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「あんたうちのアズに何したのよっ!」
翌朝一番、教室のドアをぶち破らんばかりの勢いで押し入ってきた女子生徒に、俺は鬼の形相で胸ぐらを掴まれていた。去年同じクラスだった峯松あかりだ。部活は弓道部——つまりは、北村の先輩。
「おいおい、ナニしたんだよイッチー。呼び出されたからってちょっと飛ばしすぎたか?」
切迫した状況にもかかわらず、他人事を決め込んだ渡会はニマニマ笑いながら揉み合う俺たちに野次を飛ばしていた。殴りたい。
「変なことはしてないっ、ただ話をしただけだっ」
自分でも白々しいとはわかっているが、そう言うほかなかった。
「ならなんでアズがあんなガタガタの射形してるの! おかしいでしょ!」
身長は平均的だががっしりと骨太な峯松の膂力は、同じ女子とはいえあの子とは比にならない。怒髪天を突く怒りも相まって、猪もかくやの突進力だ——その時。
「やめてくださいっ」
息を切らして教室に駆け込んできたのは——
「違うんです……その人は、何も悪くないんです。お騒がせして、すみませんでした」
「あ、アズ……」
後輩に頭を下げられ、立つ瀬を失った峯松の勢いが緩む。納得は行っていないようだったが、「許したわけじゃないからねっ」渋々といった様子で俺を解放して、教室を出て行った。
後に続いた彼女が、一瞬だけ俺を振り返る。
泣き腫らした目の縁が、紅を引いたように赤く色づいていた。わずかに潤んだ虹彩が、色とりどりの光を反射する。あの時の、夜空のように遠く深い黒よりも、打ちひしがれた今の彼女の瞳の方に、不思議と強く惹きつけられた。
「……あのっ」思わず、呼び止める声が口をついて出る。
「昨日は、すまなかった……俺が、言いすぎた。できれば、またいつかちゃんと話をしたい」
返事は、なかった。黒いリボンで括った長いポニーテールが揺れて、華奢な背中は見えなくなった。嵐の去った後の教室で、クラスメイトの好奇の視線がちくちくと痛い。
「おいイッチー、まさかあれが北村ちゃんか? めちゃくちゃ可愛いじゃねえか、聞いてねえぞこの野郎!」
「……うるせえよ、馬鹿」
まあ、この新鮮な反応を見るに出歯亀はやっていなかったようだ。
「いったいナニがあったんだよ、詳しく聞かせろ」
「だからナニってことはねえよ。ただ、ちょっと口論になって……だいたい、俺が悪いけど」
事のあらましを、ざっと説明する。ひと通り聞き終えた渡会は、神妙な顔で腕を組んだ。
「ふーん、なる程な。こりゃお前が十割悪い……と言いたいとこだけど、可愛い子への贔屓目を抜きにすりゃあ、五分五分ってとこか。まあちょっと意地は悪かったんかもしれんけど、あくまでじいさんはじいさん、お前はお前だろ。今弓道やってないことを責められる筋合いはねえよ」
「……そうか」
「お遊びじゃねえ、お前は陸上に対してガチだ。ちゃんと実績も残してる。誰がなんと言おうが、〝陸上の一番ケ瀬〟だよ、お前は」
渡会のこういうところには、認めるのも癪だが度々救われている。走っている俺しか知らなくて、だからこそ今走っている俺だけを見ていてくれる。なんだかんだで四年もつるんでいるくらいには、こいつの隣は居心地がいい。……面と向かっては、口が裂けても言えないけれど。
「にしても、すげえんだなその子も。お前のじいちゃんっていやあ、弓道の県連の元会長とかだったんだろ」
そういえば昔、うちに県連や全弓連のお偉方っぽい人たちが出入りしてたな、と思い出す。
「うちのジジイと同じ八段範士……そんなのと同じって、ちょっと半端じゃねえわ」
「……本当にな。俺なんかが言うのもなんだが、あれは高校生のレベルじゃない」
ここでいうジジイとは、こいつの祖父兼道場の師範のことだ。畑違いとはいえ同じ日本武道の達人として、また少年時代からの旧友として、じいちゃんとは親交があったらしい。俺も小さい頃に面識があると聞いたけれど、覚えていない。
「つーかジジイ、もう八十も手前だってのにまだ元気ビンビンでさ。絶対俺の方がフィジカルじゃ勝ってんのに、今だって十本に一本くらいしか取れねえの。老害ってのはああいうのを言うんだな、さっさとくたばれっての」
憎まれ口を叩きながらも、その口調はどこか誇らしげだった。少しだけ、羨ましくなる。こいつのじいさんは今なお壮健な肉体を誇り、その力を遺憾なく発揮しているという。
——なら、どうして、俺のじいちゃんは。
「……でも、それだって、限界があるだろ」
漏らしたのは、単なる僻み。
「強いったって……たとえば、現役で年齢制限なしの全日本に出てるわけじゃないんだろ」
「まあ、そりゃあな」
「いくら経験があったって、老いには敵わない。もう五十歳も若返った方が、絶対に強いはずだ。そうだろ?」
……わかっている。だからなんだ、としか言いようのない、めちゃくちゃな難癖だ。「なんでお前のじいちゃんはまだ終わってないんだよ」の換言でしかない。
しかし、渡会は真剣にシミュレーションした様子で、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……百本に一本も取れる気ぃしねえわ。すげえこと考えるのな、お前」
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