ポテト・ジェネシス・フェスティバル(中)
「さあ、そろそろ始めよう。誰からだね?」
「まずは私からいきましょう」
店長の問いかけに即座に応じたのは、奈良原くんだった。左手をスッと挙げる動作が、なんだか不気味に見える。
「あ……あいつは、ポテトコンピューターこと奈良原!」
「うわっ、何ですか急に!?」
隣で突然、石井さんが叫び出した。奇妙な呼び名つきで。
「奴は、コンピューターが先かポテトが先かという永遠のテーマに悩み、不眠症に陥ったほどの男だ」
さっきから何言ってんだ、この人は?
「ポテトを食べながらパソコンを操作し続けた結果、数えきれないほどのパソコンを脂まみれにしておしゃかにしたという逸話があるのよ」
辻さんも変なことを言い出した。
「ふふふ……大袈裟ですよ、辻さん。僕が壊したのはたったの4台です」
不敵な笑みを浮かべながら、メガネをくいっと上げる奈良原くん。よく見たら、油まみれの手で触ったせいで、眼鏡もちょっと油でテカテカしている。汚い。
「さて、まずは、こちらをご覧ください」
奈良原くんは脂ぎった指をパチッと鳴らすと、おもむろにカバンをゴソゴソと漁り、分厚いノートパソコンをテーブルの上にどさっと置いた。
外装が油でテカテカと輝くノートパソコンの画面には、カラフルな文字がこれでもかと散りばめられていた。
「こっ、これはパワポか!」
「なんて美しい……さすがポテトコンピューター、略してポテコンね!」
石井さんと辻さんが感嘆の溜め息をつく。対照的に僕は、手脂で曇ったディスプレイの汚さにただ絶句していた。
「僕は統計データを元に、消費者のニーズを分析しました。その結果、既存品との明確な差別化をしない限り、トレンドが大きく変わることはないという結論にたどり着きました」
おや? 案外まともな説明っぽいぞ。
「すなわち、ユーザーが求めているのは、従来のポテトの枠を越えた、新たな食感と風味――その破壊的変革!」
なんだかもっともらしいことを言っている。
「そこで僕が提案するのはこの――『グミポテト』です!」
「……えっ、グミ?」
思わず間抜けな声が漏れてしまった。
「従来のポテトとは正反対の、弾力に富んだ歯ごたえ! さらにビタミンC補給が可能なミカン味を採用!」
「ミ、ミカン味!?」
奈良原くんは自信満々の顔で箱からサンプルを取り出し、テーブルに並べ始めた。それは、鮮やかなオレンジ色をした、ぷにぷにとした物体だった。
「なるほど、見た目もかわいいミカンの形なんだな」
「栄養バランスまで考慮しているなんて、さすがポテコン、抜かりないわね」
石井さんと辻さんがサンプルを手に取り、うなる。いやいや、どう見てもこれ……。
「いかがですか、この新食感・新感覚のポテトは。これなら採用間違いなし……」
「ちょ、ちょっと待って」
「はい?」
しまった、たまらず声を上げてしまった。
「どうしたんですか、芋山さん。何か質問でも?」
「あ、いや、その……」
言ってしまっていいのか躊躇したけど、思い切って言ってみる。
「これ……ポテトじゃなくない?」
僕の言葉に、場の空気が凍りついた。
「あっははははははは!!」
突然、堰を切ったように奈良原くんが笑い出した。
「甘い、甘いですよ、芋山さん! やっぱりあなたはスイートポテトだ!」
なんだこいつ。だんだん腹が立ってきた。
「これは確かに見た目も食感も従来のポテトとは異なります。ですが、そもそもフライドポテトの定義なんてありますか? 提供する側がポテトだと言えば、ポテトなんですよ!」
いやいや、じゃがいもを揚げてるから、フライドポテトなんでしょ。
「ね、そうですよね、店長!」
狂気すら感じる笑みを浮かべつつ、奈良原くんは店長を見る。
店長は無言でサンプルを一口食べ、しばし目を閉じ……静かに言った。
「いや、これは……グミだな」
衝撃の一言に、奈良原くんの眼鏡のレンズが粉々に砕け散った。
「毒々しい油がなく……背徳感を感じずに食べられるものに……ポテトを名乗る資格なし!」
え、そこなの!?
「た、確かに……僕の指先にこびりついて取れないこの油は、ポテトフリークの勲章だったはず。それなのに、僕は目先の計算に囚われ、大事なことを忘れていた……」
うなだれる奈良原くんに石井さんが歩み寄り、優しく肩を叩く。
「誇りを失った君は、ただの脂ぎったコンピューターだ。けど、君ならきっと、ポテトという名の矜持を取り戻すことができるさ」
「い、石井さん……」
奈良原くんの頬に、つっと涙が伝う。
これほど共感できない涙は、生まれて初めてだ。
「さあ、次は誰かね?」
店長の一言に、場が一瞬で静まり返った――と思ったその瞬間。
「二番手は私、ポテトプリンセスこと、辻が行くわ!」
辻さんが勢いよく立ち上がった。変な異名を自分で名乗りながら。
――もうやめてくれ、僕の中の辻さんのイメージを、これ以上崩壊させないでくれ。
「ポテプリこと辻は、幼少期からポテトを愛していてな」
「うわっ、びっくりした!」
いつの間にか隣の席に戻っていた石井さんが耳元で喋りだした。
「着せ替え人形の代わりにポテトを使ったおままごと……通称ポテまごとを周囲に強要した結果、一人も友達ができなかったという壮絶な過去がある」
「そ、そんなエピソードを語られても……何てリアクションすればいいんですか?」
僕の戸惑いを無視するように、辻さんは堂々とプレゼンを始めた。
「私は女子をターゲットにしたポテトを考案しました」
ツカツカと部屋の中を歩き回りながら、自信満々に語り始める。
「いつの時代も、女子たちは『カワイイ』を求める――これを満たさないポテトは、未来を生き残れないと言えるわ!」
ここまでは……まあ普通だ。けどさっきのポテコンの前例がある。油断はできない。
「そして、女子にいま一番人気があるのが、このタピオカドリンクです!」
ああっ、ちょっと古い。そうか、友達がいないから、情報が……。
「なるほど、これが噂のタピオカドリンクですか」
「名前は聞いたことがあったが、実在していたとはな」
奈良原くんと石井さんが真剣な顔でタピオカドリンクを見つめる。この二人のバックグラウンドも垣間見えて、つらい気持ちになる。
「ここで質問。このタピオカの代わりにポテトを入れたら、どうなると思う?」
えっ、正気を疑うと思う。
「……なるほど、ドリンクとのコラボということですか」
「さすがポテプリ。ポテまごとで磨き上げた想像力、お見事だ」
この人たちの正気も疑う。
「さあ、ご覧あそばせ――これが夢のドリンク、『ポテオカドリンク』ですわ!!」
辻さんが高らかに笑いながら披露したのは、ふやけたポテトがミルクティーに浮かぶドリンクだった。
もう無理だ。僕の中で、辻さんのイメージは完全に崩壊した。
「ふむ……」
店長が冷静にポテオカドリンクを手に取る。そして、そっと口をつけた。
「……死ぬほどまずい。次。」
店長の一言に、辻さんはその場に崩れ落ちた。
床に座り込む辻さんは、気の毒なほど落ち込んでいる。何か声をかけようか悩むけど……言葉が見当たらない。
そんな僕をよそに、石井さんが勢いよく立ち上がる。
「三番手は俺が行きます!」
石井さんは力強く宣言すると、自前のポテトの入ったケースを取り出した。
パッと見た感じ、普通すぎるほど普通のポテトだ。けど……これまでの例を考えれば、油断するわけにはいかない。
「そうよ、油断しないほうがいいわ」
「うわっ、びっくりした!」
いつの間にか立ち直っていた辻さんが耳元で突然話しかけてきた。その距離感にドキッとする自分が情けない。
というか、なんで心を読まれた?
「石井さんは、ポテト一本一本に名前をつけてから食べ、涙を流す慈悲深き人なの」
「サ、サイコパスじゃないですか」
「すべてのポテトに命を宿すその振る舞いに、いつしか彼はこう呼ばれるようになったの……ゴッド・オブ・ポテトと!」
「ゴ、ゴッド!? 最上位者じゃないですか」
その称号に圧倒される僕をよそに、奈良原くんが語る。
「そうです、彼はこの店舗の中でもポテトランキングは断トツ。僕らなんか、路傍のハンバーガー、チキンナゲットみたいなもんです」
ハンバーガーやナゲットを石扱いしてる。この人たちにとって、ポテト以外は何の価値もないんだな。
「あのー、そろそろ説明してもいい?」
石井さんはご丁寧にも待ってくれていた。
「あっ、すみません、お願いします」
「よし。コホン……では」
石井さんは優雅に咳払いをし、堂々とポテトを差し出す。
「店長、こちらのポテトを一口召し上がってください」
「ふむ……」
店長がポテトを口に入れると、場が再び静まり返る。
「……普通にうまい。少し湿気っているが」
「ありがとうございます!」
石井さんは満足げに微笑む。
「普通。そうです、これは普通のポテトです。ただし、1つだけ異なる点があります。それは――」
みんな、息を呑む。
「愛です」
……うん?
「食べる人の笑顔を思い浮かべながら調理し、手渡す時に『美味しく食べてね』と願う――これが、究極に美味しいポテトを作る鍵なんです」
石井さんはさらに力を込めて語り続ける。
「大事なのは小手先の技術なんかじゃない。心なんです。心を込めて作り上げたポテトには、愛が宿るのです!」
だめだ、何を言っているのか、全然理解することができない。
「深い……深すぎます、ゴッド!」
奈良原くんが、割れたメガネの隙間から涙をポロポロ流している。
「ええ、さすがゴッド。私たちのはるか上を行くわ……」
辻さんも、輝く目で石井さんを見つめている。
――ちょっと嫉妬している自分が本当に情けない……。
「どうですか、店長。これこそがマグダウェルバーガーの看板商品にふさわしいポテトではありませんか?」
石井さんは自信満々に胸を張る。その表情は、どこか神々しさすら感じさせる。
店長はスッと立ち上がり、石井さんの前まで歩く。
「店長……!」
石井さんが感極まった声を漏らしたその瞬間――店長の手が石井さんの肩にポンと置かれる。
「あのさ、石井くん。何度も言ってるけど、そういうんじゃないんだよ」
「えっ」
店長は一度息をつくと、キレ気味に言い放った。
「趣旨、分かってる? 新しい商品を作れって言ってるんだよ。愛がどうとかじゃないの」
「あ、あう……」
「君、前回も『真心をトッピング』とか言ってたよな。何度同じミスを繰り返すんだね? だいたい君はね……」
ガチ目の説教が始まった。
ゴッド、いや、石井さんの顔は見る見るしわくちゃになっていった。
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