【6】「どんなに手を伸ばしても、憧れは憧れのままだと知っていた けど」

「どうしても外せない用があって、映画が終わるまでは会えない」


 音宮坂さんの視線は、いつだって真摯で。

 音宮坂さんの声には、いつだって真剣さが宿っているから。


「でも、海東さんに何かあったら必ず駆けつける」


 だから、私は音宮坂さんに惹かれたのかもしれない。

 相手を勇気づけられるような、そんな生き方のできる人間になりたいと思った。


(憧れの人に、追いつきたい)


 映画館のフロアは映画を見に来た大勢の人で溢れ返っている。


(大丈夫、大丈夫、大丈夫……)


 相変わらず、人混みの中では左耳に手を当ててしまう。


(体調は悪くない)


 左耳に手を当てると、左耳から音が入ってこなくなった日のことを思い出す。


(低音障害型感音難聴は完治が可能だけど)


 だったら、左耳に手を当てなければいい。

 でも、いちいち確かめる。

 今も、確認してしまう。


(再発の可能性も高い)


 私は、音を聴くことができているのかってことを。


(今日も、明日も、私は音宮坂さんと話がしたい……)


 試写会の時間が近づき、劇場への案内が始まる。


(再発は怖い)


 人々の流れに乗って、劇場へと足を運ぶ。


(これから先も、ずっと怖い)


 劇場に入ったときの空気が久しぶりで、ここに集まった人たちと、ひとつの物語を経験できるってことに喜びが隠しきれない。


(でも、逃げてきたことと向き合ってみたい)


 久しぶりの感覚に、わくわくが生まれてくる。

 周囲を見渡したい気持ちを抑えながら、購入したパンフレットの表紙を眺めていたときのことだった。


「江見さんが生で見られるなんて!」

「四井さんー、早く会いたいー」


 近くに座っていた客同士の会話が聞こえてくる。


(あれ? 私が貰ったチケットって一般試写会……)


 音宮坂さんが用意してくれたチケットには、完成披露試写会と書かれてあることに今さら気づいた。


(これって芸能人の方が登壇する……)


 劇場を灯す光が弱くなって、劇場が暗くなっていく。


(このチケット)


 手にしていたチケットに目を向ける。


(めちゃくちゃプレミアムな……)


 アニメ映画の上映が始まる。

 このアニメ映画は現代を舞台にしている作品。

 目を奪われるほどの美しい海辺を、5人の女の子が散歩している。


『空のことは忘れよう。忘れることで幸せになれるなら……』


 大人になった5人の子どもたち。

 幼い頃とは違って、女の子が1人欠けている。

 4人で、また同じ海を訪れる。


『その幸せって、誰の幸せ?』


 [[rb:理玖 > りく]]ってキャラクターの言葉に、心臓が動きを見せる。


『は? 誰って……』


 理玖の問いかけに答えることができない主人公。


『もう! 忘れる気なんてないくせに』

『空のことを忘れたら、誰も幸せになれないってこと』


 幼なじみたちは、理玖の言葉をきっかけに主人公のことを勇気づけていく。


『過去に戻れる回数に制限があるかなんてわからない。だから……』


 理玖の言葉を受けて、主人公の表情に強さが戻ってくる。


『何度だって繰り返してやる』


 理玖が喋るたびに、心臓が騒がしい。

 私は、自分の心臓に手を当てる。


「…………」


 映画の上映が終わり、映画館の照明が点灯し始める。


「…………」

 

 心に熱が溜まって、感想を心で呟くことすら難しいくらい感動している。

 でも、会場が大きな拍手に包まれることで、意識が現実に戻ってきた。


(私も拍手送りたいっ……!)


 周囲に合わせて、一緒に拍手を送る。

 舞台挨拶をするために、監督と劇場版アニメの声優を担当した芸能人が映画館へと入ってきて、益々会場の熱気が高まっていく。


(本物の監督に、本物の芸能人……)


 拍手と同時に、更なる歓声に包まれる映画館。

 司会進行の挨拶が始まり、拍手の音が静まっていく。


(みんなドラマや映画で見たことがあるけど……)


 普段は俳優業をやっている面々の横に並ぶ見知らぬ俳優さん。


(理玖役の方は新人さんかな?)


 座席と芸能人の人たちとは距離があって、理玖役の人の顔が確認できない。


「次は本業の方にご挨拶を……」

「監督! 見えない圧がすごいから!」


 笑いに包まれる映画館。


(本業ってことは、声優さん……?)


 私は周囲に合わせて笑うことなく、理玖役の俳優さんの顔を凝視する。


「[[rb:前嶋理玖 > まえじまりく]]の声を担当しました、[[rb:音宮坂書架 > おとみやさかふみか]]です」


 理玖役の俳優さんの挨拶を受けて、事情を読み込むことができない。

 茫然とした様子で、舞台挨拶での会話を耳に入れるしかできなくなる。


「音宮坂さんは監督の作品をきっかけに声優を目指したと伺っています」

「はい、波多江監督の作品が昔から好きで……」


 音宮坂書架と名乗った声優さんの言葉に夢中になる。


「こんなにも早く夢が実現するとは思ってもいなくて」

「次回作のオーディションにも参加してもらおうかな」

「え、監督! 私も受けたい!」


 俳優の江見さんが会場を盛り上げるたびに、会場から出演者に笑い声が届けられる。


「音宮坂さんは声優事務所だから頼みやすい!」

「マネージャー! 次回作のオーディション受けたいっ!」


 出演者として楽しそうに過ごす音宮坂書架さんという名前の声優さん。


(あ……)


 [[rb:音宮坂書架 > おとみやさかふみか]]に釘付け状態でいると、一瞬、彼女と視線が交わったような錯覚を受ける。


(あるあるだよね……勘違いってやつで……)


 [[rb:音宮坂書架 > おとみやさかふみか]]さんは、学校で会っているときの音宮坂さんとは違う。

 眼鏡をかけていない瞳で、学校で見せないような柔らかな笑みを私に向けてくれた。


(音宮坂さん……)


 自分が音宮坂さんを独占しているわけではないのに、あまりの恥ずかしさに思い切り顔を背けてしまう。


(音宮坂さん、だよね……?)


 再び舞台挨拶に目を向けるけど、音宮坂書架久さんの笑顔は、もう私には向いていない。


(音宮坂さんと待ち合わせはしたけど……)


 映画館の外。

 多くの人たちが楽しそうに、それぞれの休日を過ごしている。


(何から話せばいいんだろ……)


 映画の完成度の高さに満足している自分がいる一方で、音宮坂さんが声優として仕事をしていることに心臓の音が激しく動いて仕様がない。


(っていうか、私と会う時間なんてない……)


 映画館の裏手に回ろうとすると、そこには芸能人の出待ちをする女性が数名待機していた。


「まだかな」

「別のところから出ちゃったかも」


 隠れる必要はないけど、隠れて様子を伺う。

 すると、女性たちの読み通り、映画関係者が映画館の裏口から出てきて辺りが歓声に包まれる。


「っ」


 突然の大きな音。

 左耳を押さえる癖が抜けず、私は自分の左耳を押さえながら視線をアスファルトへと向ける。


(大丈夫……大丈夫……怖くない……)


 視線を下に向けていた私は、同級生が近づいてきたことに気づかなかった。


海東かいとうさん」


 でも、この声を聞き逃すわけがなかった。


「大丈夫? 無理させた……」

「音宮坂さん……」


 学校で過ごすときとは、まったく印象の違う音宮坂さんに戸惑った。

 でも、自分の目の前にいる人が、学校にいるときの音宮坂さんの声が同じだと確信が生まれると、心臓が高鳴っていくのを感じる。

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2025年1月11日 12:00
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神様、明日も彼女の声を聞かせてください 海坂依里 @erimisaka_re

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