第23話

その日の演目が終わればチラホラと人がはけていく。

明日は朝から祭りの山車が村中を巡業する。

それと一緒に先太鼓や金棒付き、浜音頭、神輿などの行列が練り歩く日。


村の子供たちはその行列に参加する子が多いので、親たちは急かすように家路へと追いやる。


「まだ店空いてんのに~!」

「あのでっけー鈴当てて明日の金棒さつけんだ!だから当たるまで帰んね!」

「大判焼き買ってよ~」


あちこちでそんな声が行きかう中、美月と剛は手を繋いで工藤家がある方へと歩いていた。


麻井はまわりの子供ら同様に癇癪を起こしたらと心配になっていたが、美月のおかげで剛は落ち着いて、キャッキャと笑いながら手を引かれて歩いていく。


駐車場に着いたら動けない車がいっぱい待機しているような状態だった。

車道まで出る砂利道は、もともと馬車の通り道だったこともあり幅が狭い。

一台しか切り返し出ていくことができず、その順番待ちで込み合っていたのだ。


「いまは車を出そうにも無理だわ。大渋滞だ。あとで取りに来ればいいわ、みのるさん」

正則はそう声かけすると寝てしまった唯月を抱き抱え先を急ぐ。


「そうですね、後にしましょう」

どっちにしろ今夜は工藤家にお世話になるのだ。

素直にその言葉に従うことにした。



人の流れに乗って歩いていけば、演目の目玉だったと言える子供らの舞踊の話がアチラコチラで聞こえてくる。


それと同時に工藤の嫁は大したものだという声も上がっていた。


”自分の嫁ならばな…。こんな誇らしいことはないのに”

麻井は大野旅館の名前につられて幸恵と結婚したことを後悔し始めていた。


幸恵と結婚したなら、ゆくゆくは旅館のあるじになれると思っていたのに、最近になって大きな誤算があった。

年の離れた弟たちがのちに迎える妻の中から時期女将を選ぶことに決まってしまったのだ。


幸恵は器量がなく要領も悪いと母親である女将が見放したのだ。

芳江は器量も要領もよかったが、妾の子を継がせるまでの寛大な心は持てなかった。

今はまだ、独身で嫁のあてはないが、それはなんとでもなる。

そう、判断したのだ。


この先幸恵が女将になれる未来はない。


不器用でも真面目に稽古や仕事に精を出していれば可能性は少しばかりあったのかもしれない。

しかし、働くことがあまり好きではない幸恵にそのチャンスは与えられなかったのである。


そんなことがあってしまったいま、どうしても考えてしまうのだ。


どうして、女将候補だと思い込んでしまった幸恵に求婚してしまったんだろう?と。

当時、妾の子という肩書は麻井には受け入れがたいものであった。


どちらにせよ、姉妹がただの”妻”という立場になってしまうのならば、芳江のほうが断然によかったのではないか?


こんなことを今考えても後の祭りである。

でも、もし頑張り屋の芳江が妻であったら、自分の人生は大きく変わっただろうにと思わざるをえない。


我儘な嫁に癇癪を起す息子。


この先を考えると暗闇の中で彷徨うであろう自身の危機を麻井は感じていた。




公民館で後片付けを済ませ明朝の準備を少しだけしてきた芳江は、子供たちより2時間遅れで家に帰ってきた。

玄関の引き戸に手をかけて、居間の電気が付いていることに気が付いた。

今晩は剛がいるから寝かしつけに正則が手こずっているのではないか?

そう思って申し訳なく思い、急いで居間のドアを開けたが、子供たちの姿はなくシンとしていた。


「ああ、おかえり芳江ちゃん」


芳江は居間のソファでくつろいでいる麻井に一瞬眉を潜めたが、すぐに愛想笑いを浮かべる。


「寝ていなかったのですね?」

「ああ、剛の相手していたら疲れてね、逆に寝つけなくなったんだよ。———迷惑だったかい?」

「いいえ…。剛くん、寝ているとはいえ、廊下向こうの仏間に一人にしてしまって大丈夫ですか?」

「正則さんが子供たちとそっちで寝てくれているんだ。すっかり剛が懐いてしまって」

「そうなのですか」

「もう少しで寝ようと思ったけどね、いまあっちに行っちゃうと剛が起きてしまったら大変だから、僕は居間続きの和室で寝かせてもらうよ」

「はあ…―――まあ、お好きにどうぞ」


芳江は茶の用意をしながらカラ返事をしていた。

守也や正一が帰ってきてくれればいいのに、二人とも例年のように酒盛りをしていたから、今夜は帰ってこないだろう。


「温かいうちにどうぞ」

「・・・ありがとう」


湯飲みから湯気がたつ番茶が、どこか特別なものに見えてしまう麻井。

啜ることなくただただその湯気を見つめる麻井はどこか不気味に見えてくる。


「————じゃあ、私はこれで」

「ああ!そうだね、お休み。———あ、僕はこれから車を取りにいかないといけないんだった」

「そうですか」


その言葉に安心した芳江は、麻井が出ている間に風呂を済ませようと考えていた。

居間に麻井がいるのに、風呂に入る気にはなれなかったのだ。

水場につながる脱衣室と居間は鍵のかからない戸が一枚あるだけだ。


そんな一枚の戸の向こうに麻井がいる状態で服を脱ぎたくなかった。


「僕は”これから”出るから。ゆっくりと湯に浸かってね」

「――――」


こちらの思考を読まれていたような言葉に凍り付く。


「じゃあ」


出ていった時に、風呂のボイラ―が鳴っていることに気が付いた。


麻井は自分を待ち構えていたのだ。

そう思うとより一層怖く感じてしまう芳江は、さっさと風呂を済ませて鍵付きの部屋へと入り内カギを閉めた。







自分は気の利いたことをしてあげれた。

なのに、なんだか芳江ちゃんの態度は冷たかったな。


そんなようなことを考えながら麻井が公民館へと着くと、先ほどの車が何台か残ったままであった。


その中には”工藤漁業部”と名前が入った、低いタイプのトラックがあった。


今ごろ正一は妻の自慢話でもして酒を煽っているのだろう。

そう思うとむしゃくしゃしてきてそのトラックめがけて足が出そうになる。


その時であった、なにやら話し声が聞こえてきたのは。


「ねえ?正ちゃん。今日くらいいいでしょう?あっちでいいことしましょうよ」


その名前に反応した麻井はよく耳を凝らし、会話が聞こえたほうへと静かに近づいてみる。

”しょう”がつく名はこの村に他にもいそうだが、もしかしたらと思ったのだ。



「なんだや、大事な話があるって深刻そうに言うがらよ、何事かと思ったのに、なんなのよ。戻って吞みなおすわ」

「そうよ、深刻な話があるの。————正一さん、最近芳江さんが冷たいのでしょう?」

「———————なんのことよ」

「三ちゃんから聞いたのよ。今年の夏くらいから”夫婦仲”が悪くなったみたいだって」

「————三四郎の言う事なんてホラばっかだべよ。鵜呑みにすんなや」

「———そう?強ち私は間違いではないと思うけどねぇ?昔みたいに艶っぽい顔してるもの・・・・ここが溜まると身体に毒よ?出してあげようか?」

「———うるせっこの!触んなじゃ!!黙って酒呑んでれや、このスキモンが」

「そのスキモノと結婚前は楽しんでいたじゃなーい。つれないわね~」



「・・・・・・・・・・」


二人が公民館に消えてから静かに立ち上がり自分の車へと戻る麻井。

口元は不自然に歪んでいた。


もしかして・・・芳江ちゃんは—――――

俺に惚れているんではないだろうか?


だから夫の正一を拒んでいるのではないだろうか?


だから目線を合わせないんだ、だから俺に嫌われようと冷たい態度をとるのではないか?


恋する乙女は反対のことをしたがるとよく聞く。


では―――――僕と芳江は—―――



よく考えればありえないことでも実は妄想に耽っていく。

それが彼を支える光に見えてしまったのだ。

芳江ちゃんが今の俺を救ってくれる。

哀れな男はそんな希望を勝手に見出していた。




「明日で最後だしよ、芳江さんにいっちょ踊ってもらうべ!」

「んだ!そうしてもらうべ!」

「これで評判よがったら、来年から街の方からの見物人が増えるんでないかい?」

「おーおー!んだら若い娘っ子だぢもいっぱい来るべな!」

「嫁っこ選び放題だじゃ!」



酒を酌み交わす男たちは、またもや勝手なことばかりを言っていた。

この手の話は祭り前にも散々聞いてきたので、正一は静かに呑むだけで会話に参加しようとも思わなくなっていた。


急に踊ってもらうって言っても何をさせるつもり何だか・・・。

即興で初めからしまいまできれいに出来るだろうという考えなのだろう。


そんなことを頭に浮かべ、あからさまに嫌な顔をする正一。

そんな兄を守也が宥める。


「いいことだべよ、兄貴。姉さんも楽しんでるようだしさ、んな顔すんなって~」


守也は兄を宥めるつもりなのだが、あまり得意ではない酒をたらふく飲まされたこともあり、冷やかしているようにしか見えなかった。


それに反応する若い男たちは”正一がご立腹だ!”と騒ぎ立てて笑っていた。



芳江は毎年、婦人部の女たちと一緒に浜音頭を踊りながら村を練り歩く。

当然のように、ひときわ目立ってしまう芳江は、男たちから好機な視線を浴びることが多かった。


それだけでも我慢がならないのに、あの艶やかな表情を醸し出す舞を、皆に見られてしまうだなんて…。


そんなことになって欲しくないのだが、あの芳江のことである。

誰かに頼まれれば嫌と言えずにひきうけるのであろう。


夫であるはずの自分が、妻へやめろと言えないもどかしさが苛立たしかった。




公民館の隅でゴロンと横になり天井を恨めしく睨みながら思考を巡らせる。


いったいどうしてこういう気持ちになってしまうのだろう?

そう考えるが答えは出てこない。


もしも、雪路だったならば・・・。

いつものように、今の芳江の立場を雪路に当てはめて考えてみる。


みんなに必要とされているのならば、頑張って勤めろと励ましているだろう。

自分がリードするように雪路を導いて、一緒に頑張る自分が見えるようだった。

いつものように不安になりやすい雪路を励ます自分。

その姿は、男冥利に尽きるほどの幸せを感じているはずだ。


そうして、今日みたいに成功して、皆に褒められれば

鼻高々に妻を自慢して、気持ちよく酒を煽っているはずだった。


酒もそこそこにして、家へと帰り、よく頑張ったな、みんな褒めてたぞって――――

そうして、優しく抱き寄せて彼女を愛するんだ。


なのに・・・どうしてなのか?

正一は芳江に対してそれが出来なかった。


あるのは彼女に抱いてしまう反抗心、誰にも見せたくないという独占的な感情しか沸かない。

自分以外に笑いかけるのも、艶っぽい表情を見せるのも、たまらなく嫌だったのだ。


妻を妬む悪い夫であると自覚した正一。

尚更に自分は彼女の伴侶としてふさわしくないと思ってしまう。


「いやあ!ねーさんは最高だわ、なあ?おめえだぢもそう思うべ?」

本来ならば守也のように妻を自慢して酒を煽るのが夫である自分の姿であるはずなのに。


「————このまま知らねえふりをいつまで続けていけばいいんだ?」



正一の呟きは、大きな笑い声と共にかき消されていった。







愛したいだけで妻を束縛してしまう男。


恋心は残っているものの、ユキジの幻想には勝てず、自信をなくしてしまう女。


新しい愛に新活面を見出そうと、他力本願な考えで妄想が膨らむ哀れな男。


自分と比べて何もかもが恵まれているかのように見えてしまう女。


そうして、心の奥底にある思いを隠し続ける青年。



それぞれ表面上はあるべき形を保ってはいるが、少しづつ、節と節が合わなくなりつつあった。

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偽りの花嫁 あみ @ami-1980

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