強調される、仕事のやりがい

 なぜだろう。仕事探しをすると、飽きるほどに見聞きする言葉がある。やりがいだ。仕事情報サイトを見るたび、他の人の口から聞くたびに、少しばかりかウンザリしてしまう。やりがいはそんなに重要なものだろうか。


 確かに、仕事における充足感は、無いよりもあった方が当然良い。それでも、彼らの発するやりがいは曖昧なままになっている。


 とはいえ、やりがいがある=仕事が楽しいという認識は間違いない。となると、やりがいを口にする本人は、仕事が楽しい、あるいは仕事が楽しそうという感情を持つのが自然になる。しかし、やりがいを強調する組織ほど、決まって口にしないものがある。福利厚生及び給料だ。


 理由は大抵予想がつく。ウリにするほど、手厚くないのだ。その為にやりがいを前面に出すのだが、それはある事を前提としていなければならない。お金が貰えなくても、仕事が楽しければ構わない。この条件に人は耐えられるだろうか。


 無理である。人はお金無しに生活できない。その上、やりがいでお腹は膨れない。従って、やりがいだけで人を労働させるのは困難である。


 にも関わらず、一部では未だにやりがいが強調されがちだ。仕事をする中で、何が楽しいのか、説明することも良い。だが優先的に、根本的な待遇面での改善を図ってくれないものなのか。それこそ、やりがい搾取と批判され、非難される前に。

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現代労働に関する疑問のあれこれ 刻堂元記 @wolfstandard

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