第2話 怪我の代償



 高校生になったばかりだっていうのに、まさかこの歳で転んで怪我をするとは思わなかった。


 派手に転んだせいで、めちゃくちゃ痛い。


 痛みを我慢して起き上がって裾をまくり上げてみると、思いっきり膝から血が出ていた。



「おい、千世ちよ! 大丈夫か!?」


「大丈夫だ。ちゃんとスマホは守った」


「スマホだぁ⁉︎ 馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ⁉︎ 血出てるじゃねぇか!?」



 俺の怪我を見た正樹まさきがめちゃくちゃ慌てているが、そこまで慌てることでもないだろう。転んで怪我しただけだ。


 そんなことよりも、俺はスマホが壊れてないか心配だった。


 ……うん。壊れてなさそうだ。画面も割れてない。


 俺のスマホには、問題なくソシャゲの周回画面が映し出されていた。



「良かった。ちゃんと周回できてる」


「んなこと言ってる場合か!? だから歩きスマホするなって言ったのに!?」


「俺が悪いんじゃない。俺が降りる階段がいつもより一段少なかっただけだ」


「なに心霊現象のせいにしてんだよ! 転んだ原因はお前の不注意だろうが!」



 そうでもなければ、この柏木千世かしわぎ・ちよが階段で転ぶはずがない。



「違う。俺じゃなく世界が悪い」


「世界じゃなくてお前な!? 歩きながらソシャゲしてるから転ぶんだよ!?」



 一流のソシャゲプレイヤーとして、歩きスマホしても周りに意識を向ける修業は日々続けてきた。


 歩きながらスマホを触って人や物にぶつかるなんて三流以下だ。一流のソシャゲプレイヤーは一秒も無駄にすることなくクエスト周回できる。


 その領域に至った俺が、不注意で転ぶなんてあり得るはずがなかった。


 この俺が悪いはずがない。俺の認識をズラした世界が悪いに決まってる。



「おい! 血出てるのにどこ行くんだよ!」



 とりあえず俺がまくり上げた裾を戻して歩き始まるなり、正樹に肩を掴まれた。


 どこに行くもなにも、俺達が教室を出たのは昼飯を買いに行くからだろ?



「そんなの購買に決まってるだろ?」


「昼飯買いに行ってる場合じゃねぇだろ! 保健室行けって!」


「んな大袈裟な。転んだだけなのに」


「さっき見たけど膝からめっちゃ血出てたぞ!? 放っておくと悪化するから保健室行け! お前の分も昼飯は買っておくから!」


「大した怪我じゃないって。あとで水で洗っておけば治るだろ」


「お前転んだ時、めっちゃ痛がってたよな⁉︎ 今だって痛いだろ!?」



 確かに、クッソ痛い。


 だがそれでも、我慢できない痛みではなかった。



「保健室に行ったらグラファンできないだろ。先生いるし」


「こんな時までソシャゲしようとするな!」



 俺からスマホを奪い取ろうとしてくる正樹の手を咄嗟に叩いて弾く。



「お前に教えてもらったグラファンは、もう俺の生命活動の一部になってんだ。常日頃、1回でも多くクエストを周回しないと俺は死ぬ。戦力を上げるために毎日感謝のクエスト周回、お前もグラファンプレイヤーのひとりなら胸に刻んでおけ」


「刻まねぇよ! そんなゴミみたいな誓い! お前と違って俺は暇つぶしに遊んでるだけだ! 良いからグラファンしないで保健室行けっ!」



 諦めず正樹が俺のスマホを奪おうするが、その手を全て叩いて弾く。


 この俺からグラファンを奪い取ろうとするなら、もちろん抵抗させてもらう。


 高校に入学してすぐ正樹に教えてもらったグラファンは、いわゆる神ゲーだ。


 グラファン。その正式名称は、グランドスカイファンタジア。空を旅する主人公と仲間達の物語を描いたソシャゲだ。


 このゲームに出会ってから、俺は毎日が楽しくてしかたない。いつの間にか正樹より戦力が高くなったくらいやり込んでる。こんなにハマれるものがある幸せを正樹にも教えてあげたいくらいだった。


 正樹も早く強くなって俺の領域まで登って来い。お前の歩く道の先で、俺は待ってるからよ。



「てめぇ! いい加減にしろよ! これ以上保健室行こうとしないならぶん殴ってでも連れてくからな!」


「それ、俺の怪我増えない?」


「あ? マジで俺に怪我増やされてぇのか?」



 スマホの奪い合いをしているうちに、正樹が少しキレ始めた。


 このまま俺が保健室に行こうとしなければ、間違いなく正樹が本気でキレる。


 コイツ、キレると面倒なんだよなぁ……


 これ以上怒った正樹をなだめるのも、俺が保健室に行かないといけない。怒らせないようにするのも、俺が保健室に行く必要がある。


 どちらにしても、俺は保健室に行かないといけなかった。



「面倒だから行きたくなんだけど、だってグラファンできないし」


「……ぶん殴るぞ?」



 あ、マズイ。これ本気で殴ろうとしてるやつだ。


 拳を振り上げた正樹を見た瞬間、俺は慌てて両手を上げた。



「わかった! 行くって! だから拳を上げるな!」


「本当に行くんだな? 保健室入るまでついてくぞ?」



 俺が保健室に行くとわかった途端、正樹の表情が元に戻った。



「別にひとりで行けるって」


「いや、お前のことだし、しれっと教室戻るだろ?」



 なるほど、その手もあったか。


 良い案だと思った矢先、正樹が拳を振り上げた。



「戻らねぇよ! わかった! ついて来て良いから!」


「ったく、最初から言うこと聞けよ」



 納得したのか、正樹が拳を下ろす姿に、思わず俺は胸を撫で下ろした。


 面倒だが、保健室行くしかねぇか。


 膝、まだ痛いし。


 そう思っていると正樹から背中を叩かれて、俺は急かされるように保健室へと向かっていた。









 保健室は、嗅ぎ慣れない匂いがした。



「随分と派手に転んだな? 高校生で転んで怪我する奴も中々少ないぞ?」



 正樹に見送られて保健室に入るなり、俺の怪我を見た先生が苦笑交じりに笑っていた。


 はじめて保健室に来たけど、めちゃくちゃ美人な先生がいるとは思わなかった。


 あらためて見ても、本当に美人だった。スタイル良いし、口調も相まってクール系の美人って感じがすごくする。あと白衣を着ているせいか、余計に美人に見えた。


 この先生に優しく手当てされるなら、保健室に来るのも悪い気はしなかった。



「ほら、さっさと終わらせるぞ。男なら我慢しろ」


「イッ――!?」



 前言撤回。優しさのカケラもなかった。



「これに懲りたら怪我に注意しろ。私の仕事を増やすんじゃない」



 思いっきり傷を消毒されて俺が声にならない悲鳴をあげても、この先生は躊躇うこともなく手当てを続ける。


 そして俺が悶絶しているうちに、先生は消毒を済ませると早々と手当てを終わらせていた。


 恐る恐る膝を見ると、綺麗にガーゼと包帯が巻かれていた。



「念のために傷薬は塗っておいた。ひどくなりなくなかったら帰ったあとも薬塗って絆創膏は張っておけ。返事は?」


「……は、はい」


「良し、返事ができて偉い。ちゃんと返事のできる奴は良い男になれるぞ」



 そう言って、先生にポンと膝を叩かれた。


 その瞬間、走る激痛に俺が悶絶していると先生がケラケラと笑い出す。



「もう怪我するんじゃないぞ。これで手当ても終わったことだし、さっさと――」



 そう先生が言い掛けた時だった。


 突然、保健室のドアが勢いよく開いた。



「先生! グラウンドに怪我した奴がいます! めちゃくちゃ痛がって連れて来れなかったんで来てください!」



 保健室に駆け込んできた男子生徒が、慌ただしく大声をあげる。


 その声に俺が呆気に取られていると、先生から深い溜息が聞こえた。



「……はぁ、小学生でもあるまいしグラウンドで怪我なんてするんじゃないよ。わかった。すぐ行く」


「ありがとうございます! 場所は俺が案内しますので!」



 不満を漏らしながらも、先生が気怠そうに椅子から立ち上がって保健室から出ようとする。


 ……俺も出て行った方が良さそうだな。


 空気を読んで先生と一緒に俺も出ようとするが、ふと先生が立ち止まるなり、振り向いた。



「待て。私が出て行くと保健室に来る生徒が困る。お前は留守番してろ」


「……え?」



 留守番? 誰が?


 俺の後ろに誰か居たっけ?


 なにげなく振り向いても、誰も居なかった。



「お前だ、お前。訊くの忘れてたが……お前、学年と名前は?」


「……1年の柏木千世かしわぎ・ちよ、ですけど」



 先生に指を差されて、反射的に答えてしまう。


 俺が返事をすると、先生は俺の顔をジッと見た後、ゆっくりと頷いていた。



「柏木か、覚えたぞ。良し、柏木。お前は私が帰ってくるまで保健室の留守番してろ。さっきも言ったが、他の生徒が保健室に来ることもある。私が居ないと困るだろう。お前が代わりに相手をしろ。消毒液とか色々なものは分かりやすい場所に置いてある。適当に使え」


「え、なんで俺が――」



 なんで俺が留守番しないといけないんだ?


 そう言いかけた時だった。



「先生、早く!」


「分かってる。急かすな、今行く」


「ちょっと、先生! なんで俺が――」


「柏木、言い忘れた。お前以外に保健室で寝てる生徒がいる。閉まってるカーテンを開けてイタズラなんて考えるなよ。開けたらお前の傷口に塩塗ってやるから覚悟しろ」


「まっ――!」



 慌てて呼び止めようとしたが、あと頼んだと言い残して先生が颯爽と出て行った。


 誰も居なくなった保健室に残されて、俺は呆然と立ちすくむ。



「……俺、まだ昼飯も食ってないんだけど」



 一方的に言いつけられて、俺が困り果てる。


 そして俺が肩を落としていると――



「うぅぅっ……!」


「……なんだ? この声?」



 突然、静かだった保健室に女の呻き声が聞こえた。

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