第4話 面倒なことに巻き込まれる気がした



 先生が本気で俺の傷口に塩を塗ろうとしていたが、なんとか事情を聞いてもらうことができた。


 寝てる小岩井がうなされてた件については、先生も当然知っているはずだ。


 そこで俺が心配してカーテンを開けて様子を見たことを説明すると、先生は渋々とだが納得していた。



「お前が私の言いつけを破った理由は一応納得してやる。だが、まさか女子が寝てるベッドのカーテンを開ける男子がいるとは……」



 俺がカーテンを開けたことが本当に予想外だったのか、先生が呆れたと頭を抱えている。



「だって、あれだけうなされてたら心配にもなりますって」


「保健室はそういう場所だ。体調が悪くてうなされる奴なんて普通にいる。だから釘を刺しておけば開けないと思ってたのに……お前という奴はまったく」


「だから塩持たないでくださいって! 下心とかそういうのじゃないって何度も言ってるじゃないですか!」



 先生が塩の入ったビンを持った瞬間、反射的に距離を取る。


 俺が離れると、先生は深い溜息を吐きながらビンをテーブルに戻していた。


 なんで保健室に塩が置いてあるのかは気にしないでおこう。聞くと余計に先生を怒らせる気がした。



「お前が私の言いつけを破らなければ良かっただけの話だ。馬鹿者が」


「そんなこと言われても放っておけないですよ。知らない場所で苦しんでるならまだしも、目の前で苦しんでたら様子くらい見ません?」


「薄情なのか優しい奴なのか分からん奴だな。まぁ、柏木の言いたいことは分からなくもないが……それならグラウンドに行っていた私を呼べば良かっただろう?」


「それもそうですけど、呼ぶにしても本当にヤバいか確認してから行かないとダメじゃないです?」



 様子も見ないで慌てて先生を呼んで、実は問題なかったとなれば迷惑をかけるだけだ。


 それを考えれば、様子くらい見るに決まっていた。



「優しい奴も大概だな……はぁ、本当に手間が掛かる」


「そこまで小岩井が寝てること隠す必要あります? 別に知られたって良いじゃないですか?」



 呆れる先生の反応を見る限り、よほど俺が小岩井のことを知ってしまったのが問題らしい。


 その理由が分からず俺が首を傾げていると、先生が小さく鼻を鳴らしながら答えていた。



「本人が隠したいと言っている以上は、私も生徒の意思は尊重する。それが保健室を使う生徒なら尚更だ」



 それが先生のポリシーらしい。保健室を利用する生徒の気持ちを第一に考えるあたり、この人の養護教諭らしい一面が垣間見えた気がする。



「小岩井が隠したいって……どういうことです?」


「私が言うわけないだろう。知りたかったら本人に聞け」



 そう言って、先生が小岩井に視線を向ける。


 当の小岩井は、保健室のソファに座りながら黙ってポリポリと何かを食べていた。



「……なに食ってんの?」


「カロリーメイト、もしかして見たことない?」


「いや、あるけど」



 カロリーメイトくらい誰だって知ってるわ。



「まさかと思うけど……お前の昼飯か?」


「そう。これが私のお昼ご飯。ちなみに今日はメープル味」



 味なんて聞いてないって。


 淡々と答えた小岩井が、ポリポリとカロリーメイトを食べる。


 相変わらず不愛想だが、両手でブロックを持って小さな口で食べる彼女の姿は、まるで小動物みたいな可愛らしさがあった。



「なんで保健室で食ってるんだ?」


「もう少しでお昼休みが終わっちゃうから、ご飯食べないと午後の授業が辛くなる」


「カロリーメイトじゃなくて普通の飯食えよ」


「お昼寝して食べる時間ない。私、食べるの遅いから」



 確かに時計を見ると、もう少しで昼休みが終わりそうだった。


 もしコイツが毎日この時間まで昼寝してるなら、マトモな飯を食えないと言うのも理解できなくもない。



「どうして昼寝なんてしてるんだ?」


「…………」



 気になって聞いてみたが、小岩井が答えることはなかった。


 先程と変わらず、黙ってカロリーメイトを食べ進めている。


 そんな彼女をぼんやりと眺めていると、ふと彼女の視線が俺に向けられた。



「ところで……あなた、私と同じ1年生?」



 どうやら小岩井の中で、俺の存在は認識すらされていなかったらしい。


 だからと言って、怒るつもりはなかった。5月になっても、俺だって同じクラスにいる話したことのない奴のことなんて覚えてなかった。



「俺、お前と同じクラスだけど」


「えっ……?」



 俺が同じクラスと言った途端、無表情だった小岩井の表情が一変した。


 焦っているのか目を大きくするなり、困ったように彼女の顔が歪んでいた。



「……お願い。私のこと、誰にも言わないで」



 なんでコイツ、こんなに焦ってるんだ?


 不思議に思った俺が首を傾げていると、焦る小岩井が恐る恐ると口を開いた。



「私がお昼休みにお昼寝してることは、秘密にしてほしい」


「別に言いふらすつもりなかったけど、なんで?」


「それは……」



 どうしても言いたくないのか、小岩井が言いよどむ。


 先生が言っていた通り、昼寝のことは彼女にも秘密にしたい理由があるのだろう。


 正直に言うと気になったが、俺も強引に聞こうとは思わなかった。


 誰にだって、言いたくないことのひとつやふたつくらいあるに決まっている。



「言いたくないなら言わなくても良い。むしろ聞いて悪かった」


「……」



 俺がそう言うと、なぜか小岩井がキョトンとした顔で呆けていた。



「……本当に、良いの?」


「言いたくないんだろ?」


「そうだけど……」


「なら聞かないし、今日のことも言いふらしたりしないから安心しろ」



 誰かに話したところで俺にメリットなんてないし。


 ただ小岩井が困るだけの話なら、俺も話すつもりはなかった。


 嫌いな奴だったら言いふらすかもしれないが、小岩井のことは嫌いでも好きでもない他人だ。たとえ同じクラスだとしても。


 それにこの先、コイツと関わることもないはずだ。この保健室から出てしまえば、こうして小岩井と話す機会もないだろう。



「だから小岩井は余計な心配しなくて良い。俺もたまたま来ただけで保健室に来ることなんてないし、そのうち今日のことも忘れる。むしろ今日は邪魔して悪かった」



 保健室にいた俺が邪魔だったかは小岩井にしか分からないことだが、とりあえず謝っておく。


 本当に忘れるかはさておいて、これだけ言っておけば小岩井も安心するだろ。


 話す機会もない、同じクラスだって知らなかった俺と関わることもない。それを彼女だって分かっているはずだ。



「……ありがとう。あと、邪魔とか思わなかった。寝てたし」



 黙って俺の話を聞いていた小岩井が、ポツリと呟く。


 そして安心したのか胸を撫で下ろしている彼女に頷くと、先生に会釈だけして保健室を立ち去ることにした。


 もう時間ないけど、まだ俺も昼飯食ってないし。


 そう思いながら、俺が保健室を出ようとした時だった。



「ま、待って」



 急に小岩井から呼び止められた。


 おもむろに俺が振り返ると、小岩井が言いづらそうにしながら俺のことを見つめていた。



「なんで、私が寝てる時……手、握ってくれたの?」



 今、それを聞いてくるか。


 さっき先生に事情を話した時も、小岩井の様子を見た理由だけしか話していなかった。


 寝てる小岩井の手を握っていた事実を知った先生が、その手に塩のビンを握る姿が見える。


 俺は先生にも話すつもりで、正直に答えることにした。



「……風邪引いた時の妹と同じに見えただけだ」


「え?」



 小岩井の目が、少しだけ大きくなった気がした。



「俺の妹、風邪引くと寝るまで手握ってって甘えてくるんだよ。なんとなく、うなされてる小岩井を見てると同じに見えた。心細いのかなって、だから俺が手握ってあげるだけで落ち着くなら試しても良いかと思ってやっただけだ。勝手に握ってごめん」



 それ以上の理由がない。下心もない。ただ、そう思ったからしただけだ。


 ちゃんと謝っておけば、きっと許してくれるだろう。考えてみれば、これで小岩井に嫌われたところで俺には痛くもなかった。


 そう思いながら、もう話すことはないと今度こそ保健室を出ようとしたが――



「……待って」



 また小岩井に呼び止められてしまった。



「今度はなんだよ?」


「あの、えっと……もし良かったら今日の放課後、保健室に来てほしい」



 一体なにを言われるのかと思ったら、まさか呼び出しを受けるとは思わなかった。



「なんで?」


「ちょっと話があるから」


「そんなの今話せば良いだろ?」


「もう時間ない」



 小岩井がそう言った途端、校内に予鈴の音が鳴り響いた。


 ヤバ、もう昼休みが終わる!



「もしかして、放課後は予定ある?」



 不安そうに小岩井が聞いてくるが、予定もなにも俺は放課後から寝るまでグラファンの周回をしないといけない。


 つまり、めちゃくちゃ忙しい。


 そう思って断ろうと思ったが、先生から鋭く睨まれた。



冴木さえき先生。今日の放課後、保健室を少しだけ借りても良いですか?」



 今更だが、この先生の苗字は冴木らしい。


 睨まれた俺が反射的に言葉を詰まらせていると、冴木先生が小岩井に笑みを見せていた。



「うるさくしないなら問題ない。お前の言いたいこともなんとなく分かる。好きに使え」


「はい。ありがとうございます」


「勝手に話を進めないでもらえません? 俺、まだ良いって言ってないんですけど?」


「……だめ?」



 俺の断る意思を感じたのか、小岩井の顔が悲しそうに暗くなる。


 いつも無表情な顔しか見せないのに、こういう顔もできるのかよ。


 そんな可愛い顔したってダメだ。俺にはグラファンをする大事な予定が――



「柏木? 分かってるよな?」



 冴木先生から塩を見せつけられた瞬間、俺に選択肢がないことを悟った。


 もし断ったら、この先生は間違いなく俺の膝を殺りにくる。


 その確信が、俺の答えをひとつにしていた。



「……放課後、来ます」


「その言葉、嘘にするんじゃないぞ?」


「はい。必ず来ます」


「それで良い」



 あぁ、俺の放課後が……


 ほぼ強制で面倒事に巻き込まれた俺が肩を落とす。


 俺が来ると分かって、小岩井が安心した顔してる。


 放課後、なにを言われるんだか。


 そんな疑問を抱きながら、俺は急いで教室へと戻った。


 てか昼飯、食えてねぇ……


 それに怪我もして、放課後の時間も潰れて、本当散々な昼休みだった。

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