たたみ素足

天西 照実

たたみ素足


 昔の日本の、やくざ映画でした。

 着流し姿のやくざ者たちが、畳の部屋に胡坐をかいて集まっていたり。

 口々に乱暴な言葉を並べていたと思ったら刃物を畳にドスッと突き立てて、どすの効いたボスの一言で静まりかえったり。

 廊下でも畳の部屋でも、みんな男たちは日焼けした裸足でした。

 そんな、やくざ者たちの中に『姐さん』と呼ばれる女の人がひとり。

 ボスの女将さんが登場して、目が釘付けになりました。

 僕の世界が変わったんです。

 アクセサリーや着物が派手な訳でもないのに、雰囲気が華やかで。

 笑っているだけで可愛いような女の子とは大違いです。真顔でも睨まれても品があり美しかった。

 やくざ集団にも臆することなく凛としていて……。

 畳の上を、すすすっと歩いて来た足元がアップになったとき、とても綺麗な素足でした。

 やくざと洋装女性のベッドシーンもあったのに、僕の目に焼き付いついたのは姐さんの足元だけ。

 足の甲に軽く筋が浮いていて、小柄な体格らしい小さな足、華奢な爪先。

 それでも堂々と畳を踏みしめ、芯のある歩き方から姐さんの強さを感じました。

 数歩分、足元を映しただけなのに……。

 今でも、その数歩のシーンがハッキリと思い出せます。

 形の整った小さな爪は桜貝のようで、細い指の付け根なんて……思い浮かべると恥ずかしくなってしまうほど、色っぽかった。

 その映画は昔のやくざ映画でしたが、今でも日本には和室が普通にある。

 失われた文化ではないんだ。

 畳の上を素足で歩く女性に会いたくて、日本語を勉強しました。

 僕はアメリカ出身なんですけど。

 畳……いいえ、日本映画……いや、日本の文化全てかな。

 映画の一場面で、歩いている足だけを意味もなく映さないでしょ。

 しっかり魅せていた……。

 自分が足フェチなんて思ってもいませんでしたけど。

 その時にはもう、僕の事をわかってもらえている文化が、ここに存在すると確信したんです。



 畳に正座した金髪の青年は、淡々と語った。

「なるほど。あなたの……畳へのお気持ちはわかりました。ですが、この場所にずっと留まるのはよろしくないですね」

「……畳になりたいんです」

「なれません」

 つい即答してしまい、青年は肩を落として項垂れてしまった。

「ここは呉服屋です。和服を扱うお店という事はご存じですよね」

「はい」

「あなたが居座っている場所は、着付けをするスペースです。いうなれば、女性更衣室に男性のあなたが『見たいのは足だけだから』と言って居座っているのと同じなんですよ」

「そんなつもりは……」

 彼の言葉が聞こえていない呉服屋の女性店長が、訝しげな表情を畳に向けている。

 私は、この場に居る青年幽霊の話を店長に伝えた。



 ここは、私の着物も仕立てている呉服屋。

 本日は定休日で、お客は居ない。

 千鳥柄の衝立に囲まれた、売り場奥の着付け用スペース。

 近頃、この畳の敷かれた着付けスペースで、店員や複数の顧客から金髪男性の幽霊が見えると相談されていたらしい。

 浴衣も売れる夏が近づく前に、妙な噂をなくしておきたいと。

 近しい知人には幽霊が見えると知られている私に相談がきたのだ。


 店長の目にも姿見鏡にも、彼の姿は映っていない。

 それでも、店長は彼が見えている私の視線の先に顔を向けながら、

「和服女性の着替えを覗く外人さんなんて……と、思いましたが。畳と素足ですかぁ」

 微妙に困ったような苦笑いで言い、溜め息をついた。

 私も頷きつつ、解決案を模索する。

 物心つく前から、様々な幽霊や人外の存在を目にしてきた。

 特別な怨念を抱える存在なら厄介だったが、少なくとも彼とは会話可能だ。

 彼が追い出されまいと、嘘を言っている訳ではない事もわかる。

 とはいえ、畳になりたいと言う青年に手助けできる案は思い付かない。

「実際の行動は、ただの覗きですからね。足元しか見てないなんて、いくら幽霊でも言い訳にはなりません」

「そうよねぇ。他所の畳に引っ越してもらえないかしら」

「そうですねぇ……」


 私も店長も和服姿の女性だ。

 ふたりで着付けスペースの畳に立ち、正座する男性を見下ろしている。

 ふくよかな店長は、仁王立ちで腕を組んでいるのだ。私も自身に品の良さなど感じた事はない。

 彼のイメージが崩れてしまえば成仏の可能性もあるかも知れないが、どうやら本当に、足元以外に目を向けてはいないらしい。

 彼のブルーの双眸は、失望や困惑から視線を落としている訳ではなかった。

 生者に話しかけられ、自らの趣向を止められそうな場面だというのに。

 彼は、足袋履きの、私の足元をじっと見詰めているのだ。

「座敷牢にでも、お入り頂きたいところですが。害が少ないとすると、茶室の畳とか?」

 私が畳を見かけそうな場所を思い浮かべていると、店長がポンと両手を打った。

「お茶やお花を教えてくれるカルチャーセンターの和室はどうかしら。うちのお客様で、そちらの生徒さんや先生もいらっしゃるんです。お教室以外に更衣室もありますから、和室で着替える人も居ないでしょうし」

 覗きでなければ幽霊が出ていいという話でもないのだが。

「そちらに幽霊が出るようになってしまいますけど」

「あの建物は、元々古い病院があった場所ですから。今でも何か出るって話は有名みたいですよ」

 と、店長は軽く言って笑う。

「えっ、そうなんですか?」

 それはちょうど良い、なんて思ってしまった。

 幽霊を相手に、迷惑行為教唆もないだろう。

 とにかく、目の前にある問題だ。

 女性の着替えスペースで男性幽霊が目撃されている状態を、なんとかしなくては。


「できる事なら、成仏していただきたいのですが」

 と、一応、彼に勧めてみる。

 彼は俯いたまま首を横に振った。

「――せっかく日本語を勉強して、日本での就職を目指していたんです。それなのに、別の国への旅行中に、僕は事故で死んでしまった。日本でも母国でもない。旅行先は日本だけにするべきだったと、どれだけ悔やんだ事か。たたみ素足への想いだけでここに居るんです。ここを離れたら、僕の想いはどこへ行っちゃうんですか!」

「ここに居ても、畳にはなれません。女性の着替えを覗いている事にならない、畳と和服と素足のある場所を紹介しますから。覗きが望みでないなら、そちらへ移っていただけますね?」

 強気な口調で聞いてみると、青年幽霊は少々考えてから頷き、

「わかりました」

 と、答えた。


 引っ越し先まで、彼は私の後ろをついて来た。

 気は引けるが仕方ない。

 しばらく、彼の引っ越し先の噂話を気にかけておくつもりだ。



 イグサに生まれ変わる事でも勧めるべきだったか。

 と、いうのは冗談で。

 生死を問わず、他人の行動への強制力など持ち合わせてはいない。

 別に霊媒師を名乗っている訳でもない。

 コミュニケーションは取れても、私に霊を成仏させる力はないのだ。

 一旦、追い払うのが精いっぱいだが、別の行き先を決めてやらないと、またすぐに戻って来てしまうだろう。


 子どもの頃から見ている幽霊の存在に今さら驚きはしないが、ピンポイントな趣向の持ち主に会うのは初めてだった。

 畳、女性の素足、和服。

 この組み合わせは、私も嫌いではないと。

 あらためて思うのだ。

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