妻先

月岡夜宵

エピソード本文

 あれは親友の結婚式直前だった。

 朝からいやーな曇天に気分が滅入って、布団で二度寝するという大失態を犯した。

 室内が日差しで温まったころには、時刻は昼過ぎで、開場までのタイムリミットが発動していた。

 おめでたい席に間に合うよう、遅刻を挽回するため猛ダッシュ!!

 ……したのはいいけど、駅の階段でつまずいた。

 そもそもおねえちゃんの趣味もサイズも微妙に合わないハイヒールを履いていたせいで華麗にずっこけたのだが。

 最悪な一日だ。

 私はため息をついた。


 身なりを直して走り出そうとするが、階段に座り込んだまま固まってしまった。

 なんと靴がはけないではないか!

 転んだせいで擦りむいた足首もひどいが、そっちはまだ問題ない。

 問題があるのは靴擦れを起こした親指の外側だった。


 炎症を起こしていてはくにはけない右足をさする。

 ピリっと火がつくような激痛のせいで、靴が当たるだけでこすれた部分に大ダメージ! おかげでわたしの体力は勝負が一瞬でつくような有り様に。

 残りHPを考慮しても挽回は不可能、大人しく帰るしかないかと空を見上げた。

 カバンを探すも絆創膏は式用の持ち物リストから除外していた。こんなことなら素直に先人たちの知恵を参考にしておくべきだったと、準備をした自分を呪った。


 雨がしとしとと降り出した。

 もしも私がお姫様ならこんなピンチには絶対魔法使いが駆けつけてくれるのに。舞踏会までの道だってあっという間に……「おねえさん、大丈夫?」

「え、ッ?」

「うわあ痛そうだね。それにその格好……お祝いの席ですよね? もしよかったらタクシーで送りましょうか」

 優しい男性は私から雲隠れすることなく手を差し伸べている。

「あっっえ、嬉しいですけど、それ、はっあっっがあ」

 まさかまさかのヒロインデビュー!? なあんて思った矢先、立ち上がろうとしただけでつま先が雄叫びをあげた。振り返った人もびっくりだろう、問題ない、私もだ。生まれてこの方あげたことのない野太い声があがったもんで、親切に介助してくれようとした男性も引いている。

「ご迷惑でなければうちの店に寄ってきませんか。靴のこともありますし」

 男性の目が向いていた方を追えばすっ飛んでいったもう片方のパンプスが横たわっていた。


 ご厚意にあずかり暖房のたかれた店内へお邪魔すると腰掛けに座って治療を受けた。消毒液でひたひたになったコットンを丁寧に傷口へ。数度たたくようにしてからクリームが塗られた。絆創膏できれいに処置をした傷口は痛まなくなった。


 治療が終わると急に話題を振られた。

「どれにします?」

「どれって……」

「式場にはいていく靴です。聞いた場所ならタクシーで行けば途中からでも……」

 急なことで戸惑ったが、すぐに顔を伏せてしまった。

 中学時代から知る親友の結婚式、行きたくないはずはなかった。

 しかし――正直、もう一度ハイヒールをはくのが怖かった。

 高さ云々の前に普段からはきなれていないタイプの靴だ。

 それに転んだ思い出が、トラウマができて、顔が引きつってしまう。


 私は誤魔化した。

「ごめんなさい。お借りするにしても買うにしても、手持ちが……」

「嘘ですよね」

(あ、お金あるのバレてる?)

 たしかに財布にはご祝儀用の袋が……と思っていた私は油断していた。

「今でなくとも構いませんし靴は譲ってもいいです。でも、おねえさんの本音は違いますね。本当ははきたくない、そう思ってますよね」


 動揺をごまかす術がなかった。

 ふくらはぎをさすっていた私の手を退けると、見目麗しい男性は自分の膝に私の足を乗せた。

「僕は靴屋のせがれです。下町の店舗を経営しながら自分でも靴を作る職人です」

「は、はあ……」

 急に情熱的に語りだした男性に拍子抜けしてしまう。

「そんな僕だから靴に対しては並々ならぬ熱量をもってます」

 たしかに。ひしひしと感じる熱気に気圧された私は黙ってうなずいた。

「おねえさんの足指、きれいですよね。エジプト型で、なだらかな曲線を描いています。爪も割れたりせず食生活がちゃんとしてるからかな、栄養が行き渡ってますよ」

 ふしぎな褒められ方をしたせいで一瞬思考が停止した。

「転倒の恐怖や怪我の苦痛が原因ではけなくなるなんてもったいないです。僕はおねえさんにつま先を自慢しながら歩いてほしい、好きなパンプスやサンダルで」

「それは……」

「大丈夫、僕がとっておきを見繕ってあげます。ここは魔法の靴屋ですから」


「こちらをどうぞ。結婚式のお呼ばれですよね、ヒールの高さにNGはなかったはずです。靴底の低いこのキトゥンヒールなら慣れてない方でも平気、ですよね?」

「妊婦さんじゃなくてもそういうのってはいていいんですか?」

「たしかに社会人でヒールに慣れていないというのは参加者の視線も気になるかもしれません。ですがローヒールでもデザイン次第ではTPOにも適い、なおかつそういう視線をかわすこともできますよ」

 微笑む店主さんは箱の中から靴を取り出した。

「ささ、ストッキングはあちらの化粧室で。店に売っているこちらを穿いてくだされば。あとはこちらでタクシーを手配しておきますね」

 急いでと背中を押されて化粧室に入る。足元をのぞくとたしかに穴が空いて伝線していた。

 ストッキングの袋をあけると付箋が貼られているのが目に入る。そこには「ガンバレ!!」と受験生を応援するようなメッセージが書かれていた。





「うえぅ~~ん、もう来てくれないかと思ってたあぁぁぁ」

 新婦を泣かせたのは新郎でも彼女の両親でもなく、親友の私だった。

 スピーチでは遅刻した経緯を笑い話に変えて話した。途中で親友から振られたギャグにも乗ってやると場は湧きに湧いた。

 こうして魔法使いさんに魔法にかけられた私は最後まで彼女を見送ることができたのだった。足元には小粒パールのビジューのついたエレガントなパンプス、クリーム色の仔猫ちゃんはすました顔で式を見学している。それこそ借りてきた猫ちゃんなのにきらめき輝く魔法の一足は、私に勇気と笑顔をくれたのだった。





 あれから季節はまた戻ってきた。

 魔法の靴屋さんに出向いて代金を支払ったのがもう去年のこととは。借りるつもりだった一足はすっかり気に入って今や靴箱の住人である。

「どうして助けてくれたんですか」と問えば「だって泣いている乙女を放ってはおけないでしょう?」と、キザっぷりを発揮する彼にはほんとまいってしまう。その返しがほしくて通っている私も私だが。

 あの運命的な出会いがきっかけで靴屋さんに押しかける私だが、相手は難攻不落の城だ。天然素材を活かすイケメンは鈍感なせいで私のアプローチにも気づかない。効いてはくれない魅了の魔法に、魅力のステータスをあげるべく日夜研究していた。

 それにしてもいつ来てもここは寒いなあ。彼なんか耳も指先も赤いし。そうだ、今年はマフラーでも編んでみようかな? 正攻法ってね!


 そんな私は、まだ・・知らない。

 師匠目指して靴づくりの勉強しつつ任された店では接客に勤しむ彼が、わざと店の奥のエアコンを切っていることを。

 じつは彼がシャイでアプローチが下手なことを。

 

 それから、ブーケトスで勝ち取った花束がその効果を発揮するのを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妻先 月岡夜宵 @mofu-huwa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画