ポテト・ジェネシス・フェスティバル(後)

 説教が終わる頃、石井さんの表情はまるで歳を取りきったおじいちゃんのようにしぼんでしまっていた。気の毒に。

 けど、これで全員の発表が終わった。ついに、このカオス空間から解放される……!


「さて、最後は君だ、芋山くん」

「えっ……?」


 店長の一言に、全身が凍りついた。しまった。完全に自分の番のことを忘れてた。

 いや、そもそも考えてもいなかった。


「え、えーと……」


 とりあえず立ち上がったはいいものの、何もアイデアなんて浮かばない。


「大丈夫! 緊張しないで、自分のペースで!」


 いつの間にか復活している石井さん。


「ふっ、お手並み拝見ですね、スイートポテトさん」


 奈良原くんはレンズの割れたメガネをクイッとしている。


「普段通りやれば大丈夫よ、頑張って!」


 辻さんもエールを送ってくれる。

 いやいや、普段通りって、普段にこんな場面無いんですけど!?

 ……と、「普段通り」で思い浮かんだものがひとつ。もういい。ヤケクソだ。


「え、えーと、僕、今朝食べたのが卵かけご飯だったんですけど、卵かけポテトなんてどうですかね?」


 あたりがピタリと静まり返る。

 やばい。やっちまった。


「……続けたまえ」


 店長が低い声でぼそっと言い放つ。

 いや、続きなんて無いんだけど。


「えーと、その、溶き卵に、醬油を混ぜて……」

「混ぜて!?」


 店長が身を乗り出してきた。その迫力に怯える僕。


「そ、それで、ポテトをそこに、つ、漬けて……」

「漬けて!?」


 店長の顔は興奮で若干赤くなり始めている。怖い、怖すぎる。


「た、たべる……?」


 最後の部分はほぼ消え入りそうな声でつぶやいた。後悔で頭がぐるぐるする。

 これまで体験したことがない種類の静寂が場を包んだ。

 今すぐこの場を逃げ出したい。そして、二度とこの店には来ない。


 すると、突然。


「アーッハッハッハッハッハッハ!」


 爆発音のような笑い声が響き渡った。振り返ると、奈良原くんが顔を真っ赤にして大声で笑っている。


「ま、まさか、こんな近くに天才がいただなんて……どうやら僕は世代遅れの中古コンピュータだったようですね!」

「えっ、えっ?」


 混乱して周りを見回すと、辻さんが頬を真っ赤に染めて、こちらを見つめていた。


「芋山くん……いえ、ポテトプリンス……。あなたも、“ポテプリ”だったのね」

「いやいやいやいや!?」


 さらに追い打ちをかけるように、近づいてきた石井さんが僕の手をがっしりと握る。その目からは、涙が溢れ出していた。


「俺の目に狂いはなかった。やっぱりお前は、ポテトの天才(ギフテッド)……『ポフテッド』だったんだな」

「お願いだから、せめてあだ名は統一してください!」


 僕の心の悲鳴はむなしく響かないまま、店長が満足げにうなずく。


「うむ……満場一致だな。我が店舗からは、卵かけポテトを選出する!」

「ちょ、ちょっと待ってください、僕のだけ味見すらしてないんですが!」

「するまでもない! みんな、芋山くんに拍手を!」


 店長の号令で、みんなが一斉に手を叩き始めた。

 拍手に包まれながら、僕は眩暈で倒れそうになる。

 なんだこれ。白昼夢にしてもひどすぎる。誰か……助けて……。



     *



 高層ビルの一室。

 僕は一人机に向かい、一枚の写真をじっと見つめていた。


 そこに写っているのは、あの時の僕たち。

 みんな揃って、ポテトを高く掲げ、満面の笑みを浮かべている。店長も、石井さんも、辻さんも、奈良原くんも。――僕だけ、苦笑いだ。


 あの時のことを思い返していると、不意に後ろから肩をそっと叩かれた。


「おや、懐かしい写真ですね」


 声の主は石井さん。今や僕の唯一無二の右腕だ。


「ええ、あの時をきっかけに、こんなことになるなんて……と改めて思いまして」


 思わず写真を指でなぞる。

 僕が、あのバカみたいな「卵かけポテト」で、人生を変えることになるなんて……。


「敬語はやめてくださいよ、社長」


 ――社長。

 石井さんの何気ないその一言に、現実を突きつけられる。


「石井さん……でも僕、未だに信じられないんですけど」

「今やあなたは押しも押されぬ、マグダウェルバーガーの大社長です。あなたの出世を傍らで支えられたことを、私も誇りに思っていますよ」


 穏やかな笑みを浮かべる石井さん。


「いやいや、そんな……」


 気恥ずかしさに否定しようとするが、石井さんは懐から手帳を取り出し、話を切り替えた。


「おっと、もう移動の時間です。今日は国際ポテト連盟の首脳たちとの会食です。通訳の奈良原が現地でお待ちかねです」

「ああ、奈良原くんか……よくフリーズするから、正直不安なんだけどな」


 苦笑する僕に、石井さんがニヤリと笑って返す。


「あと、今日は早めに上がるのをお忘れなく。今日は奥様のお誕生日でしょう?」

「ああ、そうだった。特注した“ダイヤモンドポテト”を渡すのを忘れないようにしないと」

「ポテトプリンセスを泣かせてはいけませんよ、ポテトプリンス殿?」

「あ、あはは……」


 どうリアクションしていいか分からず困っていると、石井さんがふと思い出したように口を開いた。


「いやー、それにしても、あれから1年ですか。あの『ポテト・ジェネシス・フェスティバル』が懐かしいですね」


 写真を見つめながら、石井さんが目を細める。

 そう、あのポテト・ジェネシス・フェスティバルから早1年……って、いやいやいやいや……


「1年で、人生変わりすぎだろーーーーーー!!!」


 突然声を張り上げてしまい、石井さんが目を丸くする。


「ど、どうしました、社長?」

「い、いや、何でもないです! 行きましょう!」


 慌てて席を立ち、石井さんに促されるまま社長室を出た。

 この先、僕はどうなっていくのか。全く想像がつかない。

 人生はポテト、掘り起こしてみなけりゃ分からない――さっき思いついたこの格言を、僕は今、誰かと共有したい気分だ。

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ポテト・ジェネシス・フェスティバル 富志悠季 @d314

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