってなかったっけ」

「知ってますけど、この流れでそれは犯罪的ですよ」

「ど、どうして?」





 カイドは浴槽の縁に乗せた自分の足を繁々と見つめた。

 やや寸詰まりの指。どういうわけか、左親指の関節から毛が二本伸びている。あまり、見目麗しい足とはいえないだろう。


 風呂を済ませ、髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、部屋は和やかな雰囲気に包まれていた。

 妻とミクヤはもちろんだが、まだ幼い息子もその輪にささやかながらも加わっているのは驚きだった。誰に似たのだろうか。


「これ、美味そう」カイドはハムに手を伸ばした。

「ちゃんと乾かしてから来てよ」妻が文句を言う。「なんでお客さんを呼んでおいてシャワーなの」

「さっぱりしたかった」ハムを摘まんだ指を一舐めして、息子を見る。「ミクヤさんと仲良くできた?」

「うん」大きく頷く。

「どんな話をした?」

「ちょっとまえまで、アレハト預かってたでしょ」

「ああ」

「お父さんだけずっと吠えられて、それでも散歩に連れてったら、脱走されそうになって」

「あれか」

「紐、引っ張られて、転んで、お尻で滑ったって話した」

「おいおい。もっと格好いいところを話してくれよ」

「先輩の新しい一面を知ることができましたよ」ミクヤが笑いながら言った。


 友達とゲームの約束があるとのことで、息子は退席することになった。去り際、彼はきちんとミクヤに挨拶をしていった。よく出来た息子である。

 妻がワインをどこからか持ってきて、食事はちょっとしたパーティの様相を呈した。飲み過ぎちゃ駄目よ、と言いつつ、妻は率先して空のグラスをワインで満たした。


「お仕事、大変でしょう」妻が訊く。

「いえ、それほどでもないですよ」こちらをちらりと見るミクヤ。「年配のかたにはたまに言われますけど。昔はもっときつかったんだぞって」

「そういうのは無視だな」一応フォローしておく。

「でも海で……」悪戯っぽい笑みをする妻。

「あ、ご存じで?」

「ええ、聞きました」

「正直、あれはきつかったですねぇ」椅子の背にもたれる。その動きから、少し酔っているのがわかった。「砂浜で三時間、容疑者の落とし物探し。準備をしてなかったので裸足でした。先輩と震えながらやり抜きましたよ」


 壁掛け時計がポンと鳴く。

 宴もたけなわ。ワインは空。

 ミクヤは机に突っ伏した。


「それで、今回の事件はどうなの?」目元をほんのりと赤くさせた妻が訊いてきた。

「どうもこうもないよ」

「足フェチの人なんじゃないの?」

「好きだったら、切った足をその場に放置しないんじゃないかな」

「傷つけることが目的とか」

「だったら、ハンマーとかを使うだろ」

「ちょっと、気持ち悪いこと言わないでよ」

「申し訳ない」

「なにか、そういうことがあったとか」

「ん? どういう意味?」

「知らないけど。昔そういう刑罰があったとか、そういう映画があったとか」

「刑罰はあっただろうけど……」グラスを傾ける。「何かの模倣とかなら、データ班が一瞬で突き止めるよ。いまの時代、古今東西の情報がひとまとまりになってるんだから」

「そういうもの?」

「そういうもの。まぁそうじゃなくても証拠は揃ってきてるだろうから、すぐに片付くよ」


 息子がリビングに入ってきた。冷蔵庫からジュースを取り、すぐさま自室へ戻る。どうやら熱中しているようだ。


「私、怖いなぁ」妻が言った。

「何が?」

「足の形いいから、狙われちゃうかも」

「そうだったの?」

「高校生のとき、運動部でしょ。たまにマッサージを受けに行ってたんだけど、そのときよく言われた。足の形がいいって」

「へぇ」

「なに、気づかなかったの?」少しむっとしている。

「申し訳ない」

「せんぱーい」


 急な声に驚き、隣を見てみると、ミクヤが体を起こしていた。視線が定まっていない。どうやら、寝ぼけているようだ。


「先輩。犯人は、自分が捕まえますから。任せてください」


 それだけを言うと、ミクヤはまた机に突っ伏した。


「だってさ」妻が言った。

「だってね」

「先輩として、何か言うことは?」

「うん。任せようかな」

「そうじゃないでしょ」





 夕刻。ミクヤと別の事件を捜査しているときに連絡が入った。三人目の犠牲者が出たこと。犯人であろう男も一緒に見つかったこと。そして、男は首を吊った状態で発見され、病院へ搬送されたこと。

 現場は近いところにあったので、緊急性はなかったものの、様子を見にいくことにした。


「二年前まで大手企業に勤務。特に理由もなく退職。その後は職を転々……」ミクヤが助手席で報告を読み上げた。

「もうそこまでわかったのか」

「さすが、情報の時代ですね。隠し事はできません」

「辞めたあとはどんな仕事をしてた?」

「えっと……本当に転々ですよ。順番に、エアコン修理業。屋内プール監視員。探偵業。あとは無職です」


 フロントガラスにぽつりと水滴が落ちた。孤独な雨粒。

 ほの暗い空には雲が薄く広がり、雨の予感を宿していた。

 

「あっ、人工知能ウルラから報告ですよっ」ミクヤが声を上げた。

「読んでくれる?」

「えっと……見立て殺人の可能性、九十四パーセント。ええーっ」

「それで?」

「あ……」端末を睨む。「すみません、まだ翻訳されてなくて……」

「ざっとでいいよ」

「ちょっとお待ちを」しばしの沈黙。「えっとですね、ある部族の神話に、足を切られる三人の精霊が出てくるらしいんですが、その名前と被害者の名前に、共通点があるみたいです」

「へぇ」

「なんですぐにわからなかったんだろう。犠牲者、少なくて済んだかもしれないのに」

「データを入力してなかったとか、そういう、人間側の問題かな」

「あ、たぶんそうですね。物凄くマイナーな神話っぽい」

「そんなマイナーなものを、犯人は知っていた」

「はい……」再び沈黙。「なんか、神話オタクみたいですね。図書館の利用履歴からです」

「いつから?」

「え?」

「学生のときから神話を学んでいたとか」

「それは……書いてませんね」

「そう」

「どうしてですか?」

「いや。なんとなく気になった」

「どちらかというと気になるのは、どうしてそんな見立てをしたか、じゃないですか?」

「そうだな」

「まぁ、単なる妄想系だと思いますけど」


 カイドは車を停めた。

 現場は雑居ビルの立ち並ぶ裏通りで、まだ警察官しか到着していないらしく、ようやく立ち入り禁止のテープが張られた段階だった。野次馬は数人。

 二人は建物に挟まれた隙間を進んだ。唸りを上げる室外機。外壁に寄せられた雑多な物。

 建物の裏手、少し開けた場所に出ると、隅のほうに倒れている女がいた。うつ伏せ。損傷の酷い頭部。足は切断されている。


「男のほうは、どこで首を?」ミクヤが近くにいた警察官に訊いた。

「そこです。そこの窓の鉄格子に縄を掛けていたそうです。切断に使用されたと思われる器具はバッグの中に」

「足はどこかな?」カイドは尋ねた。

「あちらです」数歩移動し、物陰を手の平で示す。


 カイドはそちらへ近づいた。

 壁を走るパイプの根元に、切断された足があった。並べられている。安置された物のように。

 その白い足の指……。


 雨が降り始めた。

 鑑識が来たのでその場を任せ、二人は路地裏を去った。

 車に乗り込もうとすると、ミクヤが何か暖かいものを飲みたいと言い出し、助手席に上着を置いて近くのコンビニへ走っていった。


 雨がフロントガラスを濡らす。

 端末に連絡が入った。助手席の上着に放置されたミクヤの端末も同時に震える。

 犯人が搬送先の病院で亡くなったらしい。


 カイドは端末を操作した。

 犯人の顔を表示する。普通の顔。むしろ口元にはある種の穏やかさがあった。

 対して、眼差しはどことなく哀しい。


 …………。

 お前、準備に相当時間を掛けたな。

 見立ては、偽装だ。

 あの足を見たとき、すぐに理解したよ。

 特につま先をな。

 でも……二人も余計に殺して……そんなに知られたくなかったのか?

 恥ずかしかったのか?


 わかるよ。

 たぶん、俺はお前と同類だ。

 仕方ない。本当の美しさは、価値は、そこにしかないもんな。

 俺もそうだった。

 普通の人生なんて、送れるわけがないと思った。

 それが、気づいたら仕事をしていて、結婚して、子供まで授かって……。

 

 自分に嘘を吐き続ける人生。

 どんなに楽しくても、幸せでも、どこかもやが掛かっているような気がする……。

 そう考えると、お前は正直者だよ。

 勇気を出したんだ。


 大丈夫。

 お前は独りじゃない。

 もしかしたら……俺もいつか、同じようにするかもしれない。

 一人いるんだ。偶然、本当に偶然知ってね。

 健気でいい奴なんだが……仕方がないよな。

 

「せんぱーい」


 気づくと、助手席にミクヤが座っていた。

 カイドは端末を仕舞った。


「どうしたんですか?」

「いや……」

「どうぞ」缶飲料を手渡してくる。「すごく、ぼーっとしてましたよ」

「ああ。犯人と話してた」

「え? ああ、あれですね。人間の心に寄り添う」

「そんなところ」

「じゃあ、どんな話を?」

「うん……お疲れ様って」

「お疲れ様?」怪訝な顔をする。「先輩。そういう発言、不謹慎ですよぉ」

「そうだな」


 カイドは車を発進させた。

 雨はやや強くなってきている。


 時は夕闇。街はネオンの光を掲げる。

 フロントガラスには色鮮やかな熱帯魚。

 その優雅な光景。偽の美しさ。

 しかし無機質なワイパーが全てをさらい、

 雨はまた、美を形作ろうと藻掻いていた。



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