太陽の子【本編】

望月 葉琉

第一章 ~初登校~

わたしを囲う鳥かご。


それを、破ろうと叩く音がする。


それだけで満足しなくちゃいけないのに。


「帰って」って追い払わなきゃいけないのに。


貴方が来てくれて、 涙が零れるほど嬉しいわたしを否定できない。


透明な壁一枚隔てた向こうにいる貴方を もっとよく見つめたくて。


わたしは思わず、手を伸ばした――。




第1章 ~初登校~




気の早い桜がもう大方散ってしまった頃。


わたし、太秦 陽子(うずまさ はるこ)は、 幼馴染である広田 隆(ひろた りゅう)の通う 右京高校への初登校日を迎えていた。


わたしは身体の事情から、生まれてこのかた 学校というものに通ったことがない。


義務教育の間は院内学級があるけれど、 それは病院の域を出ない。


つまりわたしは、 外の世界をあまりにも知らなさすぎたのだ。


隆の語る外の話はとても魅力的で、 わたしはいつも外に出たいと訴えたものだった。


そんなわたしを見かねてか、隆のお父上でもある 主治医の広田先生は、容体が安定していることを理由に 特別に高校三年生への編入を図ってくれた。


ただし、 身体に負担のかかるような無理はしないこと、 隆の言うことはきちんときくことが条件だ。


「そんな条件、 得られる自由に比べたらなんてことないんだけど……」


そう独りごちながら、 わたしはきょろきょろと辺りを見回した。


わたしは今、隆に先日 「ここまで来たら迎えに行くから」 と言われた場所に立っている。


だが当の隆は、一向に姿を現さない。


早く学校に行きたい一心のわたしはそわそわしながら、 真っ新な鞄から携帯電話を取り出して、 隆の番号へと発信した。


「もしもーし」


「お前落ち着きなさすぎ。 仔犬でももう少しじっとしてられる」


電話に出るなり不機嫌そうにそう言われるけど、 隆のそんな態度はいつものことなので 今更わたしは気にしなかった。


「すごい、まるで見ているみたい。どこにいるの?」


「前よく見てみ」


言われて目を凝らすと、 通りの向こうから隆がかったるそうに 歩いてくるのが確認できた。


わたしが彼を視認したのがわかったのか、 電話はブツッと切られてしまう。


仕方がないので携帯電話は大人しく鞄にしまい、 隆が到着するのを待った。


「おはよ、隆」


「早すぎるだろ…… どこの世界にこんなに早く 登校する高三がいるんだよ……」


「む、しょうがないじゃない。気分は一年生だもの」


反論しつつも時計を確認すると、 分針はまだ約束の五分前を指していた。


「オレは遅刻してねーぞ」


文字盤を覗き込むわたしに向かって隆はそう言う。


「そうみたい。 不思議、あんなに遅いと思ったのに。 わたしの体内時計だけ進んでたのかな」


「そりゃ大変だ。 早いとこ時計屋に修理に出しといたほうがいいぞ」


そんな憎まれ口を叩きながら、 隆は先へと歩き出してしまう。


わたしはここから右京高校までの道順を知らないから、 置いて行かれてはたまったものではないと、 慌てて隆についていった。


校門に着くと、わたしの興奮は更に高まった。


「すごい! 本当に『右京高等学校』って書いてある!」


「本当にって、お前嘘だと思ってたのかよ」


「ねぇ隆、写真撮ろう写真! 記念に!」


再び鞄から携帯電話を取り出し、 学校名のプレートの横に隆を並べようとすると、 彼は露骨に嫌そうな顔をした。


「やだよ、入学式じゃあるまいし」


そう言ってわたしの手をすり抜けると、 隆はひとり昇降口のほうへ向かって行ってしまった。


仕方ないのでわたしは、 学校名の表札だけの写真を撮った。


今までの生活の中で、 携帯電話を必要とすることはなかったわたしだ。


だから携帯電話を持つのはこれが初めてのことで、 画像フォルダの中身はもちろん空っぽだった。


けれどもたった今、記念すべき一枚目が保存された。


この一枚を皮切りに、これからたくさん 素敵な写真でデータを埋めていく期待を胸に、 わたしは隆のあとを追いかけた。


昇降口で隆に追いつくと、彼は旧二年生の棚に靴を 履き替えに行った。わたしは今日編入だから、 自分の下駄箱がまだない。


とりあえずということで、来客用のスリッパがたくさん 並んでいる棚の隅に運動靴を置かせてもらい、 新三年生にしては綺麗すぎる上履きに足を通す。


そしてすぐ近くにあった階段を使って二階に上り、 職員室があるという校舎と繋がっているらしい 渡り廊下を歩いて行った。


渡り廊下からはグラウンドが一望でき、 そこで集まっている集団から発せられる声は ここまで届いてくるほどだった。


「隆、あれは何?」


「あぁ、サッカー部の朝練だろ。 三年は引退かかってる試合近いらしいし」


「……三年生、いるの?」


わたしが問うと、隆は「しまった」という顔をした。


「さっき隆、こんな朝早くに来る高三はいないって」


「……部活に入ってる奴は違うんだよ」


「隆は部活入ってないの?」


「オレは帰宅部」


「帰宅部って何するところ?」


「一刻も早くおうちに帰るところ」


「ふーん」


まだまだききたいことはたくさんあったのだけれど、 隆があまりにも居心地が悪そうにしていたので、 そこで勘弁してあげることにした。


わたしは狭い世界で育ったから、 普通の子たちと比べて、 知らないことがいっぱいある。


隆はさすが広田先生の息子なだけあって物知りだ。 だからわたしが、それに甘えてついつい質問攻めに してしまうことも昔からよくあることだった。


だけどそんなわたしの態度を隆が苦手としていることに、 わたしはなんとなくだけど気が付いていた。


これまでは気軽に疑問をぶつけられる人が 隆ひとりしかいなかったので、 わたしはそのことに気付いていないふりをし続けてきた。


でも、これからは違う。


隆だけに頼らなくても、 ほかの人にきいていくことができる。


同級生。 クラスメート。 ……トモダチ。


そう、わたしは友達という存在に、 強い憧れを抱いていたのだ。


そんなことをぼんやり考えていると、どうやら職員室の ある場所に着いたようで、隆がドアをトントンと ノックする音が前方から聞こえてきた。


「はざまーす。太秦連れてきました」


「おはよう広田。話はお父さんからきいてるよ」


普段隆からは陽子と呼ばれているから、 突然苗字で呼ばれてどぎまぎしながら、 わたしは隆に反応した女性に挨拶した。


「おはようございます、初めまして。今日からこちらに 通わせて頂くことになりました太秦 陽子と申します。 よろしくお願い致します」


「おや、礼儀正しいお嬢さんじゃないか。 こちらこそよろしく。 あたしはあんたたちの担任の岡本だよ」


「『たち』って……ちょっと待って下さい、 もしかしてこいつオレと同じクラスですか?」


「そうだよ。3年5組。お父さんからきいてない?」


「……あの野郎」


わたしと岡本先生の会話に割り込むと、 隆は今この場にはいない広田先生に向かって毒づいた。


隆と同じクラスというのは、 わたしにとっては安心できることなのだけれど、 隆にとってはどうやら違うみたいだった。


隆はポケットに両手を突っ込むと、 じゃ、と言ってそのままわたしを 置き去りにして職員室を後にしようとした。


わたしは一気に心細くなり、 慌ててその背に声をかける。


「隆、どこ行くの?」


「先教室行ってる」


「でも、広田先生が隆とはなるべく一緒にいろって」


「それ、言葉の綾だから。お前は何でもかんでも人の 言うこと鵜呑みにしすぎ。ちょっとは自分の頭で考えろ。 オレが今ここにいても出来ることないだろ」


言うなり、 男の先生が入室したのとすれ違いざまに、 隆はドアをすり抜けて出て行ってしまった。


「そんな不安そうな顔しないの。 どうせすぐ教室で会えるんだから」


岡本先生にそう苦笑され、 わたしは思わず萎縮する。


わたしにとってのいわゆる「外の世界」の 人だけの空間にいるのは初めてのことなので、 どうしても緊張してしまっていたのだ。


そんなわたしに向かって、 岡本先生はとても柔らかく微笑んでくれた。


「これから一年、一緒に良い学校生活を送っていこうね」


「……! はい! わたし、頑張ります!」


「ははっ、だからそんなに固くならなくて大丈夫だから。 それにしても意外だったね」


「? 何がですか?」


「広田があんなに喋るなんてさ。 普段あいつ、そんなに口数多くないほうだから」


岡本先生がそんな風に言うので、 わたしは先ほどまでの隆の様子を 頭の中で思い浮かべてみた。


別段おかしいことは何もなかったはずだ。 わたしにとってはいつも通りの隆で、 特に変わった点があったようには感じなかった。


学校での隆は、 わたしの知ってる隆とは 少し違うということなのだろうか。


「岡本先生は隆とは親しいんですか?」


「あたしは去年も広田たちの担任だったんだよ。 どこの高校も2、3年はクラスも担任も 持ち上がり制のところが多くてね」


学校というものにあまり馴染みのないわたしにも わかりやすいように、岡本先生は親切丁寧に 教えてくれた。


「あたしの話、あいつから聞いたことない?」


「うるさくてお節介な女の先生って……あ!」


うっかりそこまで言ってしまってから、 わたしは口を滑らせてしまったことに気が付いた。


慌てて手で口を覆ったけれど、 当然ながらもう遅かった。


「……あいつには教師を敬う 気持ちが少し足りないようだね」


苦い顔をして呟く岡本先生を見て、 図らずも告げ口するような形になってしまったことを、 わたしは心の中で隆にごめんと謝った。


その後、わたしはあらかじめ送られてきていた書類を 提出したり、お世話になる可能性の高い保健室の 養護教諭の先生のところに挨拶に行ったりしてから、


岡本先生の案内に従って、 隆もいるという3年5組の教室に向かった。


今日はほかの生徒たちにとっても新学年初日。 まずは全員体育館に集まり、 始業式というものが行われるそうだ。


わたしが紹介されるというホームルームは その後で行うらしい。


わたしは自分の席だと言われた机に鞄をかけると、 廊下でクラスの子たちが並んでいる列の先頭に呼ばれ、 またも岡本先生の後ろをついていくこととなった。


「何? あの子。転校生?」


「えー、3年で?」


「なんか芋っぽくない? 田舎から出てきたのかも」


「何それ? 出稼ぎ?」


後列の女子生徒たちがわたしを見てヒソヒソと 話しているのがなんとなくきこえてきた。


芋とはどういうことだろう……と、わたしはまたもや 悪い癖を発動して隆に意味を尋ねたくなり、 男子の列を前から順に眺めていく。


しかし、隆の顔を見つけたのは 列からちょうど真ん中辺りで、 ここからではどう頑張っても声は届きそうになかった。


わたしは仕方なく諦め、 始業式とやらに集中することにした。


けれども体育館に到着し、 偉い先生方が始めた長々とした話は わたしには難しすぎて、よくわからなかった。


ほかの生徒たちのように居眠りするのは 憚られたので、わたしは式の間中ずっと、 さっきの女子生徒の芋という発言について考え、


頭の中でジャガイモやサツマイモに 試しに自分の顔を当てはめてみていた。


始業式が終わり、教室に戻ってホームルームで自己紹介 を済ませると、その後は長期休暇明けの恒例行事だと いう宿題提出の時間になった。


未提出のものがある生徒は居残りらしいけど、わたしに 宿題は課されていないし、隆は全て提出済みなので、 その日はもう下校して良いことになった。


もっとたくさん色々なことをすると思っていて、 気合い充分で来たわたしにとっては正直、 拍子抜けするような時間の短さだったけど、


隆は「初日なんてこんなもんだよ」と言いながら、 さっさと鞄を掴んで教室を出て行こうとした。


空回りした意気込みを持て余し気味になりながら、 わたしも大人しくその後をついていった。


今朝登校した時とは逆の道順で、 廊下、昇降口、と進んでいく。


クラスが3年5組とわかったので、隆は旧二年生の 棚から、わたしは朝仮に入れたお客様用の棚から、 靴を入れる場所を移し替えた。


運動靴に履き替えて外に出ると、 渡り廊下からとは別の角度で グラウンドが見えることにわたしは気が付いた。


そこには朝とは別のユニフォームを着ている集団がいて、 なにやら準備体操をしているようだった。


わたしは不思議に思い、 前を歩き出そうとしていた 隆のジャケットの裾を掴んで止めた。


「ねぇ」


「何?」


わたしに服を引っ張られてガクンと 急停止する形になった隆は、相変わらず 不機嫌そうにこちらに振り向き問い返す。


「あの人たちは何をしているの?」


グラウンドを指さすわたしに倣い、 隆もそちらに顔を向ける。


「何を、って……部活だよ。今朝も言ったろ?」


「朝もやってたのに放課後もやるの?」


「あれは朝とは違う部活だし、同じ部活だとしても 朝練もありゃ午後練もあるだろ。 お前、ホント何も知らねぇのな」


「……ごめん」


呆れたように隆に言われ、わたしはなんだか申し訳ない 気持ちになった。しょんぼりしながら謝ると、何故だか 隆のほうが居心地悪そうに身じろぎした。


「いや……オレのほうこそ悪かった」


そしてばつが悪そうな表情で、 わたしのほうへ顔は向けないままポツリと呟く。


「そうだよな。 あんな閉じられた空間にいたのに何でもかんでも 知ってたら、そりゃそっちのほうがおかしいよな」


「そんな閉じられた環境にいても 外に対する興味をなくさなかったのは、 隆が色んな話をわたしに聞かせたせいなんだからね」


気まずい雰囲気を払拭したくて、 わたしは努めておどけた調子で言ってみせた。


すると隆もわたしの意図に気が付いたのか、 顔は相変わらずムッとしていたけれども、 軽口を叩くような感じで返してきた。


「ばーか。そこはお前、 『せい』じゃなくて『おかげ』って言えよ。 言葉一つで人の感じ方って変わってくるんだからな」


そこで隆は漸く、その顔をこちらへ向けてくれる。


「ま、オレらが普通だと思い込んでる日常的な出来事も、 お前にとっては新鮮なことなんだろうし……これからも、 わかんないことはとりあえずきけば良いんじゃないの?」


「……ほんと?」


「オレにとって当たり前だったことを、お前にきかれて 初めて『そういえばそれってどういうことだ?』って 改めて考え直すことも、少なくないしな」


そう言うと、隆は今日初めての微笑みを見せてくれた。 その笑い方は、若干苦笑に近かったけれど、 わたしは途端に嬉しくなった。


小さい子どものうちはたくさんニコニコしてくれていた 隆も、成長するにつれてあまり笑ってくれなくなって しまっていた。今ではその笑顔はとても貴重なものだ。


「じゃあね、隆。 わたし、部活動がどんなものか知りたい」


「おい、調子に乗るなよ。 ああは言ったけど、遠慮ってものをだな……」


何かを言いかけている隆の言葉を無視して、 わたしはその腕をぐいぐいと引っ張って グラウンドに向かって行く。


「ちょっと待て、わかった!  わかったから、あそこはやめとけ。 あれ、野球部だから、お前には無理」


聞く耳を持たないわたしに根負けした隆はわたしの肩を 掴んで止めると、くるりと向きを変えさせてグラウンド の横の道を背を押して歩かせ始めた。


「なんで無理なの?」


「ウチは部活動が盛んなほうだけど、その中でも野球部 はかなりガチなほうだから。お前みたいな奴がホイホイ 行っても、遊びで来るなって言われるのがオチだ」


「どこに行くの?」


「体育館。そっちなら、多分知り合いがいるから」


そうして到着した体育館では、 ダンダンとボールが床を跳ねる音が響いていた。 活動しているのはバスケットボール部というそうだ。


「……」


「隆? どうしたの?」


ここへ連れてきてくれたのは隆なのに、 なにやら彼は難しい顔をしていた。


「陽子、今日はやめよう」


「どうして?」


「あれ、広田じゃん。女子なんて連れて珍しいね。 なになに、その子どしたの?」


そこへ、小柄な少年がボールを小脇に抱えてやってきた。 どうやら隆と知り合いのようだ。 体操服の名札には「高橋 諺」の文字。


コトワザくん……他人とあまり関わりを 持ってこなかったわたしにも、 それが珍しい名前だということくらいはわかった。


「わりぃ高橋、何でもない。すぐ連れて帰るから」


「なんで? 隆、話が違う」


わたしがムッとすると、 隆は頭をガシガシと掻きながら仕方なさそうに 眼前の少年――高橋くんに尋ねてくれる。


「念のため聞くけど、今日、女バスいないんだよな?」


「あぁ、今日は男バスだけの練習日だけど。 何、その子入部希望者?」


「いや、正確には違うんだけど……陽子、今日は男バス ……つってもわかんねぇか……あー、男子部員の練習日 なんだ。だから今日は諦めて、体験入部はまた今度。な?」


隆はわたしにもわかるような言葉に言い換えて 説明してくれた。だけどわたしは、期待させられた分 少し意固地になっていたので、つい食い下がってしまう。


「わたしのことなら、女と思わなくて構わない」


「そういう問題じゃなくて」


そこで、ピーッとホイッスルが甲高く鳴る音が 近くから聞こえてきた。鳴らしたのは高橋くんで、 彼は笛を口から放すと部員に休憩の指示を出していた。


「高橋?」


「や、なんかよくわかんないけど、要するにその子が バスケやってみたいって話だろ? 今日コーチいないし 今休憩にしたから、ちょっとだけ付き合うよ」


そう言って体育館の外を指さす高橋くん。 そこには、体育館の中にあるものとは 違うタイプのバスケットゴールが置かれていた。


「良いのか? なんならボール一個借りるだけでも……」


「いーよいーよ。遠慮すんなって」


そう言うと高橋くんはニカッと笑い、わたしたちふたり を先導してゴールの下まで連れて行ってくれた。 人好きのする、裏表のない笑顔だ。


「あ、自己紹介まだだったな。おれ高橋。きみは?」


「太秦 陽子です。よろしくお願い致します」


「やだな、そんな固くなんないでよ。 にしても太秦さんか…… 『さ』が重なって言い難いな。陽子で良い?」


「うん」


お言葉に甘えて、 わたしも隆に話すような砕けた口調で答えた。


「じゃあ陽子。 はいボール。 流石にドリブルはわかるよな?」


「?」


「マジか。そこからなのね」


わたしが高橋くんから渡されたボールを受け取りながら 小首を傾げると、彼は肩を落として項垂れた。 どうやらまたわたしの無知が呆れられたらしい。


「ごめん高橋、こいつ、家がお金持ちのお嬢様って 訳じゃないんだけど、割りとそれに近い感じの箱入り娘 なんだ。多分ボール触ったのも、これが初めて」


すかさず隆がフォローを入れてくれるけど、 どことなく言い方に棘を感じるのは、 きっとわたしの気のせいじゃない。


「うーん、じゃあとりあえず一回ボールついてみようか。 さっきみんなの様子見てたろ?  あんな感じで、見よう見まねで良いからさ」


そう言われて、 手に持ったボールを勢いよく 下に向かって打ち付けてみる。


上に戻ってきたら打ち返そうと、やる気満々で手を 構えていたのに、ボールは何故だかバウンドした後、 前にいる高橋くんの横をすり抜けて飛んで行った。


「……」


「……」


「……」


その場を気まずい沈黙が支配する。


「オレ、お前がこんなに運動神経悪いなんて 知らなかった」


「しょ、しょうがないじゃない。 外遊びなんてしたことないんだもの」


「え、マジ?  外で遊べないなんておれだったら死ぬんだけど」


そう言いながら高橋くんは、 向こうに飛んで行ったボールを回収してきてくれた。


「ま、今のはおれも悪かったな。ボール持つのも初めて なのに、見たまんまやれっつっても無理があるか。 じゃあまずはおれが手本を……」


言いかけて、高橋くんは何かに気付いたようにわたしの 後ろに視線をやった。わたしもそちらに顔を向けると、 誰かがこちらにやって来るところだった。


こちらに向かって来ているのはひとりの男子生徒で、 首からは何かをぶら下げていた。


それを手で持ち上げながら、 辺りをきょろきょろと見回している。 あれは確か、デジタルカメラというやつだ。


「あれ、北じゃん。おい、北!」


高橋くんは知り合いなのか、その男子生徒――どうやら 北くんというらしい――に声を掛ける。


「おー、高橋」


「オマエ今どこから来た?」


「北からー!」


「北が?」


「北から?」


「来たー!」


そうしたやりとりの後、高橋くんと北くんのふたりは とても楽しそうにゲラゲラと爆笑した。よくわからない けれど、今の応酬はふたりのお決まりなのかもしれない。


「お前が今来たの南校舎からだろ」


ただ、隆はあまりお気に召さなかったらしい。付き合い の長いわたしですら見たことがないような冷めた視線を、 盛り上がっているふたりに対し向けていた。


「広田は相変わらずノリが悪いな~。 北、オマエがデジカメなんて珍しいじゃん。 いつものやつはどうした?」


北くんはニコニコと笑いながら、「これ?」と言って 首元のカメラを摘まんで見せた。


高橋くんも笑顔が似合う人だけど、形容するとしたら 爽やかなスポーツ少年で、北くんのそれは 天真爛漫といった感じだった。


「あれは今日はおうちでお留守番。 今日はデジカメの限界に挑戦しようと思ってさ! 見てよこれ!」


そう言って彼はわたしたちに画面を向け、 さっきまで撮っていたという写真のデータを 次々と披露してくれた。


けれどもそれらの写真は地面や生き物、 校舎の壁など、一見すると統一性がなく、 何がデジカメの限界なのかよくわからなかった。


「おれにはオマエが何を撮りたいのか わかんねぇんだけど」


わたしがせっかく心の中で留めておいた気持ちを、 高橋くんはそっくりそのまま代弁してしまった。


「えー! 見てわかんない? ほら、この壁の染みと、 石ころの並びと、猫の模様。共通点あるでしょ?」


「あ!」


北くんがもう一度画面上に一連の写真を サッサッと流すと、わたしはあることに気が付いた。


「笑顔! これ全部、笑ってる顔に見えます!」


「ピンポーン! 大正解! よく気が付いたね! えっと……何ちゃん?」


「太秦 陽子です」


「そっか! 陽子ちゃん! すごいよ、きみは才能がある。 ねぇ写真部入んない?」


「何さり気に勧誘してんだよ」


ごくごく自然にわたしに入部を促してきた北くんに、 隆が冷たくツッコミを入れる。


「いーじゃん。な、陽子ちゃん、 試しに顔探して撮ってみ? 案外ハマるかもよ?」


言いながら首からストラップを外し、 北くんはわたしに自分のカメラを貸してくれた。


わたしはすぐそばにあったものにレンズを向け、 シャッターボタンを押す。


パシャッ!


「……よくわからないものが撮れた」


「おい……人の顔を許可なく至近距離で撮るな」


被写体の隆の言う通り、カメラの位置が 近すぎたのだろう。隆の顔を撮ったつもりが、一体 何なのか判別がつかない写真となってしまった。


「ハハッ、人の顔じゃなくてさ」


わたしのよくわからない写真の映った画面を 覗き込みながら、北くんが言う。


「人間以外で顔認証がどこまで通用するか試したくて 探してたんだ。で、どうせ撮るなら笑顔が良いじゃん?  だから笑ってるように見えるもの、撮ってたんだ」


そう言うと北くんは、ただでさえ笑っているその口の 両端を、両手の人差し指でクイッと持ち上げ、 更に笑みを深めてみせた。


「けど、外はそろそろ飽きてきてさー。これから校舎の 中探そうと思ってたとこ。良かったら一緒に行かない?」


「うわー、何それちょう面白そう。 だけどおれ、もうそろそろ練習に戻んなきゃ」


「部長が率先してサボっちゃマズいもんな。安心しろ! 最初から高橋は誘ってない!」


「何それヒドッ!」


酷いと言いつつ、高橋くんはボール片手にカラカラと 笑いながら体育館に去って行った。


「さ、行こう」


「行こうって……お前校舎戻るんだろ? オレたちもう帰るとこなんだけど」


「良いから良いから。あてがあるんだ。ついてきて」


渋る隆を引きずって、北くんは今にもスキップでも し始めそうな勢いで、先ほどわたしたちが歩いてきた グラウンド脇の道を進むのだった。


わたしはそんなふたりの後を、 クスクスと笑いながら追いかけた。


北くんのあてというのは、 特別棟一階にある書道室だった。


そこでは物静かそうな男の子がひとり、 黙って書き物に集中していた。


体育館で高橋くんを見た時に小柄と表現したけれど、 その男の子を見た後では、高橋くんは標準で、 まだ成長途中な小柄さだったのだと感じられた。


それくらい、この男の子の線は細かった。


「おっ邪魔しまーす! あれ? 武田ひとり?」


「……何しに来たの?」


隆を引きずりながら入ってきた北くんに応えた彼―― 武田くんというようだ――の返答は、予想通り凛とした、 それでいて耳にきちんと届くトーンの声をしていた。


「なぁ顔描いて! 顔! あ、笑顔な」


「……は?」


武田くんは、北くんが何を言っているのかわからない、 という気持ちを隠しもせずに顔を歪めた。


気持ちはわからなくもない。 武田くんは文字を書いているのであって、 絵を描いている訳ではなかったのだから。


自分のほかに誰もいないからか、 彼は使用していない机いっぱいに、 これまで仕上げたであろう作品をたくさん広げていた。


わたしに書の良し悪しはよくわからないけれど、 素人目で見てもとても綺麗な作品たちだと思った。 流れるような線の運びは、彼をそのまま表したようだ。


「武田、こいつのことは無視していいから。 ほら北、邪魔になるから別のとこにしよう」


「……」


隆が北くんのことを諌めるけれど、武田くんは意外な ことに、まだ何も書いていなかった目の前の真っ白な 半紙に、顔の絵を描き始めてくれた。


先ほどの表情からキツい印象を受けたけれど、 案外優しい性格なのかもしれない。 かも、しれないのだけど……。


「……」


「……」


「ぶはっ! 武田って字は滅茶苦茶うめーのに、 絵はド下手糞なんだな!」


わたしと同様に隆は何も言わなかったけど、 こっそり顔を覗くからに、 多分北くんと同じようなことを思っているのだろう。


北くんが笑顔と言ったのだから、恐らく武田くんは その通り描いたのだとは思う。辛うじて顔には見える。 だけどどう見ても、泣いている顔にしか見えなかった。


「本当! 字、とても上手なんですね。 どうしたらそんなに綺麗に書けるようになるんですか?」


話題を絵から逸らそうと思って、わたしは慌てて声を 掛けた。急な話題転換にも関わらず、武田くんは目線を 横に向けながらもきちんと応えてくれる。


「……例えば。有る、布、右、左、及ぶという字。 これ、全部頭の中に思い浮かべてみて」


「はい」


「その中で一画目が横の一本線なのは?」


「えっ、全部じゃないんですか?」


わたしは驚いて、 空中に指でそれらの漢字を一つずつ書いていく。


「違う。横から始めるのは『左』だけで、あとは全部 斜めの縦線から。書き順知っとくだけで、字の形って 変わってくるから……気が向いたら調べてみて」


まぁ硬筆の話だけど、と付け加えて、 武田くんは教えてくれた。


「はい! ありがとうございます! 今度から気を付けてみます」


「あとその敬語、要らないから。 見たとこ3年でしょ? 僕も3年だから」


「はい、5組です。太秦 陽子と言います」


「そう。僕は武田 篆(たけだ てん)。 テンは篆書のテン。 いかにも書道部の部長らしいでしょ?」


「そうなんですね。じゃなかった。そうなんだね!」


正直なところ、篆書が何を意味するのかわからない。 漢字の書き順とともに、後で調べておこう。 そうわたしは頭にメモした。


「おやおや~?」


するとそこへ、どこからともなく今この部屋にはいない 人の声が聞こえてきた。辺りをきょろきょろ見回すと、 声の主は窓際の外に立っていた。


校舎はたとえ一階でも、外の地面より高めの位置に床が ある造りになっている。普通の身長の人が窓の外に 立っていたなら、せいぜい見えて頭だろう。


だけどそこに立っていた人の姿は、顔だけではなく、 胸板あたりから確認することができた。 よほど背が高いのだろう。


それに、こう言っては失礼かもしれないけれど、 なんだか派手な外見の人だった。 今までのわたしの周りにはいなかったタイプの存在だ。


……隆を地味と表現したら、怒るかもしれないけれど。


「恒星クンと篆クンはわかるけど、 隆クンと女の子まで一緒にいるなんて珍しいね。 お嬢さん、お名前は?」


「初めまして、太秦 陽子です」


「陽子チャン。良い名前だね。 俺は桐野 長流(きりの たける)。よろしくね」


「陽子、こんな奴に敬語なんて使わなくて良いから」


「あれあれ、隆クンいつになく酷くない?」


桐野くんと自己紹介し合っていると、 隆がピシャリと言い放った。


今日一日だけで、 隆の意外な態度を幾度も見ている気がする。 このままでは隆の印象が変わってしまいそう。


「桐野くんはそこで何をしてるの?」


「花壇に水を遣ってるんだよ。俺、園芸部の部長なんだ」


思ってもいなかった返答にわたしは目を丸くした。 桐野くんの外見は、花は花でも、薔薇の花束が 似合うような雰囲気だったからだ。


「陽子チャンはお花、好き?」


「うん」


「じゃあ、水の遣り過ぎで花を枯らしたことはない?」


「ない」


わたしの返答は桐野くんにとって期待外れだったのか、 彼はあら、と声を上げる。


「こりゃ失敬。もしかしてお花育てるの得意だったり?」


「違う。枯らしたことはある。だけど多分……その逆」


昔を思い出し、わたしは苦い気持ちになる。 あれはあまり良い記憶ではない。 隆も覚えているのか、わたし同様暗い顔をした。


「つまり水が足りなくて枯らしちゃった訳ね。 そう、難しいんだよね。あげすぎても枯れるし、 あげなくても枯れる。何事も適度が肝心ってことさ」


そんなわたしたちに気付いていないのか、 気付いていて敢えて触れないのか、 桐野くんは明るい調子で話し続けた。


「つまり女の子と一緒なんだよ。愛があれば可愛く 咲くけど、足りないと枯れちゃうし、与えすぎると 腐っちゃう。そんなお花が、俺は愛おしいんだ」


「かっこつけてるとこ悪いけど、 お前それ今手にしてる物のせいで台無しだから」


言いながら、隆は桐野くんの手元を指さした。 彼が手に持つのはお花の水遣り用のジョーロ。 それは、なんとも可愛らしい象さんの形をしていた。


「ばっかてめぇ、 これの良さがわかんないなんて人生損してんなー」


呆れ顔で象のジョーロを掲げる桐野くんを見て、 北くんがそうだ! と何かを思いついたように手をポンと叩いた。


「それ、顔認証するかな? なぁ桐野、 そのジョーロの写真撮らせてよ!」


「え? 何、何の話?」


ポカンとする桐野くんの顔を見て、 何がツボに入ったのか、隆がブッと噴き出した。 わたしもつられて笑いが込み上げる。


「え、何? 今のそんなに面白かった?」


そう言うと、よくわかってもいないのに北くんも ケタケタ笑い出す。そうして本来なら静かなはずの 書道室は、わたしたち三人の笑い声に包まれた。


こうして登校初日に出会った彼らと、これからの 学生生活を主に一緒に過ごしていくことになるとは、 この時のわたしはまだ思いもしていなかったのだった。

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太陽の子【本編】 望月 葉琉 @mochihalu

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