つま先に愛をこめて

のっとん

つま先に愛をこめて

 父のものはほとんど処分してしまった。もう必要ないからと古いものは処分し、使えるものはすべて欲しい人へと母が譲ってしまった。


 今、実家には父が生前使っていた―――革靴が一足残っている。

 母が唯一手元に残したものだった。


 父は服装に無頓着な人間だった。高級なスーツは皺ができるからと嫌い、堅苦しいからとネクタイすら着けたがらない人間だった。

 ところどころ皺の残ったシャツに、安物の腕時計を愛用する父を、仕事仲間はどう思っていたのだろう。きっと、妻が家事をしていないと思われていたんじゃないだろうか。


 そういう時代だったわりに父は家のことをする人だった。身の周りの掃除や買い出し、自分のシャツは必ず自分でアイロンをかけていた。決して手際がいいとは言えなかったが。


 父が家のことをしているからと言って、母の手が空いているかと言えば、そんなことは無かったように思う。三人の子どもの世話に加え、家の掃除も三食の調理も洗濯も。自分が母になってみるとその凄さが分かるというものだ。


 そんな中、母は父の靴を磨いていた。

「いってきます」と笑顔を見せる父の靴は、いつ見ても朝日に輝いていた。


 子どもたちが寝室へと移動した後、晩酌をする父を居間に残し、玄関へと移動する。隙間風の入る玄関で、手元灯を頼りに靴を磨く姿は、母から父への愛情を感じさせるものだった。



   ◇◇◇



 私は、輝いているものが好きだ。特に身に着けるものは、頭の先からつま先まで輝いていなければならない。そう信じて生きてきた。


 お見合いの席で会ったあの人は、新品のスーツに身を包み、七五三のようだった。緊張した固い笑顔と、庭園を歩くあの人のぴかぴかの靴がとても印象的だった。


 結婚して初めて分かったことだが、あの人はこだわりの強い人だった。

 服装に無頓着な割に、身の周りのことは自分でしたがる人だった。


 皺の残ったシャツに、安物の腕時計。身に着けるものはどれもくたびれていた。私はそれが許せなかった。身に着けるものはすべて輝いていなければならない。


 子どもたちが眠った後の晩酌があの人の日課だった。その間は、居間から出て来ない。私はその隙を狙って、あの人の靴を磨いた。ばれないように。玄関の上がり框に腰掛け、手元灯だけで磨き続けた。


 この戦いももう終わり。あの人の靴を磨く必要ももうないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つま先に愛をこめて のっとん @genkooyooshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画