リカ

@yorunogi

水道が止まったから水も買わないと

 一生を二人で生きていくのだと、本気で信じてしまうようなものを『妄執』という。人と人とが一緒にいるときに、何を話そうか、どうにかして相手に、自分を権威側の人間であると見せつけたくなる。チープな一言で言うなら、いや、それを自分に許せないから、こうしていまさら床の隅から出てきた、いつのものかもわからないキーホルダーを、いい歳して何度も見返す羽目になる。司法は俺を加害者だと言った。信じられない自分と、やりかねないと思う自分と、わかってもらえない、母を欲しがる自分。あと、この期に及んで自分のことばかり考えると、群れを作れない俺を糾弾しづつける自分もいる。

 夕方過ぎ、今日も助走で終わったことを考えれば、いずれは誰よりも高く飛べるはずだ。黴の生えた浴室をイメージして、そこにいつのまにか置かれていた洗面器と風呂用椅子が、役目を果たすことなく腐って溶けていく。それらは真っ白で、大理石を模したプリントがされていて、それが腹立たしかったから、入浴することをやめた。こんなのは俺の家じゃないと思った。


「ここでなにか気の利いた一言でも言えれば、『そういう人』くらいにはなれるのに」


 いつも役割を果たさず、酒と煙草で朽ちるばかりの喉から、くしゃくしゃの声がぽとりと落ちた。呼吸がしづらくなって、鼻をすすって、喉の奥が膨らんで、少しづつ足元のビニール袋が濡れていく。立ち尽くす水たまりすら小さく、昔行った遊園地で見た池のようなものとは比べ物にならなかった。傘が反射する雨の音で、隣の声も聞こえなくて、落ちた雫は大きな王冠を作っていた。煙草が消えてしまう。口元から離して、煙草が濡れないようにした。あの時、俺は肝心なことを言わなかった。目玉のパレードも、乗りたいと言っていたアトラクションも中止で、今日のイベントを中止にできなかった自分の能力不足を悔いていた。殴ってでも止めればよかったと反省し、その次の機会からはその通りにした。

 あの時差していた水玉の傘も、まがい物の大理石の洗面器も、悪乗りの集大成みたいなご当地キーホルダーも、俺にあと少しだけ力があれば、なにもかも粉々にしてやるのに、何もできず、血がにじむだけの指先で、昨日買った煙草の火を落ちていく涙から守って、俺はこんなところで一体何をしているんだろう? 誰のせいでこうなった。ぴかぴかのランドセルを俺に贈ったばあちゃんは、9歳の時に死んだ。でも、代わりにじいちゃんがゲームを買ってくれるから、別によかった。今日はまだ何も食べていないから、コンビニに行く。煙草と、カップ麺と、楽しくもないジャンプを買う。こんなまま、途方もなく何十年も、無理だ。早く死にたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リカ @yorunogi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画