クリスマス血

零真似

第1話

 ――花はしゃべらない。だからその意味は、わたしが決める。

 

 窓に降る雨粒は地球の心電図だ。

 大同小異。長い目で見れば滞りなく。ボツ、ボツ、と時間を循環させている。

 遠くの街路樹に巻つけられた電球の煌めきが映り込む。咲いている色とりどりの傘はスレイベルを真似て、きこえないはずの福音をこの部屋にまで届けていた。

 クリスマスだった。

「心まで明け渡しはしない」

 わたしはカーテンを閉めて世界と自分を切り分ける防壁を作る。そうして胸の奥にある感情を守ろうとする。あの日、刃宫紅に別れを告げたように。

 

『人間はね、生まれてきた以上、生産的に死ぬべきなんだよ』

 彼女との恋は非常識にはじまり、常識的におわった。おわらせた。そうしないと魂まで焼き尽くされてしまいそうだったから。

 それなりに揉めたけれど、最後には彼女もわたしが生産的な人間になることを祝ってくれた。

 だから今、わたしはこうしてだれもいない部屋でひとり膝を抱えている。

「心まで、明け渡しはしない」

 意志を言葉にする作業を繰り返し、わたしは地球になろうとする。

 なにがあっても動じない。長い目と穏やかな心臓を手に入れようとする。

 そのとき、満ちた静寂を切り裂くようにチャイムの音が鳴り響いた。

 立ち上がって玄関ドアを開けるが、人はいなかった。

 ドアのまえには青いリボンの巻かれた箱が置かれていた。

 核爆弾を望みながら封を切る。

 入っていたのは無数の赤い薔薇の花。ギチギチに詰められていて溢れてくる真っ赤な花弁は、その上に小さなメッセージカードを乗せていた。

『結婚おめでとう。さようなら』

 血の拇印とタバコの押印がされた祝福。それは刃宫紅が置いていったもの以外のなにであるはずもなかった。

 赤い薔薇の花言葉は『愛』。それを絶対零度を思わせる青いリボンで巻いている。そして祝辞とともに添えられた別れの言葉。

 わたしの鼓動が早くなる。奥底に沈めたはずの心が不安によって動き出す。

 彼女が吸っていたタバコの匂いが鼻腔を掠めた。その匂いが辿る階段は屋上へと続いていた。

 バン、とマンションの下になにかが落ちる音がしたのは、わたしの足が匂いのほうへと駆け出そうとしていたときだった。

 

 彼女の非常識で非生産的なところが好きだった。わたしがいないとすぐ死んでしまいそうなところが好きだった。わたしもそうなりたいと思っていた。

 だから、別れるしかなかった。彼女といるとわたしはたぶん直に魂まで燃え尽きてしまうから。きっとそのときこの肉体も同じくはじけて失くなるから。

 だから離れたのに。彼女には生きてほしかったのに。

 わたしは恐る恐る部屋へともどり、閉めきったカーテンを開いて眼下を覗く。

 冷たい煉瓦ブロックのうえにぶちまけられた真っ赤な液体。そのうえに横たわるのは、乙女ゲームのヒーローがプリントされた等身大の抱き枕。

 呆然とするわたしの頭上から、煙と一緒にあのミントのガムみたいな嘘っぽい匂いが降ってくる。

「アレ、わたしからのお祝いね」

 視線をあげると屋上から身を乗り出した刃宫紅がいた。彼女が咥えていたタバコで指し示す先には、地上で無惨に割れたワインボトルがあった。

 あんぐりと開けた口で煙を吸い込むわたしを見て、彼女はニッと笑う。

「赤い薔薇の花言葉は『おまえ』な」

 刃宫紅はわたしに向かって中指を立てる。

 降る雨は勢いを増し、世界に歪んだギターの音が鳴り響く。

 わたしは同じく立てた指を彼女に向けながら、もうとっくに自分が心を明け渡してしまっていたことを知った。

 だって彼女といると、この街にミサイルの雨が降っても笑っていられる気がするんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クリスマス血 零真似 @romanizero

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画