第6話

 寝静まった城下町を軽快に馬で駆らせて、イアンはヴェネト王宮に戻って来た。

 彼はすでに自由に城を出入りすることを許される立場だったので、衛兵たちも特に何も言わず門を通した。騎士館に戻ろうと城内を足早に歩いていると、呼び止められた。

 王太子ジィナイースだった。

「殿下」

 こんな深夜にこんな場所で王太子に遭遇すると思わず、イアンは少し驚いた。

「どうなさいました?」

「いや……寝れなかったから、ちょっと城の中を歩いてた。そうしたら、あんたの姿が見えたから……街に行ってたのか?」

「え?」

「あ、いや……」

 いくら主君でも臣下の行動をいちいち詮索するのは不躾だと気付いたのだろう。王太子は口ごもる。しかしイアンは笑った。

「はい。頼んでいた絵が出来たので、貰いに行ってきました」

 彼は天鵞絨ビロードに丁寧に包んである状態の絵を見せた。

「自分の部屋が殺風景でしたので、好きな絵を掲げられるのが嬉しくて。部屋にお送りしましょう。寒くなって来た。一人で静かな城内を歩くのもたまには良いでしょうが、風邪を引きます」

 自分の上着を脱ごうとしたイアンに、王太子は慌てて首を振った。

「い、いいよ! これからすぐ部屋に戻るから! あんたも騎士館に帰るつもりだったんだろ、こんな時間に迷惑かける気ないよ」

「そうですか?」

「平気だ。自分の城なんだから、危険はない」

 分かりました、とイアンは敬礼してから、一礼する。

「では殿下、お休みなさいませ」

「うん。おやすみ……」

 イアンは騎士館に続く回廊へと去って行った。

 その姿を見送って、王太子は呟く。

「……あいつも絵とか、自分で買ったりするのか……」

 夜会にも興味を示さないし、ラファエル・イーシャも、彼は軍人めいた性格をしている、というようなことを言っていた気がする。自分で絵を依頼して買うなんて、好きじゃないとやらないことだ。どんな絵が好きなんだろう? そう考えて、ハッとすると、寒さを思い出し王太子は襟元を深く整えた。


◇   ◇   ◇


 騎士館の自分の部屋に戻ると、イアンは一端絵をソファに置き、部屋を見回して寝室の壁に、丁度いい場所を見つけ、つまらないものを置いてあった棚を片付けた。

 後日これは本国に送るつもりだが、今はこの棚の上に立てかけておく。

 赤い天鵞絨を広げ、それを敷物のようにして、取り出した絵を壁に立てかけた。

 対面に置かれたソファに腰掛けて眺めると、丁度月明かりが差し込んで絵に降り注いでいた。

 頬杖をついて、眺める。

 美しい絵だ。

 本国になど送らず、ずっと手元に置いてこうして眺めていたい。

 この、ヴェネトという国で過ごす、慰めに。

 明るい夏の空が映り込んだ、気持ちの良さそうな海。

 来年の夏には、何か一つの見通しくらいは立っているだろうか?

 そうある為に、日々を過ごさなければならないと思うけれど。

 来年には王太子の戴冠式も控えているという噂だ。

 ヴェネトが【シビュラの塔】の所有権さえ手放せば、自分も国に帰れる可能性は生まれる。もしそうなったら、どれだけ頼み込んでもいい、フェルディナントに願って、ネーリを一度くらい本当に、スペインに招きたかった。

 スペインの、色んな美しい場所を見て欲しいのだ。

 神聖ローマ帝国よりも、美しい国や場所もたくさんあるよ、と知って欲しい。

 彼なら、どんなに目を輝かせて、愛する母国を描いてくれるのか。

 それを想像するのは楽しかった。

 足をテーブルに乗せて、楽な体勢になり、寝そべる。


「美しいな……」


 ずっと眺めていたい。


(今更絵で泣くなんて、思わなかったなあ)




【終】


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