黄泉月の物語の二次創作 朱雀門の盗賊

大塚 慶

朱雀門の盗賊が鬼に行き会う

ポツポツと降って来た雨がもとどりの根元に落ちたことを感じた若い下人は舌打ちをして剥げかかった松の下に身を移した。丸々と太った瓜で籠を一杯にした娘や雑魚を桶に入れて売っていた若い郎党らが奇声やら叫び声を上げながら通りを右往左往し始めた。それを見て下人は己の耳朶じだを引いて木々の茂みに身を移した。ふと顔を上げると遠く朱雀門の朱塗りの門が見えた。


それを睨む下人の眼はクルリとして大きい。木の実のような丸い眼をかすかに顰めている。下人は青年でまだ十五、六程かもしれない。真っ黒な髪の毛をうなじの上で適当に結び上げている。適当な古着を着込んでいるがその袖が雨に濡れていた。


それでも雨は驟雨だったようで寂れた松林の枝の隙間から薄日が差して下人の面差しに微かな日が差した。日に焼けた面差しが露わになった。大きく黒々とした瞳が苦々しげに天を睨む。筆で勢いよく引いたような眉が若さ故の向こう見ずな意志の強さを露わにしていた。


人が多いのは苦手だ。がやがやと騒がしいのも気に入らない。百姓や物売りが細々としたものを売り歩き、物見遊山の田舎者が練り歩く京の大路は見ている分には面白いが、しかし偉そうな武者共が練り歩く様は腹立たしい。偉そうにしやがってという怒りが湧く。


下人は娘衣装を羽織って笠を被りわざと武者の懐に倒れ込み銭が入っている袋を盗んだことがあった。武者は気付きもせずに笠の奥を覗き込もうとするが、下人は小声で礼を言い娘の振りをしたまま楚々と立ち去る。

つまり下人は盗人だった。


下人は松の根元にしゃがみこんで深く息を吐いた。松の香りが濃く香って暫し音が遠ざかるような心持がした。ふと生地である紀伊山中の森奥深い芳香を感じた。

「―――探したぞ、余一」

名を呼ばれた下人の青年はすっくと立ちあがり声が上がった方を睨みつける。

「人探しなぞお偉い法師様にとっては朝飯前だろうよ。仙術呪術はお手の物ってのが評判だぜ」

途端に軽口が付いて出た。


薄い暗がりの片隅がそこだけ日が没したように黒々と闇が広がるように見えた。沁みだすような闇に余一が少し後ずさりすると、それが笠を目深に被った黒染の法衣であることが判った。ただそれがあまりに大きかったので見損じたのかもしれないと余一は思おうとした。それほど目の前に立った法師は長身だった。


「軽口を叩くな。落ち合う場所はもっと朱雀門前寄りだ。わざわざ車を降りてここまで来たのだ。礼の一つも言うのが筋だ」

「あんたが牛車に乗れる身分だとは思ってねぇ。あんたは所詮は法師陰陽師だろうよ。それも天文寮にそっぽを向かれている外道中の外道じゃねぇか」

余一は懐に呑んだ短刀の柄を右の手のひらで撫でながら言った。そこで初めて己の掌が汗に濡れていることを感じた。

「言うではないか。だがそれでいい。それでこそ京でも話題の盗人よ。なんと呼ばれたか―――そうよ、風踏みだったか。まるで風でも踏みあがるように駆けるという。ふふ。お前こそ妖術使いの類ではないのか」

余一は舌打ちをしてそっぽを向いた。


「―――で何の用だよ。あんたと関わると碌なことが無いと都じゃ評判だぜ。悪くすると良くないモノを差し向けられるとな」

言われた法師は懐手にしていた太い両手を出して笠を脱ぎ棄て、坊主とは思えないほどに伸びた自らの蓬髪を撫で上げた。たもとの墨染の衣が広がり怪鳥が翼を広げたように見えた。

「拙僧これでも出家の身よ。滅多なことは言わないでもらおう」

「よく言うぜ。嘘もほどほどにしやがれ」と余一は言った。

遠くで雲雀ひばりが啼く声がして二つの影は暫し沈黙した。


それを破ったのは若さの為かやはり下人だった。いい加減にしろと言い募った途端、黒法師は右の掌を開いて向けそれを遮った。

「あの雲雀ひばり―――賀茂の手の術かと思うたが気のせいか。まぁいい。頼み事とは他でもない。ある剣を盗み出して欲しいのだ」

「―――剣だと」

「正に。都でも名うての盗賊にはたやすい事だろうよ」

「わざわざ盗みださなくても銭に困っているわけでもないんだろう。買い取っちまえばいいじゃないか」

法師は言葉を低くして、それが出来れば苦労はないと答える。

「売っているようなものではない。霊験あらたかでこの国随一の神剣と言われている。だからこそあそこに奥深くに収められているのよ」

そう言いながら法師は右指で朱雀門を指さす。皇宮に対してする仕草とも思えぬ。見る人が見れば色をなして怒り狂うようなしぐさだったが、余一にとってはそれどころではない。

「どこって御所に盗みに這入れって言うのかよッ」と荒く声を上げた。

法師は事も無げに頷き「まさにその通りよ。あの御所の奥、内裏の内にそれはある」

「何があるって―――」

法師はその言葉を遮るようにして小声で答える。洞穴のような黒瞳に人とも思えぬ妖しい光が灯っている。どちらかと言えば整った面相の癖に表情は獣に似た容貌だった。

「―――白鳥の剣」


夜となっていた。丁度折よく新月だった。

大通りはとっぷりと暗がりとなっている。余一は道外れ茂みにしゃがみこみ黒い布で顔を覆った。強く匂っていた梔子の花の香りが少しだけ遠ざかった。

どうかしていると口の中で呟く。御所に忍び込んで盗みを働くなど誰に聞いてもどうかしていると思う事だろう。

「然しだ」とも思う。


干上がって飢えて死ぬ寸前だった紀伊の山奥から都に連れられて以降というもの陰に日向に道満法師の仕事を請け負って生きてきた。それは仕事に過ぎないが結局のところ言いなりに生きてきたにすぎない。とは言えあの怪僧がいなくてはとうに犬死していたかもしれぬ。

其れよりも前に逆らえば呪いを送られて早々に息絶えるのではないか。道満法師の呪いは天下一。それを疑うものは居ない。

行くも引くも地獄とは。


当たり前ながら朱雀門には篝火が赤々と燃えている。そして刀を帯びた武士が一人、柄に腕を怠そうにかけて辺りを睥睨している。見れば間抜けそうな間延びした面構えだった。欠伸をしながら右手で首筋を押さえて頭をクルリと廻した。到底誰か人を殺せるようなつらに見えなかった。とは言え相手は武士だ。あんな体たらくだってその気になれば人を殺す。武士とはそう言う生き物だ。見つかれば切り捨てられて狗のように辻に投げ出されるだろう。


「まぁしょうがない」

余一は渋々と立ち上がり己を励ますように言った。そもそも見つからなければ斬り捨てられることもない。人間は見える物しか斬ることは出来ないのだ。夜陰に紛れつつ衛士の目線を避けて御所の白色の土塀の傍に近寄った。

既に見つかればただ事では済むまい。

余一は暗がりに眼を透かして壁面を睨んだ。月光に荒く塗られた壁面の凹凸が影となって浮かぶ。足の指を利かせて余一はゆっくりと壁に張り付くようにして這い上がろうとした所で眼下の朱雀門に灯っていた篝火がぱったり消えていることに気が付いた。


何だ。

訝し気に眼をやると衛士が倒れ込んでいることに気が付いた。生ぬるい風が余一の頬を撫でる。ふと顔を上げると分厚い雲が月を覆い隠そうとしていた。生臭い臭いが風に運ばれて来て顔を顰める。

瘴気ではないのか。

余一はそう思いながら懐から手ぬぐいを出して口元を覆った。

今ならば、倒れた衛士を介抱しようとしたと言い訳も着くだろうと思うと余一は音もなく衛士に近寄る。

顔を覗き込んでみると青黒い顔で目を剥いて天を睨んでいる。どう見ても生きているとは思えない。


死んでいる。

余一は後ずさりをして朱雀門の内門の端に背中を張り付けた。額にゆっくりと汗が流れた。

今ならば門を潜って内裏に入ることもできるだろう。しかし―――不味いんじゃないのか。

余一はゆっくりと門に背中を押し付けたまま辺りを見回したが誰も居ない。然し誰も居なさすぎるのではないか。

腐臭が耐え難いほどに鼻に付くようになると、暗がりの奥から小さな女童が鞠を手にしてフラフラとやって来るのが見えた。


何でこんな夜更けに。

余一は来るなと女童に声を掛けようとしたが、喉元がひきつったようにして声が出ない。

顔が見えるかと思った途端に汗が眼に入り、それを荒々しく袖で拭うと女童の姿が立ち消えて、白髪を振り乱した老女の姿がそこにはあった。薄絹のようなものを纏って枯れた右腕を余一に伸ばしてくる。恐れをなして後ずさった余一が再び老女に眼をやると、果たしてそこは誰の姿もなかった。


「一体―――」

呟いた途端、右腕を引かれて余一は門の奥に引きずり込まれた。悲鳴を上げそうになりながら見上げると、若い白装束の武士の姿がそこにあった。

刀を抜き朱雀門の上を睨んでいた。

「危なかったな。こんな夜更けに子供がどうした」

武士は凛々しい声で言い放った。その声だけで絡まる様な腐臭が遠ざかるようだった。

「女がッ、消えて」

余一は尻もちを付いたまま吐き出すようにして言った。

それを聞いた武士は「やれやれまたか」と事も無げに言い、刀を眼前に構える。

一瞬無音で風のみが朱雀門に渡った。

逃げなければと余一は立ち上がり朱雀門の外に出ようと駆けだした。

「―――動くな」と若い武士の声が聞えたと思った途端、音もなく目の前にぬるりと丸太ような腕が迫り、縮れたこわい毛が巻き付いたような鋭いかぎ爪が目の前に迫った。

死ぬ。

余一は確信した。死ぬときには目を瞑るものだと思っていたがそうではないのだなと。眼前に迫るかぎ爪が首筋に迫る。

その一髪の間。


眩むような光が溢れた。余一は光輪の端に貴族装束の白皙の青年が笑みを浮かべて光の束を振るう姿を微かに見る事が出来た。それが消えた時大蛇のような腕が朱雀門にゴロリと転がっているのが見え、そして野太い叫び声が上がってそれは遠ざかって行った。


「立てるかね」と刀を構えた武士が素っ気なく手を差し伸べた。

余一は余りに自然な仕草に疑いもなく素直に手を借りて立ち上がった。

「あれは一体」

「あれは鬼と言うものだ。良くないモノと言う訳だ。然し―――」

武士は腰に手をやって言葉を続けた。

「まさか白鳥の剣がわざわざ命を助けるとは。童はよほど徳が有るのかな。もう少しで命を落とすところだったぞ」

白鳥の太刀。あの光が? そう思って余一は肩を落とす。盗み出せるようなモノであるわけがない。少なくとも自分のような者には。

「そうは見えないが、霊の力があるのだろうかね。どこの出だ」

「紀州の山奥」

「紀州。良いところじゃないか。君、一度賀茂を尋ねたまえよ。安倍家だ」

「あなたは―――」

余一は武士に名を聞いた。

武士は刀を腰に収めながら素っ気なく「綱。渡辺綱という」と名乗った。

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