最終話 僕らの「これから」
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「分かるな―」
彼女はチーズケーキの最後の一口をゆっくり味わってやがて言った。
「痛いほどよく分かるよ、彼氏くんの気持ち。私にもそういう時期があったから」
「妹島先輩もですか」
うん、まぁ、と彼女は恥ずかしそうに頬をかく。
「普通になりたかったんだよね、私は。誰かに擬態して、普通になろうとしてたの。誰かの真似をしてると安心するじゃん。私だけで間違えることがないから。その他大勢のひとりになれることがすごく楽だったんだね。流されるまま皆と同じことをして、流行りのものを好きになって……ミーハーって言葉も私にとっては褒め言葉だった。私普通じゃん!って。女の子を好きっていう、世間一般では普通じゃない性質を隠せるほどの普通を纏っていたかった。……今となっては吹っ切れてどうでも良くなってるけどさ」
彼女は続けて言った。
「誰かのマネをして自分を殺すことで、普通になろうとするって、彼なりの方法で辿り着いた生き方、生き残り方なのかも。」
でも、と思わず否定から入る。
「でも……じゃあ何でもかんでも僕に合わせようとしたのはどうしてなんですかね。僕だって、普通じゃないのに、どうしてあいつは……」
それは、と彼女は少し考える。
「――速水君と同じなら、大丈夫だったんじゃないかな。君となら、二人きりでいいって。君の選択が間違いだったとしても構わないって、そう思えるくらい君のことを……って、ここから先を言うのは野暮だよね……まぁ全部、私の推測でしかないけどね」
黙ったまま何も言えないでいると、先輩は付け足して言う。
「今日私が言ったことは正解じゃないよ。あくまで当事者の一意見で、私が私なりに選んだ解答。あなたが私のようにする必要はない。あなたは、あなたなりの答えを見つけたらいいんだから。二人で、ぴったりとはまる形を見つけたらいい――」
彼女はコーヒーを飲み干して、それから静かに告げた。
「幸せになりなよ、君たちも」
そう言った彼女は多分、誰よりも満たされた顔をしていて、薬指で煌めく銀の指輪よりもずっと眩しかった。
*
悴んだ手で鍵を手に取る。今日は落とさずにちゃんと掴めた。
今晩の夕飯はシチューだ。彼ならきっとリクエスト通りのものを作るだろうから。でも、不思議と以前のように薄暗い感情は抱かなかった。それが、彼が僕を信頼してくれている証なのだと気づいたから。妹島先輩のお陰だ。
この世界に生きる僕らは、どうしたって普通にはなれない。でも、普通にならなくたっていい。はみ出したって構わない。橙智が僕となら大丈夫だと思ってくれるなら、それを僕らの解答にしてしまえばいいじゃないか。橙智はどう考えるだろう……。早く、彼の答えを聞きたかった。
逸る気持ちを抑えながら、ドアを開ける。いつも通りを装ってみても鼓動の高鳴りは治まらない。きっと彼は、いつも通り、子犬みたいに僕を無邪気に出迎えてくれるはずだ。彼の作った美味しい夕飯を一緒に食べて、二人仲良く後片付けをして、それから話し合おう、僕らのありふれた日常の、これからについて――。
深呼吸して、部屋に足を踏み入れる。瞬く間に、冷え切った身体が温かな空気に包み込まれた。
「ただいま」
心做しか、そんなありふれた言葉にも重みを感じる。いつものようにキッチンの方から橙智の柔らかい声がした。
「おかえり」
総てを包み込むような穏やかな声に、満たされてゆく。
【了】
普通になれない僕らの「これから」について 見咲影弥 @shadow128
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