第6話 貴族と平民

「あ゙~っ、眠い!」

 寮から学院の校舎まで歩きながら欠伸混じりの伸びをする。

 おぉ~、背中からパキパキと音が。

 昨夜は遅くまで細々と仕事があったからなぁ。

 っていうか、成人もしてない息子に内政府に提出する書類を作らせるなよ。いくら事務仕事が苦手だからって。

 これは、卒業するまでに事務官も引き抜かなきゃダメだな。


 こんなんだから他の貴族連中から蛮族とか馬鹿にされるんだよ。

 考えるのが苦手で感覚だけで動く奴が多いのは確かだし、さすがに俺もどうかと思ってるから反論できないんだけど。

 そして、どれほど俺が寝不足でも授業は出なきゃいけないってのがまた辛い。

 皇族や高位貴族の子女でも容赦なく留年や落第させるんだから、逆に飛び級も認めてほしいもんだ。

 あ、帝国高等学院では留年と落第は意味が違う。

 留年は文字通り、規定の単位を取れずに次の年もその学年で授業を受けなければならないけど、落第はさらに酷くて、著しく評価が低いと学年を落とされるんだよ。

 さすがにかなり恥ずかしいことなので滅多にないらしいが。普通はその前に問題起こして退学になるからな。


 綺麗に整備された道を歩いていると、寝不足の頭にそんなしょうもない内容が浮かんでは消えていく。

 それもこれも労力ばかり掛かかるだけで大して意味のない書類の山と、面倒だからとそれを押しつけてきた親父、さらには、無駄に敷地が広いせいでかなりの距離を歩かなきゃいけない学院が悪い。

 まぁ、貴族子女を親族から引き離して教育するという目的なので基本的に学院生は許可なく外に出ることができない。

 だから学院の敷地内には全ての学院生が生活できる寮と、必要なものが一通り買える商店がある、小さな街のような場所なのだから広いのは仕方ないのだろう。

 ただ、そこまでするのなら辻馬車も用意してくれれば良いのにと思わないでもない。


 ぼんやりする頭を、眩しい朝日を浴びながら少しずつ覚醒させつつ歩き、ようやく校舎が近くなったとき、前方から不快な印象を受ける声が聞こえてきた。

「平民風情が我々の前を歩くなどどういうつもりだ!」

「え、いえ、申し訳ありません。気がつかなかったんです」

 そりゃそうだ。

 後ろに目がついているわけがないんだから気づかなくても仕方ない。

 だいたい、寮から校舎までの道で前を歩かずにどうしろと?

 思わずそんなツッコミを心の中でしてしまったが、どうにも怒鳴り声を上げていた自称貴族はそんな態度すら気に食わなかったらしい。


「貴様等平民は、我々貴族が歩くときは端によって平伏するのが当然だろう! 本来貴族しか学ぶことが許されない栄えある帝国高等学院に平民ごときが居るだけでも許しがたいのに、身の程知らずにもほどがある!」

 そう言って、馬鹿は深々と頭を下げている男の子、いや、ホントに小さいな。

 この学院で俺より背の低い男をひさしぶりに見た気が、コホン、そんなわけはないな。知らないだけで沢山居るはずだ。

 それはどうでもいい!

 とにかく、その男子を蹴りつけようと足を振り上げたので、慌てて距離を詰めて軸足を刈った。


「ぐわっ?」

「いい加減にしておけよ。っていうか、まだ学院を卒業してないんだからお前も身分は平民だろうが」

 見事に仰向けにひっくり返って後頭部を打ち付けてのたうち回ってる馬鹿貴族の令息? に思わず呆れた声が出る。

 助けられた男子は何が起こったのか分からないようで、ポカンとした顔でこっちを見てるな。


「き、貴様、何をするか! 私を誰だと思って……ま、魔じ、いや、レスタール辺境伯令息殿?」

 コイツ、魔人って口にしようとしてなかったか?

 俺、怒っちゃうよ、マジで。

「し、失礼しました。しかし、私が平民とは、さすがに」

「授業で習ったろ? 貴族家に生まれても学院を卒業できなきゃ貴族にはなれない。だったら、まだ卒業してないんだから平民じゃないか。間違ってるか?」

 実際に、何度も留年したり、問題起こして退学になったりした貴族子女が廃嫡されたって話も聞くからな。


「くっ!」

 反論できずに悔しそうな顔で、俺じゃなくて、さっきの男子を睨む。せめてこっちを睨むくらいの気概は見せようよ。

 とはいえ、まったく悪くないのに敵意を向けられちゃコイツが可哀想だ。

「まだ何か文句があるなら、俺が聞くぞ?」

「い、いえ! し、失礼します!」

 俺が馬鹿と視線を合わせるように移動し、ニッコリ笑ってやると、一瞬で顔を青くして逃げるように走っていった。

 あ、転けた。やれやれ。


「あの、ありがとうございました!」

 あまりに情けない逃げっぷりに、俺が肩をすくめていると、絡まれていた男子が絶叫するように叫びながら勢いよく頭を下げる。

 勢いが良すぎて首がもげたりしないか? 大丈夫?

 というか、俺より小さな身体のくせに声がでかい。

 焦って周囲を見回すと、案の定周囲の学院生から視線を集めている。

 俺が見るとサッと目を逸らされるのは納得いかないが。


「災難だったな。ああいう貴族の馬鹿息子もこの学院には多いみたいだけど、ちゃんとまともな奴も居るから気にしないようにな。とはいえ、気をつけたほうが良いのは確かだけどな。キミは何年生だ?」

「あ、はい。政務科三年のワリス・タックと言います」

 あれ? 同じ学年?

 見たことないけど、まぁ、この学院、生徒が多いし、学科が違うからな。


「そうか、俺は貴族科三年のフォーディルト・アル・レスタール。よろしくな」

「レ、レスタールって、もしかして“魔人卿”ですか?」

 俺は男子、ワリスの肩に手を置き、柔らかく掴む。

「痛、痛たたたたぁ! 折れる! 潰れる! 砕けちゃいますぅ?」

「俺のことを変な名前で呼ぶのは止めような。な?」

「わ、わかりました! ごめんなさい!」

 小柄な奴が涙目で謝ってくると罪悪感がすごいな。

 貴族連中と違って悪気があったわけじゃないのですぐに手を離してやる。


「まぁ、またあの連中が何かしてきたら俺に言いな。といってもあまり知り合いが居ないから大した力にはなれないかもしれないけど」

「そんなことないです! その、何かお礼をさせてください」

「気にすんなって。それに、お礼なんてもらったら逆に俺が強請ゆすってるみたいに思われるかもしれないからな」

 貴族社会ってのは油断も隙もないからな。

 変に誤解でもされたら何言われるかわかったもんじゃない。特にガーランドあたりがまた突っかかってきそうだし。

 

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