後編

   *


 吉浦君はとっても面倒見の良い子だった。

 新入生の中でいつも積極的に動いてくれるので、雑用を色々押し付けられ気味だった私のサポートにもよく入ってくれた。

 退部しそうな子がいるとさりげなく声を掛けてくれていて、後日吉浦君に言われたから辞めるの思い留まったという子が何人もいた。

 ただそうやって色々な人にさらっと声掛けたりフォロー入るものだから、ちょっと本音が良く分からなかったり、八方美人の軽い男と思われている所もあった。

 本人は別に特別の事をしていると思っていないらしく、困っている人や悩んでいる人は放っておけない性格なだけみたいだ。


「そして見守る四人組も今日まで何を出来るでもなく待ち続けてしまった……」

「言わないで、自分がヘタレだって知ってるから……」

 安登ちゃんの心無い一言はいつも私の心を抉る。

 卒業式の前日、吉浦君に助けられたエピソードを持つ我らヘタレ四人組は、見守り続けた吉浦君に本心を打ち明ける機会を持てずに、私とフルートの安登ちゃんが明日卒業を迎える。

「やっぱ潮見先輩が本命って思うんですけど、なんで両片思いやってんスか?」

「皆さんまだいいですよ。僕なんか絶対思いが通じない自信ありますし」

 アルトサックスの秋津はいつものネガティブ全振り思考で相変わらず戦う前から負けている。たまに私と吉浦君のカップリング妄想が暴走するのは本当にやめて欲しい。二回くらいその妄想前提で吉浦君と会話して、後で死にそうになった。

 そして男子なのに当たり前のように混ざっているトロンボーンの坂君。ホモではないけど吉浦君が好きなんだとこの一年ずっと言ってきていた。

 まあ、好きの形は沢山あっていいけど、吉浦君のマウスピースになりたいとか言う限りなくキモイ発言は勘弁して欲しい。

「それで今更ですけど、潮見先輩はなんで吉浦君好きになったんです?」

「言ってなかったっけ?」

「いつか話すと言い続けて先輩明日卒業です」

「……なんかごめん」

「どうせどこが恥ずかしいのか良く分からない潮見先輩基準のエピソードだと思いますんで気にしないでください」

 信じられるだろうか?この秋津という女は誰に対してもこの物言いだ。

「やっぱ秋津は遠慮と先輩へのリスペクトを真剣に学んだほうが良いと思うよ」

「うちの両親の持ってないものを私に期待しないでください」

 そうやっていつもの様な大喜利で吉浦君の件を胡麻化そうとしていたが、今日はさすがに他の三人が許してくれなかった。そして私は仕方なしに、長い溜息と共に三人と向き合った。


 吉浦君を始めて意識したのは二年の夏合宿の時だ。私は食事係という時間と手間を取られる役を、三年生にうまい事言い包められて任されてしまう。

 感謝される事が無いどころか文句ばかり言われ、自分の練習もまともに出来ずにてんてこ舞いする羽目になった。

 初日は準備不足と要領得ない対応で部員の総スカンを食らい、夕食後の片づけを涙目になって行っていた。その時に頼みもしないのにフォローに入ってくれたのが吉浦君だ。

 家では弟妹にご飯作る事が多くて慣れているからと、配膳準備やメニューの確認、伝達事項の整理や片付けを部員全員にやらせる悪だくみまで、色々アイデアを出してくれた。

 次の日から私が笑いながら役目をこなせたのは、吉浦君が一緒に手伝ってくれたからだ。一緒に動きながらなんで手伝っているのか聞いてくる他の部員に、笑顔で「こういうの結構好きなんで」と答えながら仕事をこなす姿はとてもカッコよかったんだ。

 そして何より私はその日の夜、部員たちが親睦兼ねて自分たちで作ることになったカレーライスで、吉浦君の作ったカレーに脳天を撃ち抜かれた。

 なんというか、おばあちゃんの作ってくれたカレーとか、小学校の給食で食べていたカレー思い出す優しい味だったのだ。

 あの時カレー食べて泣いている私を見て、なんかやらかしたと勘違いした吉浦君が土下座して謝り、そうじゃなくておばあちゃんのカレーみたいでおいしかったという感想に、「死んだおばあちゃんの味を思い出せたんならなんか嬉しいです」とか言われたけど、おばあちゃんまだ生きてる。

 その後も中々言い出せなくて悶々としている。

 有体に言えば私は『胃袋を掴まれた』訳で、普通女子が好きな男の子を捕まえる時にやる行為を、図らずも私は吉浦君にされてしまったのだ。

 女子力という意味では非常に残念な私。一通り家事はするけど料理の腕は絶望的で、要領もあまりよくない。方向音痴だし機械の扱いはお父さんにやってやるからそこで見ていろと言われるレベル。

 部の中で色々お役目こなしてヘラヘラしてるけど、それは自分の自信の無さの裏返しで、せめて雑用とかでも役に立てればという後ろ向きな理由でやっていただけなのだ。

 周囲は世話焼きだとか面倒見がいいとか言ってくれていたけど、きっと周囲の人たちも都合がいいからそう言っていただけと思う。私もそこに便乗していたしね。

 だから女子力高めの安登ちゃんや、発言強気の秋津とか…………同じ男の坂君とかの方が、吉浦君にはお似合いな気がするんだよね。


「確かに自己主張弱めの吉浦君には、ネガティブなくせにマウント取りに行く秋津は良い組み合わせなんだよなあ」

「安登先輩、なんか言葉で殴りに来てません?」

 秋津は売られた喧嘩は全力で買う。直したほうが良いと思うんだけどね、男の子じゃないんだから……安登ちゃんもわかってて煽るし……

「その煽り方面にボキャブラリー豊富な語彙力、ホント羨ましいわ」

「敵しかできませんよ?トイレ入ってると上から水が降ってくることありますし」

「あとで犯人の親呼び出して、被害者ムーブ炸裂させて停学させた話でしょ?えっぐいわキミ」

「因果応報ですよ。あーもーそんなんどうでもいいんです。私は吉浦君が誰かさんの腕の中で女って柔らけえ……とか言ってる絵面が浮かんで猛烈に鬱になるんですよ」

「いやそれ秋津かもしれんし」

「僕の可能性も少し位……」

 いやそれはないと三人から同時に言われた坂君はちょっと涙目になる。

 とはいえ叶う事はほぼ無いけど、純粋一途な坂君の思いを三人は結構好意的に見ていた。


 *


 部活の最中結構衝突する事も多く、互いをライバル視していた安登ちゃんと吉浦君。実際二人の会話の量は四人の中で一番多く、電話やLINEの連絡先もすでに知っている。毎日部活後も遠慮なしに電話したりLINE交換をしている間柄だ。

 ただまあ浮ついた話は一切なく、内容の三割は互いへの文句や罵倒で占められているという。今の関係に安登ちゃんは満更でもない感じだし、吉浦君が安登ちゃんを選んでも納得は出来る。

 部活について行けずに退部第一号になりそうだったのが秋津。あの毒舌は入部した時からほぼ変わらない。先輩からすればあんなどぎつい言動悪意があると思われても仕方がない。私のフォローは「潮見は優しすぎ」で切り捨てられ、先輩の逆鱗に触れるのを恐れて一年二年は当然沈黙。地獄みたいなサックスパートの中で険悪な空気をごろっと変えたのが吉浦君だった。

 以後秋津とサックスパートのコミュニケーションに吉浦君がしょっちゅう駆り出され、たまに私が苦言を呈しに行くのがクラリネットとサックスの恒例行事と化す。

 トロンボーンの坂君は大人しい性格が災いして、男の娘扱いされて半ばいじめられていた。

 文化祭で女装させられていたのも男の娘扱いに拍車をかける。しかも似合ってて告白する男子がいたという噂もあり……正直私もグッと来た。

 そんな坂君が男女扱い嫌がっているのを察したのが吉浦君。ホントこの子困っている人見ると構いに行くんだよなあ……だから八方美人って言われるんだけど。

 坂君は吉浦君と話している時本当に楽しそうで、たまに獲物を狙う猛禽類の目になっているのを私含めた三人は見て見ぬふりをしている。

 私たちは坂君が今の関係を大事にしていて、一線を越えるつもりが無いのを知っているからだ。ある意味吉浦君への愛情は坂君が一番深いかもしれない。


 陽が陰り、照明もつけない音楽準備室の中は互いのシルエットが見えるだけのちょっとホラーな空間になりつつあった。

「結局今の関係性を変えたいの、潮見だけだろ?」

 安登ちゃんのツッコミに返す言葉はない。

「私は吉浦君預かりのサックスパートの外様なんで、今以上にどうにかなる気ありません。潮見先輩が私に吉浦君差し出すなら遠慮なく喰いますけど」

 舌なめずりしている秋津に戦慄する。こいつ冗談でこう言う事は言わないから本気で焦る。

「僕は吉浦君とクレープ一緒に作ってみたい。弟君たちと一緒でもいいから」

「坂君……なんでクレープ?」

「材料揃ってなくても何となくできるからって吉浦君が言ってて、なんかやってみたいって思ったんだ」

「あーそっか。坂君は……そのなんだ、今のまんまで……居てね」

「?わか……っりました?」

 とは言っても坂君だって油断ならない。というか……吉浦君ホモとかじゃないよね?なんか心配になってきた。

 なんか知らないけど、四人組集会の結論として、『おそらく潮見狙いな吉浦君を生暖かく見守り、吉浦君が潮見以外狙いなら他三人が遠慮なく喰いに行く』という謎な行動方針が出来た。

「私の意思とか意見は?」

「二年ヘタレて行動起こせなかった奴に発言権があるとでも?」

 安登は自分の首も絞める言葉を他人事で吐いている。でもダメージ大きいのは私。それは認める。

「先輩、我々はただの偽善者ですよ?」

 悪者ぶる秋津は可愛い。自分の思いは封印して私を焚きつけているのは知っている。ずるい先輩の自覚はある。それを秋津も知っている。だから、本当にごめん。

「僕は潮見先輩と一緒に居る時の吉浦君の表情、嫌いじゃないんですよ」

 坂君はなんだかんだ達観している。

 柳に風で柔軟に現実を受け入れる彼は見た目に反して結構強い。だから私を含めた三人は、存外坂君に一目を置くんだ。

 

 ああ、明日卒業なんだな。十九時を回っていい加減帰ろうかとなった時、ようやく私はそう思えた。もう職場にちょくちょく出入りしているとはいえ、これから一か月は学校も仕事も関係ないどこかふわふわした時間の中に身を置く。

 この間、私はどんな時間を過ごすのだろう?楽しみもあり、無為に無意味に過ごす可能性がある事も弁えているからこそ、戦慄する。

 校門で三人と別れる。

「どうせまた夏に会うだろ」と笑いながら安登ちゃんが言った。

「先輩の惚気を聞かされるのが鬱です」と秋津が確定事項みたいに宣う。そう言われても私はね、自信が無いんだよ……なんでもかんでも。

「吉浦君の次に、潮見先輩にも感謝しています。僕は親にもしっかりしろとか男らしくとか言われてて……でも、潮見先輩も吉浦君も僕の話、笑い飛ばしてくれて……だから僕は、まあ、自分の思いは色々あるけど、潮見先輩と吉浦君が笑いながら一緒に歩く姿が、そんな二人が見れれば幸せだなって、思うんです」珍しく多弁な坂君、やっぱ優しいいい子なんだよね……

 よく考えたら、このメンバーでサヨナラまた明日って、学校帰りに言えるの今日が最後だった。けど当たり前みたいに、軽くまた明日ねって、私は言ってしまった。


 なんか、もったいなかったなって、帰り路に思っていた……


  *


 竹原ちゃんと幸崎その子、吉名さんは最後まで私の周りで賑やかにお話ししてくれる。

 三人とも目の下が赤い。私のいない所で泣いていたみたいで、笑顔で送り出そうとしてくれているのが見て取れた。だから私も涙は流すまいと決めて決壊しそうな涙腺を引っ込めていた。

「潮見先輩!」

「あ、吉浦君」

 ああ、結局自分の恋心にケリをつけぬままそろそろ帰ろうかと思っていた時、決死の表情の吉浦君に後ろから声を掛けられる。

「その、卒業おめでとうございます」

「ありがと。パートリーダー、頑張ってね」

「潮見先輩みたいにみんなをまとめる力ないですけど、頑張ります」

「うん、君ならきっと大丈夫だよ」

 本当、私なんかよりよほどしっかりしているし、後輩からも信用勝ち取るくらいに人間出来ている。

 でもやっぱり名残惜しいな。毎日のように会えていた学校とはおさらばだし、これからはきっと接点も徐々になくなっていくに違いない。

 次の言葉を探して流れる沈黙。私は望外の期待をしてもいいのかなとその時思った。

 本当に好きなら、自分から言うべきではないのかと思ったけど、やはり怖い……いい返事をもらえる自信が、どうしても私には持てない。

「それで……その」

 吉浦君が意を決したように顔を上げる。

 そういえば後ろの三人組、妙に静かだなと思っていたら、吉浦君が話し始めた。

「一年の時からずっと先輩の事見ていました。憧れてました。そして何より、先輩のことが大好きでした。僕と、これからも、会ってもらえませんか?」

 おおう……というどよめきとも感嘆とも言えないうめき声が後ろの三人から漏れる。

 秋津の妄想トークに付き合わされた時、吉浦君から告白されたらその場で踊りだす私の姿が思い浮かんだそうだ。ぴょんぴょん跳ねて小学生みたいに。

 なぜかこの瞬間そんなことが思い浮かび、いやそんな恥ずかしい真似出来ないってと妄想の中の自分に裏拳入れた。

 まあそれはそれとして、くだらないことを考えていたら妙に冷静になれて、六十度くらいの角度で頭を下げている吉浦君のつむじを眺めて声を掛ける。

「吉浦君……私なんかで、いいの?」

 ほんと、私なんかでいいのかな。もう少し自信持てとか親や先輩にさんざん言われた。でも今でも私は中途半端。

「先輩じゃないと、僕は嫌です」

 言い切る吉浦君はかっこいい。私が一番言って欲しいと思っていた言葉をくれる。まあ、この二年間そういえばいっつもそんな感じだったか……

「ん……こんな私で、良かったら……」

 せっかくここまでお膳立てしてくれて、きちんと言葉で伝えてくれた。とても、嬉しい。

 ちゃんと、今ので伝わってた……よね?

「やっぱダメで……へ?」

 あ、断るって思ってたのか。まー散々今まで他の人から告白されて断って来てるからなあ……あのカレーライスを食べてからは、私は吉浦君以外と付き合うつもりなかったからお断りしてただけなんだけどね。でもまあ、吉浦君も断られるって思うよね、ごめんね……

 どんな顔して良いかわからずに曖昧に笑うと、OK貰ったのがようやく認識できた吉浦君が面はゆいような照れたような顔になる。

 真っ赤になった顔、すごい可愛かった。


 でも、私も同じぐらい茹蛸になっていたのを、あとで三人組に教えてもらった。


 その後はまあ、順調といえば順調なのだろうか?

 連絡先はすぐに交換したけど三日経っても音沙汰無くて、しびれを切らして私が電話したらずっとなんて連絡したらいいか悩んでただの、デートの前日に何着て行ったらいいんですかと泣き言みたいな声が電話の向こうからしてくるし、初デートで彼氏コーディネートとか……まあちょっと楽しかったけど、このまんま私色に染めるのもありなのかと黒い事考えたり……

 たまに喧嘩したり学生と社会人のギャップに戸惑ったりするけど、うんまあ、幸せ。


 安登ちゃんはその後二年位連絡なかった。やっぱり失恋のショックでかかったらしく、私たちが付き合いだして初めてそのへん実感したらしい。

 秋津はわざと部室で吉浦君と腕組んだ写真とか送ってきたり、嘘混じりの吉浦君情報とか流してきて非常に性質悪い妨害してきてたけど、それも秋津の大学進学後は無くなった。

 坂君は吉浦君と仲良く調理師専門学校に通っている。吉浦君はホテル厨房目指してて、坂君はお菓子の方に進みたいらしい。バレンタインを吉浦君に渡せたと幸せそうな声で電話してきたときは、少しほっこりしたけど、ちょっと心配もした。吉浦君、両方いける口じゃないよね?

 竹原ちゃんと幸崎その子、吉名さんは揃って音大に行った。仲良すぎだよあの三人。ルームシェアで一緒に生活してるらしいし。あ、吉名さんは男連れ込んだのバレて追い出されたんだったか……


 今では吉浦君と下の名前で呼び合うし、デートの時のお弁当は美味しいし、ドライブデートも行けるようになって、私は幸せだ、うん、やっぱ幸せだなあ。


 あと、ちょっとだけ自分のやることに自信がついたよ――――


おしまい

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