三日の怠惰

@Nokasa12

第1話

 年が明けて三日目。カレンダー上の「三箇日」は、あっけなく過ぎ去ってしまった。まるで何もなかったかのように、外は乾いた冬の陽射しが公園の滑り台を照らしている。

 そして、俺──28歳、もうすぐ30が見えてくる男・宮沢春介(みやざわしゅんすけ)は、部屋の隅で丸まったまま動けずにいた。動かない。いや、動こうと思えば動けるのだろう。しかし気力がわいてこない。大晦日だろうが三が日だろうが、同じようにコタツの近くでスマホをいじり、YouTubeをだらだら眺め、腹が空いたらコンビニでカップ麺を買う。そんな生活が、もうどれくらい続いているだろう。


 とっくに社会人としては5年以上が経過しているはずなのに、俺の年末年始の過ごし方は、大学時代と大して変わらない。実家に帰って親や兄弟と過ごすことも考えたが、思い返すと「この時期は混むし、実家の雑煮は重いしなぁ」なんて言い訳をこねてやめてしまった。理由はどうであれ、帰りたくなかったのだろう。特に親に会いたくないとか、そういうわけではない。だが「仕事が忙しくて」なんて呟けば、それらしい言い訳ができた。ああ、仕事だって実際は4日から始業なのに、ちっとも忙しくはないくせに。


 枯れた観葉植物を横目に見ながら、俺は「まずいな」と思う。せっかくの三が日に、実に何もしていない。言い訳ばかりで、何ひとつ有意義な行動をしてこなかった。除夜の鐘だってスマホの通知だけで終わり、初日の出なんか拝みに行くわけもなく、初詣もSNSで友人が神社で撮った写真を見て「へえ~行ったんだ」なんて他人事のように眺めていただけ。結局、正月のTV番組とYouTubeを、ただ行ったり来たりしていただけだ。


 「あー、なんかもう、こんな自分が嫌だ」


 そう思って頭を抱えつつも、行動に移すわけでもなく、床を転がる。ダメな自分から抜け出すのにはきっと何かきっかけが必要なのだろうと思うが、その「きっかけ」を自分で作ろうという発想がないのが俺の悪いところだ。まるで、突然空から運命の手が差し伸べられて、強制的にやる気スイッチを押してもらえないかと他力本願で待っているかのようだ。


 ――そして、迎えた1月4日の朝。


 長い休みが終わり、曇天の空がなんとも重苦しい。実際は今日からの仕事はリモート主体で始まるので、出社しないといけないわけでもない。でもリモート会議が午前中に設定されていて、ほぼ顔出し必須だ。ああ、どうせパジャマのまま寝癖を急いで直してカメラの前に座るのが関の山だろう。


 寝ぼけた頭をかきながら、食パンを口にくわえてみても少女漫画のようなときめきはないし、鏡に映った自分の顔はどこか覇気がない。そりゃそうだ。三日間、いや冬休みに入ってから実質ほぼ寝ていたようなものだ。どうしてこう、何もかも面倒くさいのだろうか。


 リモート会議が始まった。何人かの同僚や先輩が、画面越しに「あけましておめでとうございます」と慇懃に挨拶してくる。俺も形ばかりの返事をする。中には「正月、どう過ごした?」なんて話を振ってくる人もいるが、「いやあ、実家に帰ってました」とか「彼女と旅行に行ってきました」なんて、みんながそれぞれにドラマがあったようだ。俺はどう答えるべきか迷った結果、「こっちでのんびりしてました」とだけ言った。


 会議の内容は淡々としたもので、大したこともなく終了。午前中から午後にかけて仕事の書類を確認し、メールの返事をしているうちに時計は15時を指していた。オフィスに出勤していたらきっともっと刺激があるだろうが、リモートということもあり、つい休憩と称してSNSをながめたり、仕事のフリをして机に突っ伏したりしてしまう。結局、締め切りがギリギリの仕事もないし、適当にこなしていればそれなりに給料は振り込まれる。


 そんな自分に嫌悪感を抱きながらも、現状をなんとか回しているのが今の俺の姿だ。変わりたいが、変わる労力を想像すると面倒になる。ダイエットしようと決意しても、すぐに空腹が煩わしくなってやめてしまうし、運動のためのランニングウェアを買っても、結局使わずじまいで衣装ケースの奥底。部屋は散らかっていて、心も散らかっている。


 そんな俺だが、ときどき何かの拍子に「このままじゃダメだ」という危機感だけは覚えることがある。それを放置できないのは、人としてのギリギリの感受性がまだ残っているからなのだろう。いつまでも他人事のように逃げていたら、いずれ本当に人生が終わってしまう。そう考えながら、また言い訳を探す自分がいる。


 年明け最初の週の後半、仕事が一区切りした金曜の夕方。同僚からLINEが入った。「来週、みんなで新年会するけど来ない?」とのこと。最近、コロナの影響も落ち着いてきたので、ちょっと遅めの新年会を企画しているらしい。それに対して俺は、無意識に「忙しいんですよね~」と返そうとして、打ちかけた文字を消した。忙しいなんて嘘だ。


 本当は友だちが少ないわけでもない。誘われたら普通に出かけて飲みに行くことだってある。でも、いざ行くとなるとおっくうになる。あとで後悔するのは分かりきっているのに、なぜかこういう時だけ「面倒くさい」が先に立ってしまう。


 意を決して、「行くよ。詳細教えて」とだけ返事をした。やればできるじゃないか、と自分に言い聞かせる。すぐにメッセージが返ってきて、場所は会社の近くの居酒屋で20時スタートとのこと。金曜の夜なら仕事終わりにも行きやすい。そうだ、どうせ何もしていない三が日を過ぎて、今さら取り返しようもないのなら、せめて人並みに今年最初の行事に参加してみるのもいい。


 新年会当日の金曜。久々にネクタイをしっかり締めて外に出ると、冬の夜風は冷たいが、どこかすっきりとした気分になった。居酒屋に向かう道すがら、ネオンの光がじわりと目にしみる。いつもなら見過ごす雑居ビルの看板や、大通りの車のライトがやけに鮮やかだ。


 店に着いてみると、すでに二、三人が盛り上がっていた。「やあ、来たね春介」と先輩が気楽に声をかけてくる。ビールやハイボールのジョッキを片手に、話題は正月のことから今年の抱負までさまざま。俺は少し緊張しながらも、席に着いてとりあえずビールを一杯あおった。


 いつもならこういう場では「忙しくてさ~」とか「いろいろ大変なんだよね」とか言い訳じみたことを無意識に口走っていた気がする。でも今日は、妙に素直に「まあ正月はだらだらしてました。自分が情けないくらい」と言ってみた。すると先輩は爆笑して「俺も似たようなもんだぞ。初詣も結局行かないし、ゲーム三昧だったし」と言い返してきた。まわりの人たちも「わかるー」「俺もネット通販ばっかしてたわ」と、共感の声があがる。なんだ、みんな似たり寄ったりじゃんと、ちょっと拍子抜けした。


 そこから会話は自然と弾み始めた。「でも、さすがに何か始めようと思ってジムに申し込んだよ」「今年は英会話やってみようと思って」など、みんなで“ちょっとした目標”の話になった。俺は「目標かぁ……」と、なかなか言葉が出なかったが、いざ考えてみると「あ、そういえば観葉植物が枯れちゃってるんで、新しく育て直そうかな」と口にしてみた。すると、「いいね、緑があるだけで気持ち変わるよ」と何人かが肯定的に言ってくれる。


 そんな他愛ないやり取りだったが、俺の中では小さな火がともったような心地がした。家の中で放置されていた鉢植えの姿が脳裏に浮かぶと、同時に自分自身と重なって見えた。放置しながらも「いずれ世話しなきゃな」と思っていたけれど、結局一歩を踏み出せずにいた。あのままでは枯れるだけだ。植物も、俺自身も。


 翌日、土曜の午前中。少し二日酔い気味だったが、起きてシャワーを浴びてみると体が軽い。こりゃいけるかも、と思い立ち、溜まっていたゴミをまとめて近所のゴミ捨て場へ運んだ。それからホームセンターに出かけ、植木鉢や新しい土を買い、観葉植物に合いそうな栄養剤も購入。今までは休日なんて、いつも昼過ぎまで寝て、そこからコンビニかスーパーに行く程度で終わっていたが、今日は違う。


 部屋に戻ると、とりあえず雑巾をかけて空気の入れ替えをする。積もったホコリが舞い上がるのを見て、あらためて自分の部屋の惨状を痛感。それでも心の奥で「このままじゃ嫌だ」と感じていた数日間の鬱屈を解消するように、勢いのまま掃除を進めていく。


 そして、あらかた散らかったものを整理した後、観葉植物の枯れた部分を丁寧に切り落とし、新しい土を入れ替えて栄養剤を混ぜた。水をたっぷりやって窓際に置く。そうしてみると、不思議なほどに気分が変わる。部屋の中に緑が戻るのを想像するだけで、ささやかな達成感が湧いてきた。


 「忙しい」「時間がない」と言い続けていたけど、いざやるべきことを始めれば、そこに費やす時間は作れるものだ。もちろん俺の悪癖が、これで一気に治るわけじゃないのはわかっている。しかし「何もしない」という状態から、一歩でも動いたことは、自分なりに大きい。


 ふと窓の外を見る。冬の空は青く澄んでいる。三箇日が終わって、今年も少しずつ動き始めた世界に、自分もようやく追いつき始めたような気がした。


 「さて、せっかくだし、あのジムのサイトでも見てみるか」


 スマホを開き、ちょっとだけ検索してみる。「忙しい」「面倒くさい」という言い訳が喉元まで出かかっている自分に苦笑しつつ、今度はどんな理由をつけようかと悩みながら、でも、ちょっとだけ画面をスクロールする。


 どうせ三が日は逃した。だが一年は、まだ始まったばかりだ。コーヒーを入れ、スマホをもう一度見つめる。そして思う。「忙しいって、本当に?」と。もしかしたら、自分が勝手にそう思っているだけなのかもしれない。そうした気づきが、ほんの少しだけ胸を軽くする。


 カーテンを通して差し込む冬の陽射しは、いつもより眩しく感じられた。


 ――まだ、「きっかけ」は小さな芽に過ぎない。だが、枯れかけていた観葉植物を蘇らせたように、自分だって変われるかもしれない。そう思ったとき、やっと俺は、この連休を無為に過ごした自分を許せる気がした。


 何もしないまま終わる三箇日もあれば、その後にほんの少しだけ行動する三箇日明けもある。結局は自分次第。ならば、この一歩がどんな形でもいい。とりあえず、動き出してみようと思う。


 新しい土の香りに混じって、俺はかすかな決意の匂いを嗅ぎとった気がした。


 そう、何もしないで文句を言うのはもうやめよう。誰に対してでもない、自分自身への約束として。


 そして今、スマホ画面に「ジム体験レッスン 予約はこちら」というボタンが大きく浮かび上がっている。


 いつもの俺なら、このまま画面を閉じてまた来年、いや、いつかやるさ、と先延ばしにしていたかもしれない。だけど、もう一度深呼吸して、そのボタンをそっと指先で押してみる。


 ――こうして、俺の今年はようやく始まった。

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