最終話.壊れた歯車でも回るんだって






「ドーナツ持って帰らない?」


事務所での打ち合わせの後、挨拶をして帰ろうとするとマネージャーは机を指差した。そこには誰もが知るドーナツショップの箱が並べられていた。


「袋こっちにあるから、良かったらどう?」

「……黒糖のやつ、あります?」


マネージャーはいくつか箱を開けると、目当てのものを見つけ、それを俺に渡してくれた。


「甘いもの好き? もっと持ってく?」

「いえ、これだけで大丈夫です。ありがとうございます」


甘い物はあまり好きじゃない。







 家に帰り、ドーナツを皿に出して写真の前に置く。


「これ、事務所の人がくれたんだよね。お前、好きだったじゃん? 先食べて」


 マネージャーも、他の事務所の人もいい人ばかりだ。それでも、人と会話をするというのは体力以外の何かを削られていくかのように疲れてしまう。


「ドーナツ一個とドリンクで長居したよな」

「甘いものと甘いものでさ、こいつヤバいなって思ってたよ」


ギターを触りながら、学校帰りに駅の近くの店に入ったことを思い出す。あいつはいつも黒糖のやつホットとロイヤルミルクティ、俺はソーセージパイとホットコーヒー。 あの店は砂糖や油の匂い充満していて、その中で甘いものを食べるなんて俺には無理だった。


 俺はホットコーヒー、あいつはホットロイヤルミルクティを何度もおかわりした。俺はあいつの話を聞いているだけだったけど、穏やかな流れの小川のようなあいつの声は心地よかった。


「また、行こうかな」


これからは一人だけど。


 









「ね、見て」


やっと、やっとだ。ついにこの時が来た。写真に向けて差し出したタブレットには “ライブツアー決定!”の文字。


「今日発表されたんだけど、ライブツアー決まったんだ」

「でさ、最終日。見て」

「ついに武道館だよ。これでやっと、お前との約束を守れる」


ゆっくりと武道館の文字をなぞる。ガキの頃に夢を見て、おまえに誓った大舞台。発表されるまでは信じられなくて、公式サイトに公開されてやっと現実味を帯びてきた。


「高校の時、約束したもんな。武道館のライブでお前に関係者席を用意するって。かなり遅くなったけど、これでも結構頑張ったんだよ?」


全然、間に合わなかったけど。


「チケット出来たらさ、持ってくから。待ってて」


どこに持って行ったら、来てくれんの。










  静謐で輪郭の整った石を前に、あいつの名前を呼ぶ。あいつがどこにいるかなんて分からないけど、ここには確実にあいつの一部がある。


「お待たせ。ホラ、武道館の関係者チケット。……約束、守ったぞ」


あいつの名前と、席の番号を書いた紙をひらひらと振る。


「俺はさ、約束守ったよ。お前を武道館の関係者席に座らせてやるって」「でも、お前は約束破ったよな」「俺が武道館でライブするまで生きるって、言っただろ」「何、勝手に死んでんだよ」


 手に力が入り、チケットに皺が寄る。ああ、まただ。あの、おばさんに写真を貰ったときと同じだ。みっともなく蹲って、嗚咽を漏らさないように歯を食いしばって、涙を流して。


「くそ、お前がいなくなって何年経ったと思ってんだ。それなのに、このザマだぞ。どう責任取るつもりなんだよ」


 もう反論も出来ない相手に八つ当たりする、勝手に思いを煮詰めて自滅してるだけ。こんなクソ野郎に成り下がった俺に怒るだろうか。いや、きっと呆れたように笑って、窘めるだけだろう。優しく背中を撫でながら。


 俺は蝋燭の火でチケットを燃やした。こうすれば、あいつの元に届くと信じて。


「チケット、渡したからな。絶対来いよ」 












 ツアー最終日、開演まで五分を切った。声出しもストレッチも終わり、後はステージの幕が上がるのを待つだけ。透明の瓶を手に取り、首元にワンプッシュ。


「それ、レディースのだよね? そういうのが好きなの?」


バンドメンバーのギターがピックを手で弄びながら言う。


「好きというか、願掛け、ですかね。いや、お守り?」

「へぇ、なんだ。彼女とオソロイ、とかかと思ったのに」

「そんなんじゃないですよ」


否定しながら、他のバンドメンバー達と円陣を組む。何度も繰り返したが、みんなが俺の言葉を待つように黙り込む時間が少し苦痛で、最後まで慣れなかった。


「今日が最終日、よろしくお願いします!」


精一杯張り上げた声に、イエーイだかオォーイだかの声が重なる。野太いそれに背中を押され、スタンバイのポジションに立った。








 会場の騒めきが聞こえてくる。これから、この大観衆の前で歌う。夢でも見ているかのような光景が広がっているだろう。


 だけど、それでも、今日だけは。たった一人の女の子の笑顔が見たくて歌っていたガキに戻りたい。優しい世界で、無邪気な夢を見ていたあの時に。


 ぽっかりと空いた、たった一つの空席に座っている筈のアイツを連れて。





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VINE FLOWER 冬野 @fuyuno-s

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