第8話 大団円
もう一つの理由がなんであるかということであるが、まずは、
「小説の気分転換」
というものが、前述の、
「能と狂言」
というものとの組み合わせだということに気づかなかったというべきか、それとも、
「後からでも分かった」
ということは、それだけ、自分が、
「芸術に勤しむ」
ということに長けているとも考えられる。
小説を書くということが、まずは、自分にとって大切なことであり、そして、絵画は。
「気分転換」
と思っていたのだが、絵画をしている時に
「書こうと思ったきっかけ」
ということで、
「錯視」
というものがあることを思い出した。
「水平線や地平線を境にして、正面から見たものと、上下が反転した状態で見たものとでは、見え方が違う」
ということであった。
その違いというものが、
「バランス」
というものではないか?
と考えたことで、
「自分にとっての芸術というものがどういうものなのか?」
ということに次第に気づくようになっていた。
そもそも、
「人と関わりがないといけない」
といっていた父親の発想に対しての、憤りが、
「今までの自分の人生を作ってきた」
と思っている。
それから、最近、
「解放されたのではないか?」
と考えるようになったのだが、それは、
「二つ目の趣味ができたことからだ」
ということであった。
そして、この絵画という趣味ができたことで、何が変わったのかというと、
「たぶん、バランスというものが、備わってきたのではないか?」
ということであった。
確かに絵画というのは、
「描けば描くほどうまくなる」
とも言われている。
それだけ、
「備わっていなかったものが、備わってくる」
ということになるからであろうか。
それを考えると、
「やはり、バランスがいいことから考えられることではないだろうか?」
ということであった。
さらに、
「錯視」
というものから、もう一つの特徴である、
「遠近感」
というものも備わってくるということになるであろう。
それを考えると、
「絵画というもの自体で、バランスが保たれる」
ともいえるだろう。
しかし、もう一つの考え方として、
「絵画と、小説」
という、自分にとっての、
「二大巨頭」
と言われるような趣味が、
「いかに自分の中でバランスを保つか?」
ということになってくる。
そしてこれによって得られたものが、
「精神的な余裕だ」
といえるだろう。
この余裕を持つことで、
「人に対しての不満や憤りというものが、少しずつではあるが、収まってくる」
それを考えると、
「自分をしっかりと保つことができる趣味を持てたのだから、もう父親に対してのわだかまりなどというものがなくなってもいいだろう」
という、
「他力本願的な発想」
も出てくるのだ。
確かに、
「他力本願」
というものは、
「いいものではないだろう」
といえるが、それでも、
「自分の心の中に、余裕というものが持てるのだとすれば、それはそれで一番いいことなのではないだろうか?」
と考えるようになった。
それが、今までの山崎の中での、
「わだかまり」
であったり、
「不満」
という分子を解消させられるものとなったのだ。
しかも、それにより、
「人とのかかわり」
というものが、必ずしも必要ではないということを、自分なりに納得できたことが一番大きかったということであろう。
そのことをその時の山崎が分かっているわけはない。
「40歳になった今でも、それが分かっているとは言えないのだから」
とさらに先を見る山崎であった。
( 完 )
趣味が凌駕するバランス 森本 晃次 @kakku
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