第3話 その眠り姫は、欲しがっていた



「うぅっ……!」


「なにこの声、普通に怖いんだけど」



 俺の気のせいかと思ったが、また呻き声が聞こえてきた。


 なにげなくその声が聞こえる方に視線を向けてみると、保健室の一番奥に置かれてるベッドを仕切るカーテンが閉まっていた。


 確か、あの先生が言ってたな。保健室で寝てる生徒がいるって。


 ということは、この呻き声はあの閉まってるカーテンの先で寝てる生徒の寝言か?



「そう言えば……」



 その時、ふと俺は少し前に正樹から聞いた話を思い出した。


 あまりにもくだらない話で忘れていたが、どうやら昼休みの保健室に行くと女の呻き声が聞こえてくることがあるらしい。


 その声の主が誰なのか、保健室の先生に聞いても教えてもらえない。絶対にカーテンを開けるなと言われて、決して開けてはならないカーテンの先で寝ている生徒の呻き声だけが聞こえてくる。


 そんな話から、いつの間にか昼休みの保健室には眠り姫が現れるという噂になったらしい。


 はじめてその噂を聞いた俺としては、聞こえるのが呻き声なら眠り姫というよりも化物女の方がしっくりきたが……それもどうせ噂を流した奴の趣味だろう。


 正直なところ、ただの作り話だと思っていたのに――



「まさか本当の話とは思わなかったなぁ」


「ううっ……!」



 俺がそう呟いていると、また呻き声が聞こえてきた。


 心なしか、さっきよりも苦しそうな感じがする。


 ぶっちゃけ知らない奴のことなんてどうでも良かったが、ここまで苦しそうな声だと流石に少しだけ心配になった。



「でも先生に開けるなって言われたし」



 あの先生に開けるなと釘を刺されている以上、勝手にカーテンを開けるわけにいかない。



「うっ! うぅぅっ……!」



 しかし先程よりも苦しそうな声が聞こえてくると、無視を決め込むわけにもいかなかった。


 先生は寝てるだけと言っていたが、もしかしたら体調が悪くなっているかもしれない。


 保健室で寝てるくらいだ。普通に考えて体調が悪い奴が寝てるに決まってる。


 このまま見過ごして、もし体調が悪化でもしたら俺のせいにされるかもしれない。その場に居たのになんで放っておいたんだとか言われる可能性だって十分あり得る。



「やっぱり……様子、見た方が良さそうだな」



 そう思うと、自然と俺の足は閉じたカーテンに向かっていた。



「うぅっ……!」


「まだ聞こえてくるし」



 近づいてみると、カーテンの先から呻き声がハッキリと聞こえてきた。


 この先に、本当に噂の眠り姫がいるのだろうか?


 そんな疑問が俺の頭を過ぎったが、そんなことよりもとにかく様子を見ることを最優先した。


 開けるなと言われてるが、俺がカーテンを開ける正当な理由はある。ちゃんとした理由を話せば、先生も俺の膝に塩なんて塗らないはずだ。


 そう自分に言い聞かせて、俺は意を決してカーテンを開けることにした。


 そしてカーテンを開けた瞬間、寝てる生徒を見るなり俺は目を大きくした。



「……小岩井?」



 その生徒のことを、俺は知っていた。


 てか知ってるもなにも、コイツは俺のクラスメイトだった。


 小岩井那奈こいわい・なずな。この生徒は、悪い意味で有名な生徒だった。


 綺麗な長い髪で可愛い系の美人なのにクラスの誰とも仲良くしないで、いつもひとりで不愛想な顔をしている変わった女だ。


 高校に入学した時からめちゃくちゃ可愛い子だって騒がれていたが、男女問わず仲良くなろうとして周りが声を掛けても素っ気ない反応しかしない。


 なにを言われても返すのは淡白な返事だけ。学校にいる時も朝から帰る時まで自分の机から立つこともほとんどない。


 その様子から周りから人形みたいな奴だと言われるようになって、今ではクラス内で近寄りがたい存在となっている。


 まさか、コイツが噂の保健室にいる眠り姫とは思いもしなかった。



「てことはコイツ、いつも保健室に来てたのか?」



 むしろ、小岩井が昼休みに教室から居なくなっていることすら知らなかった。


 小岩井のことも正樹を含めた周りの奴等から聞かされた話でしかない。正直に言うと俺自身、コイツには微塵も興味がなかった。


 この小岩井が可愛いことは認めるが、だからと言ってコイツに恋愛感情が芽生えるほど俺は単純じゃない。俺も思春期の高校生だけど、ただ見た目だけで女子を好きになる簡単な人間になりたくはなかった。


 見た目も大事だと思うけどさ、性格とか人柄の方が大事だろ?


 恋愛とか一度もしたことないけど。


 

「うぅ……!」



 そんなくだらないことを考えていると、また小岩井が呻き声を出していた。


 小岩井の寝顔が苦しそうに歪んでる。


 よく見ると、彼女の額には少しだけ汗がにじんでいた。



「おい? 大丈夫か?」



 もし悪夢を見てるなら起こせば良い。そう思って声を掛けてみるが、小岩井が起きる様子は微塵もなかった。


 身体を揺すって起こすか悩んだが、寝てる無防備な女子の身体に触るのは気が引けた。



「おーい、小岩井? 大丈夫か?」



 また声を掛けてみるが、やはり小岩井が起きることはなかった。


 うなされているくせに、思っていたよりも眠りが深いらしい。


 どうしたものかと俺が唸っていると、ふと小岩井の手が目に留まった。


 見てみると、小岩井の右手がなにかを掴むように握ったり開いたりしていた。


 それはまるで、なにかを欲しがっているような仕草だった。



「……なにか欲しいのか?」



 なにげなく周りを見ても、特別な物は見当たらない。


 寝てる小岩井が欲しがってる物に見当がつかなくて、つい俺が眉を寄せてしまう。


 そんな小岩井を見ていると、なぜか今の小岩井が風邪で寝込んでいる妹と重なった。


 風邪で妹が寝込んだ時、俺に甘えてくることがある。


 中学生になっても寝るまで手握って、なんて今でも甘えてくることがあるくらいだ。



「もしかして……握ってほしいのか?」



 そう呟いてみるが、寝てる小岩井から返事が返ってくるはずもなかった。


 ……手、試しに握ってみるか?


 寝てる女子の手を握るのはどうかと思ったが、それで小岩井が楽になる可能性があるなら試しても良いかもしれない。


 それで急に起きたとしても、その時は逃げれば良い。寝起きなら意識もハッキリしていないし、逃げればバレることもないだろう。小岩井が起きてしまえば、俺が逃げても代わりの留守番くらいしてくれるはずだ。


 そう思うことにして、俺は渋々と小岩井の手に自分の手を近づけてみることにした。


 まぁ、これで治るとは思えないけど……


 握っては閉じる小岩井の手に、そっと自分の手を重ねてみる。


 小さくて、指も細い。簡単に壊れそうな女の子の、綺麗で可愛い手だった。


 その手を少しだけ力を込めて握ってみると、一瞬で小岩井の表情が穏やかになったような気がした。



「……すぅ、すぅ」


「え、マジ?」



 俺が手を握った途端、ビックリするくらい簡単に小岩井の寝息が落ち着いた。


 さっきまであれだけ苦しそうだったのに、寝顔も明らかに穏やかな表情になっている。



「良かったじゃん。じゃあ、もう良いか」



 小岩井が落ち着いたなら、もう俺が手を握る必要はないだろう。


 そう判断して、俺が握っている小岩井の手を放そうとしたが――



「……ん?」



 なぜか小岩井が、俺の手を離そうとしなかった。


 ゆっくりと引き抜こうとしても、ぎゅっと握られて離す気配がない。


 少し強引に引き抜こうとしてみるが、離れる気がしなかった。



「おい、放せって」


「……すやぁ」


「すやぁ、とかコッテコテな寝言言ってんじゃねぇよ」



 思わず俺がツッコんでも、変わらず小岩井が起きる様子がない。。


 実は起きてるとかじゃねぇよな?



「バーカ、アーホ」


「……すやすや」


「寝てるわ」



 友達でもない俺に悪口を言われても全然起きない。本当に寝てるみたいだ。


 こうなると、少し話が変わってきた。



「え、コレどうすんの?」



 寝てる小岩井が手を離さない以上、俺がここから離れることができない。


 どうしたものかと考えてみるが、どうあがいても小岩井が起きるまでは俺も一緒にいるしかなさそうだ。



「……周回でもしてるか」



 どうしようもないから、とりあえず暇だしグラファンの周回でもしてるか。



「んっ……」



 しかし周回を始めた途端、小岩井が俺の手をぎゅっと握りしめた。


 知ってる女ならまだしも、特に仲も良くない女子。その相手が美人の小岩井だと分かると、流石の俺もドキッとされられた。


 思うようにスマホを持つ指が動かなくて、じれったい。


 周回しようとしても、寝てる小岩井から手をぎゅっと握られると思うようにスマホの操作ができなくなる。


 ダメだ、これ……全然周回できねぇ。


 あまりにも気が散って、俺は周回するのを諦めた。


 周回もさせてもらえない俺のことなんて知りもしないで、小岩井は心地良さそうに寝てるし。



「こうして見ると、小岩井って寝てる時は良い顔してるな」


「すやぁ〜」



 暇すぎて小岩井の幸せそうな寝顔を眺めていると、勝手に俺の口から声が漏れた。


 普段と違う無愛想な小岩井の、見慣れない無垢な寝顔。


 いつもと全然違って、今の小岩井は無邪気な子供みたいだ。


 この顔を知ってる奴は、どれだけいるのだろうか?


 普段からそういう顔してれば、友達も簡単に作れるってのに。



「……損してるな、お前」



 そんな俺の呟きも、寝てる小岩井に聞こえてるはずもない。


 そうして、しばらく小岩井の寝顔を眺めていると――



「んぁ……?」



 ゆっくりと、声を漏らした小岩井の目が開いた。


 寝起きだからか、とろんとした目をしてる。


 良し、いますぐ逃げよう。



「だぁれ……?」



 小岩井が起きた瞬間、彼女から握られている手が僅かに緩くなった。


 その隙を狙って俺が手を引き抜いて逃げようとしたが――



「……まって」



 突然、小岩井の手が逃げようとした俺の制服を掴んでいた。



「おいてかないで、おとうさん」



 ……なんでお父さん?



「あっ……!」



 唐突な言葉に呆気に取られていると、ハッとした小岩井が俺の制服から手を離した。


 どうやら寝起きの意識がハッキリとしたらしい。


 俺の顔を見るなり、小岩井が顔を真っ赤にして慌てていた。



「ち、ちがうの。ちょっと夢を見てただけで……変な誤解しないで」


「いや、別に何も思ってないけど」



 なんでお父さんと言ったのか不思議に思ったが、それを言う気は俺もなかった。


 きっと今のはアレだろう。小学生とかが授業で居眠りして先生に起こされた時に、先生を親だと勘違いするやつに違いない。


 普段の感じと違って、意外と小岩井も子供らしいところがあるみたいだ。


 そんなことを俺が思っている時だった。


 不思議そうな顔で、小岩井が俺を見つめていた。



「……あれ? なんであなたがここにいるの? あと私の手、もしかして握ってた?」


「あ」



 やば、逃げるの忘れてた。


 小岩井に顔を見られた。あと、俺が手を握ったのもバレた。


 この場にいるのはマズイと思って、咄嗟に俺が逃げようとするが――


 なぜか振り向いた先に、いつの間にか保健室に戻ってきた先生の満面な笑顔があった。



「柏木ぃ? あれだけ言っておいたはずなのに、まさか私の言いつけを破るとはなぁ?」


「えっ!? えっと、これには事情が――!」


「私と約束した通り、お前の傷口に塩塗ってやる」


「ちょっと! 俺の話を――」



 言い訳しようとしても、先生は聞く耳すら持たずに俺の襟首を掴んでいた。


 ってかこの先生、意外と力強くね⁉


 強引に俺が逃げようとしても、先生は俺の襟首を離そうとしなかった。


 そのまま抗うこともできず、先生に連行されてしまう。


 そんな俺達を、小岩井はキョトンとした可愛い顔で見つめていた。

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