第8話 貴族の矜持
「くそっ、くそくそくそ! 田舎貴族が偉そうにしやがって!」
忌ま忌ましげに呟きながら荒い足取りで廊下を歩いているのは、つい先ほどフォーディルトに平民に対する態度を叱責された貴族家子息である。
怒りのためか顔は紅潮しており、表情も醜く歪んでいる。
「さ、サルティ様、どうかなさったのですか?」
長い廊下を歩いてきても一向に気を落ち着けることができないまま所属する教室に入ると、その形相に驚いた多くの生徒が距離を取り、数人が慌てたように駆け寄る。
「……身の程を知らない平民を教育しようとしたら蛮族の小猿が邪魔してきた」
友人と言うよりは取り巻きと表現した方が相応しいだろう。
媚びるように不機嫌の理由を聞いてきた同級生に、サルティは忌ま忌ましそうに舌打ちしながら簡潔に説明する。
「蛮族の小猿、レスタール辺境伯家の魔人卿、ですか」
「アイツは平民や下級貴族をやたらと庇ってますが。泥臭い田舎貴族だから貴族と平民の違いもわかっていないのでしょう」
取り巻きの
「奴は我等のような高貴な存在である貴族の家の者と平民ごときがまるで同列であるかのように考えている! そこら中に無数にうごめいている平民と、選ばれた存在である貴族がだ!」
そう激高するが、帝国の法ではたとえ高位貴族の家族であろうと、爵位を持つ当主以外は正しく平民である。
家を継いでいない貴族子女は官位を持つ平民よりも地位は下なのが帝国法によって明記されている。
実情として貴族家の後継者は当主に準じた扱いをされるが、それ以外の家族は帝国の官位を持たない限り平民と同じ扱いだ。
もっとも、平民に比べれば官位も得やすく叙爵されるチャンスも多いのは確かだが。
「官位は高くても所詮は田舎貴族ですから、平民と一緒になって土に塗れなければ生活もままならないのでしょう。名ばかり貴族ですね」
「そうですとも。その証拠に、奴を支持しているのは似たような暮らしをしている下級貴族や平民ばかり。高位貴族は見向きもしていませんよ」
我が意を得たといった感じの言葉の数々にようやく機嫌の戻ったサルティが鼻を鳴らす。
「ふん、そう言えばプルバット侯爵家のガーランド様も奴のことを毛嫌いしていたな。貴族として相応しくないと」
フォーディルトとガーランドの不仲は学園でも有名だ。
幾度となく学内で衝突しているし、ふたりともそれを隠そうともしていないので、ある意味風物詩となっている。
どこから見ても貴族然としたガーランドは侯爵家の次男でプルバット侯爵家を継ぐ可能性は低いが、帝国屈指の名門であるプルバット家は他にもいくつか爵位を持っている。分家扱いにはなるが卒業した後は伯爵位を下賜されるともっぱらの噂だ。
当然、高位貴族の子女からはフォーディルトよりもガーランドのほうが人気がある。
そんなことを思い返していると、ちょうどそこにガーランドが数人の貴族令息を従えるようにして教室に入ってくるのが目に入る。
なので、サルティは先ほど受けた屈辱をガーランドに報告しようと思い立つ。
親しく言葉を交わすほどの関係ではないが、同じ貴族科、同じクラスということもあり互いに知っている間柄だし、あれほど高位貴族家の令息が自分に同調してくれれば溜飲も下がるという考えだ。
「ガーランド様」
「ん? 貴公はビーン伯爵家の者だったか?」
家名を覚えられていたことに安堵しつつ、媚びるような笑みを浮かべながら先ほどのことを話し出す。
「奴のような貴族のなんたるかもわかっていない野蛮人はこの学園に相応しくありません! ガーランド様もそう思われるでしょう!」
勢い込んで平民下げ、貴族上げ、選民意識丸出しの発言交じりにフォーディルトを非難する。
前述したようにこの学園で学んでいるのは高位貴族家の者だけでなく、下級貴族家や平民もいる。というか、人数の比率は下級貴族家の者が過半数を占め、次いで平民が多い。
さすがに貴族科には平民はいないが、政務科や軍務科にはそれなりに居る。
もちろんこのクラスも半数以上が子爵以下の下級貴族家の子女たちであり、一部貴族家の推薦で平民も所属しているのである。
なので、口汚く平民や下級貴族を罵るサルティに注がれる視線は極地方のブリザード並みに冷えっ冷えなのだが、自分に酔っているお馬鹿は気づかない。
そして、冷たい視線を浴びせているのは下級貴族や平民ばかりではない。
「ふん、確かにレスタール辺境伯家の小僧は貴族としてらしからぬ言動は目に余る」
「そうでしょうとも! さすがは貴族の中の貴族、名門プルバット侯爵のご子息です! ……は?」
我が意を得たりと喜色満面でガーランドの顔を見、その冷徹な視線が自分に向けられているのをようやく察して間抜けな声を上げる。
「貴様は何か勘違いをしているようだな」
「か、勘違い、ですか?」
「貴族は平民と馴れ合うべきではない。身分による区別は必要だし、貴族はその職責に見合う権限がなければならない。無論、爵位による上下関係もしかりだ。その意味でレスタールの態度は秩序を乱し、平民を増長させかねず許容できぬ」
「そ、そうでしょう!」
「だが! それは平民が貴族より下銭なわけでも、下級貴族が上級貴族より劣っているというわけでもない!」
「ひっ?!」
射るような視線と共にぶつけられた怒号に、サルティが短い悲鳴を上げて後ずさる。
「貴族は平民を庇護し、導き、領地を守る責務と引き換えに特権を行使する立場にある。必要があれば裁き、罰を与え、時には見捨てなければならない。だからこそ我々は平民とは一線を画さなければ判断を誤ることになりかねない。それが貴族の役割だからだ。
そして平民は畑で作物を作り、道具を作り、物を売り買いして税を払う。貴族と平民、それぞれの役割があり、どちらも帝国に必要なものだと何故理解しない?」
「…………」
「貴様はただ貴族の特権ばかりに気を取られ、責務に目を向けていないようだ。それこそ貴族として恥ずべきことだろう」
ガーランドの決然とした言葉と態度、それから周囲の冷たい目に耐えられなかったのか、サルティは唇を噛みしめて踵を返し、教室を出て行った。
残された取り巻きも慌ててその後を追う。
そして、それを見送ったガーランドは、一つ鼻を鳴らすと、何事もなかったように自分の席に足を向けた。
フォーディルトと決定的に違う価値観を持ち、かつ、貴族としての矜持が揺らぐことのない、ガーランド・タイフ・プルバットとはそういう男である。
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